「食卓のかげの星条旗 米と小麦の戦後史」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

時をかけるテレビ 食卓のかげの星条旗 米と小麦の戦後史

私の小学校のときの学校給食はパンだった。それから脱脂粉乳である。昭和三〇年代のことになる。無論、子どものことだし、そのようなメニューになっていることに、どんな政治的な意味があるかなどは、まったく考えることはなかった。また、その後、大きくなってからも、食糧問題はニュースで見ることはあっても、それがどのような国際情勢、国内事情によるものなのか、ほとんど考えてみることもなかった。

私の世代だと、お米の通帳、というものを記憶している。いつからそれがいらなくなったか、(調べれば分かることなのだが)、特にそのことが印象に残っているということはない。

米の価格、減反政策をめぐっては、大きなニュースになったことは記憶にある。NHKの番組で、米農家の人と、都市部の消費者である人、それぞれが登場して、米の生産と価格をめぐって、議論をするというのがあったのを憶えている。米価、減反政策というのが、毎年のニュースであった時代もある。

今では、食糧安全保障という観点から議論されるようになってきた。番組では言っていなかったが、これも経営を大規模化して、機械化することでなんとかしようということなのだろうが、しかし、それは、農業のための機械を動かす燃料に依存することになり、エネルギー政策ととも考えなければならないことにもなる。もはや日本では、石油が入ってこなければ、米は作れないのである。

若いころ、民俗学に興味があったこともあり、日本人……日本列島に住んできた古来よりの人びとというぐらいの意味で使っておくが……が、何をどのようにして食べてきたのか、そのなかで、米という作物は、どういう意味がある食べ物であり、栽培植物であるのか、ということは、気になっている。

昔、若いころに読んだ本で次のようなことが書いてあったのを憶えている。世界で家畜用に使用されるトウモロコシの一部(一~二割ぐらいだったろうか)を回すだけで、世界の飢えを無くすことができる。ただ、これは、カロリー計算の上のことではあるが。今でも、世界には、貧困や飢えに苦しんでいる人たちがいる。戦争の影響もあるし、気候変動のこともある。日本国内にも、食糧の配給を必要とする生活をおくっている人もいる。

一方で、高級なコシヒカリを中東に輸出もしている。購入するのは、お金持ちの人たちである。(「コンテナ全部開けちゃいました 新潟港編」)。

最近のニュースでは、日本人のエンゲル係数が高くなってきたらしい。(エンゲル係数などということばは、昔、中学校のときに習って以来である。)

たしかに、今の我が身をふりかえってみて、お米の御飯を食べることは減った。朝ご飯は基本的にパンであるし、昼と夜が、ラーメンだったりパスタだったりして、お米の御飯を食べない日があったりする。

地方の農山村で、棚田のある風景は美しいが、それを守ることは、文化的な意味、あるいは、観光資源としての意味、これぐらいしかないのかもしれない。だから、無くしてしまえばいいとは思わないけれど。

この番組をみて、感じることはいろいろあるが、正直言って、なんだかなあ~、ということになる。少なくとも、富裕層が贅沢な食事をすることを特にとがめようとは思わないけれど、戦争や貧困で食べるものに困っている人たちを、もうちょっとどうにかできないものか、というのがどうしても感じることである。

そして、日本の食糧政策は、これから人口減少は必然であるという時代をむかえて、単なる少子化対策にとどまらない、国際情勢、環境対策を視野にいれた、総合的な観点から考えなければならない。月並みな言い方しかできないが、こういうことになるのだろう。

2024年12月1日記

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