木枯らし紋次郎2009-05-02

2009/05/02 當山日出夫

ふだんはあまりテレビを見ない。昨夜は、久々に、『木枯らし紋次郎』を見てしまった。

今から考えてみれば、テレビの歴史としては、「必殺シリーズ」と「木枯らし紋次郎」が、ある時代を象徴していたともいえよう。これは、まさに、『朝日ジャーナル』の時代でもある。

だからこそ、「あっしにはかかわりのねぇこッて」の台詞が、時代にヒットした。これは、原作(笹沢佐保)を読んでも、同じ。決して、目の前にある現実から逃避しているわけではない。そうはいいながらも、いま目前にある現実(多くは、社会の不合理に苦しみ悩んでいるひとたち)に対して、なにがしがコミットしてしまう。

「あっしにはかかわりのねぇこッて」の台詞は、現実の問題から逃げているのではない。むしろ、たった一人の人間としてできることの限界を、ややニヒルに言ってみせた。また、さらに深読みするならば、本来自由であるべき人間が、自由のために組織を作ったとき、組織に逆に束縛されてしまうことへの、逆説的な問いかけであったともいえよう。

ところで、テレビの方。個人的には、最初のまさに第1回の「必殺仕掛人」を私は、見ている。故・緒方拳の藤枝梅安がいい。その後、「必殺」シリーズはつづくのだが、「仕掛人」は、最初のこのシリーズのみ。後は、中村主水の「仕事人」になる。

でも、まあ、なんで、今になって「木枯らし紋次郎」をリメークして放送するのに、現代版「必殺」にぶつけるのか。テレビ局どうしで、むかしの恨みをはらそうととでもいうのか。(注、まず「紋次郎」が先にあり、その対抗として「必殺」がはじまった。昔の話し。)

個人的には、「木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の……」のナレーションがなつかしい。そして主題歌も。「だれかが風の中で」を、使ったのは成功というべき。ただ、画面全体に、どことなく、市川崑を、かなり意識したと思わせるところが多い。これは、やむをえないか。

當山日出夫(とうやまひでお)

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