『失われた時を求めて』岩波文庫(10)2018-11-24

2018-11-24 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(10)


プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 10』囚われの女Ⅰ(岩波文庫).岩波書店.2016
https://www.iwanami.co.jp/book/b266322.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月22日
『失われた時を求めて』岩波文庫(9)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/22/9001753

この巻から、「私」とアルベルチーヌは一緒に暮らすことになる。

読んで印象に残るのは次の三点だろうか。

第一に、パリでの生活において、朝、眠りから覚めるときの描写。あたりの雰囲気だけで、朝になったということを感じはするものの、まだ半ばは眠りの中にある。幻想的な描写である。

第二に、(これはこの作品において有名な箇所らしいが)パリの街頭の物売りの声の様々な描写。この箇所は、一九世紀的リアリズムの小説をふまえながらも、ただ、その声を聞いてそう判断している、どこか幻想的なところがある。

第三に、(これが、この巻を読んで一番印象に残っているところであるが)眠っているアルベチーヌの描写。寝ている状態の女性、アルベチーヌの様子が、どこかしら幻想的で、また、蠱惑的な文章で描写される。眠っている状態の女性に魅力を感じているところは、(このような読み方は正しくないのかもしれないが)どこか猟奇的ですらある。

以上の三点が、この巻を読んで印象にのこるところである。

なお、さらに付け加えるならば、芸術についてのことば。次の箇所などが目にとまる。

「人生は、私の芸術への未練を断ち切ってくれるのだろうか? 芸術のなかにはもっと深い現実が存在するのだろうか?」(p.353)

この作品、芸術……美術、音楽、文学……への言及がかなりある。作者自身が芸術というのものをどう考えていたのか、このあたりが、この作品を読み解くキーになることなのであろう。

さて、この後、「私」とアルベチーヌの関係は、どうなっていくのであろうか。続きの一一巻を読むことにしよう。

追記 2018-11-26
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月26日
『失われた時を求めて』岩波文庫(11)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/26/9003391