英雄たちの選択「赤穂浪士・最期の49日」2024-02-09

2024年2月9日 當山日出夫

英雄たちの選択 赤穂浪士・最期の49日

面白かった。

赤穂浪士については、これまで散々、テレビドラマ(NHKの大河ドラマでも何度もやっている)や、映画、演劇などであつかわれてきている。まあ、日本の文化のなかで、最も重要な出来事の一つであり、テーマ、素材であると言っていいだろう。

この番組でとりあつかっていたのは、討ち入りが終わってから、切腹にいたるまでの四九日のこと。四つの藩にお預けになった、義士たちのその後を追っている。中で特筆すべきなのは、熊本の細川家、ここでは義士たちは丁重にもてなした。他の三つの藩では、罪人あつかいだった。しかし、細川家では、御馳走を出し、酒もふるまい、書物なども提供したという。

細川家では、家臣のひとりである堀内伝右衛門が、詳細な聞書をして記録を残していた。それが今に伝わっている。

この事件が、江戸時代の人びとにどのように受けとめられたか、これはいろんな反応がある。武士のあり方として肯定的にとらえる向きもあれば、犯罪として処罰するべきだという意見もあった。これは、江戸時代になってから官僚化した武士の生き方はどうあるべきかという価値観を問いかけるものでもある。

結果としては、知られているように、義士たちは切腹。そして、上杉家も処断された。ここにいたって、喧嘩両成敗という形を取ることになった。

興味深いのは、江戸時代の人びとの法感覚。そして、武士のあり方についての価値観。このあたりの議論については、もっとつっこんだ議論を紹介してあってもよかったのではないだろうか。

それから、この番組の面白さは、磯田道史の雑談。これが面白い。最近の政治家は空論ばかりであるという。リアルな議論がない。そうだろうと思う。最近やたらと目にするのは、「お答えは差し控えさせていただく」「検討する」などである。これが、以前の政治家だったら、もっと現実的な議論をしていた。

強いて比較するならば、「新しい資本主義」「デジタル田園都市構想」「異次元の少子化対策」などと、昔の「日本列島改造論」「所得倍増」などを思い浮かべることになるが、どうだろうか。

それから、この番組では出てきていなかったが、丸山眞男の『日本政治思想史研究』のことがある。私が、この本を読んだのは、学生のとき、目黒の四畳半の下宿の部屋であったことを憶えている。冬、こたつにあたりながら読んだ。

2024年2月8日記

『國語元年』2024-02-09

2024年2月9日 當山日出夫

NHKBSP4K『國語元年』

再放送である。BSP4Kで放送していたので見た。五回。

若いときにこのドラマは見た記憶がある。その配役のほとんどを憶えていた。(その他に若いときに見たドラマで配役まで憶えているというと石坂洋次郎原作の『若い人』がある。松坂慶子が主演だった。)

本も読んでいる。中公文庫と新潮文庫で出ている。中公文庫はドラマの脚本に忠実である。一方、新潮文庫の方は、その後、舞台化されたものである。基本の筋は同じなのだが、いくぶん違っているところもある。この二つの『國語元年』については、以前に書いたことがある。

見ながら思うこと、考えるところがかなりあった。

国語学の観点から見てであるが、明治初期……ドラマの設定は明治七年……の日本のことばの状況は、こんなものだったのだろうと思う。江戸時代までの各地の方言を残したままで、近代日本の言語を作っていくこと、そのことの意義に異存はないのだが、結果から考えて、それがはたして成功したのかどうかは評価が微妙にゆれるところがある。

たしかに、現在の日本のことばは、全国でどこでも通じる話しことばがある。その便利さは、多くの人が享受しているところにはちがいない。その一方で、絶滅危惧となってしまった方言の問題もある。

国語史的に興味深いのは、江戸時代でも、地方から参勤交代で江戸にやってきた武士たちが、本江戸言葉を習得して使っていた、ということになるだろうか。これは、元幕臣の妻であった女中頭の加津の言っていたことである。このあたりのことは、国語史的に考えてそうなのだろうとは思う。

方言で話す南郷家の人びとである。相互にことばが通じなくて悶着となることもある。しかし、基本的には、加津の話すことば(山の手言葉)は理解できている、という設定になっている。そして、この加津のことばが、現代の日本語の話しことばの現流になっていることは確かだろう。

また、ドラマとして見て、とにかく面白かった。さすが井上ひさしの作だけのことはあると思って見た。ことばが通じる、通じない、ということだけで、思わず笑い出してしまうところがいくつかあった。

この作品で、もっとも冷静になりゆきを眺めているのが、若林虎三郎である。そして、この人物は、会津の出身となっている。明治新政府の行おうとしている、全国統一話し言葉に対して、きわめて批判的である。朝敵となった会津ならではの、ものの見方と言っていいだろうか。

ドラマの面白さの基本にあるのは、やはりことばというもの対する人びとの思いである。自分が習得して使ってきたことばへの愛着、その一方で、相互にコミュニケーションがうまくいかないもどかしさとおかしさ、このあたりがたくみに描かれていたと感じる。

2024年2月5日記