『ARG』368号の感想2009-04-01

2009/04/01 當山日出夫

よみどころは、なんといっても、岡本真さんのシカゴでの講演と、それにまつわる各種の感想である。

最近の編集日記
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090330/1238367548

講演の方は、原稿(?)の全文が掲載されているし、また、パワーポイントのスライドのデータも公開されている。あわせて見ると、分かりやすい。

個人的な感想としては、日本では、そこまで考えている人は少ないだろうなあ、ということ。ただ、私個人として思うことは、日本において、大学院生やPDの若い人たちが、(できれば実名をあげて)ブログやHPなどを作って、相互にコミュニケーションできる環境が、あって欲しい。すくなくとも、私の知見の範囲内では、人文学系では、難しい。

自分でブログを作ってとなると、やはり「リスク」を感じることが多いのだろう。

・自分の研究の手の内を明かしたくない。
・ブログなんかつくっていると、それだけで、学会の大家の目からどう見られるか怖い。

というあたりかとおもう。

ともかく、あらゆる意味で、日本の閉塞感を強く感じる。

當山日出夫(とうやまひでお)

読字障害2009-04-02

2009/04/02 當山日出夫

『病の起源 2-読字障害・糖尿病・アレルギー』.NHK「病の起源」取材班(編著).NHK出版.2009

新聞の広告をみていても、「字」という字が目にとまると、必ず見る。最近、目についたのは、「読字障害」ということば。さっそく買って読んでみた。

結論からいえば、現時点において、「文字」について語ろうとするとき、必読といってよい。

「言語」の能力については、(いろいろ意見や立場はあっても)人間にとって、生得的なものである、ということについては、もはや、言語研究の了解事項であるだろう。特に「障害」が無い限りは、「母語」は自然と身につける。逆に、「母語」を習得できない場合、そこ人は、なんらかの「障害」がある。そして、それは、「脳」の機能にいきつく。おおまかな流れとして、このように考えることに、大方の言語研究者の同意は得られるだろう。

では、「文字」については、どうか。

学習(小学校)の段階において、文字の読み書きが苦手、という人がいる。その割合は、「アメリカやイギリスでは10人に1人、日本では20人に1人が読字障害の可能性があると言われている」(p.8)

字の読み書きが苦手、読字障害=ディスレクシア(Dyslexia)、であっても、(あるいは、そうであるがゆえに)非常に高い能力を発揮する人も多い。たとえば、紹介の本でメインに登場するのが、恐竜研究者である、ジャック・ホーナー教授(アメリカ)。日本人では、天才的な建築家である藤堂高直さん。歴史的人文としては、パブロ・ピカソ、ヘンリー・フォード、ウォルト・ディズニー、グラハム・ベル、など。

「言語(音声言語)」は、それが何時のことかは確定できないにしても、人類の進化の過程で、獲得した能力であることは確か。脳の機能としても、言語(音声言語)をあつかう領域は特定されている。

だが、文字を脳で処理する機能は、人類の発達史からすれば、ほんの数千年前にさかのぼるのみ。さらに、それが「リテラシ」として、近代社会の人間に要求されるようになってから、100年ぐらいしかたっていない。

このことは、文字を人間がどのように言語として認識するのか、脳科学において明らかになる。左脳の39野と40野のはたらきによる。強いていえば、無理にこのところを使っている。

京都大学・福山秀直教授の談
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読字障害の人たちは話せないわけではありません。読字障害は話す能力とはまったく別の問題として理解していと思います。/母語の構造が複雑な言語を持つ地域の方が、読字障害が多いと言います。文字は人間が無理矢理つくったものとも言えますから、それを習得しにくい人間が出てきて、そこから識字障害という「病」が生まれたと考えてもいいと思います。(p.47)
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文字は、人類の歴史のなかではごく最近になって作ったものであり、学習しなければならないものであること、このことを改めて認識しておくべきであろう。そしてまた、学校教育における「読字障害」への対応が、早急にのぞまれる。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記
誤字・誤表記、訂正。2009/04/02

学生が自分でブログで発信するということ2009-04-03

2009/04/03 當山日出夫

松田さん、コメントありがとうございます。以下、思うこと。

今のインターネットは、完全な匿名性のなかに隠れることもできれば、実名で堂々と意見を述べることもできる。いろんな使い方が可能である。

ただ、これを、一人の人間が完全に、二つの領域を使い分けるとなると、難しいかと思う。まったく匿名の「名無し」で書き込む自分と、名前を出して「當山日出夫」で書き込む自分と。やろうと思えばできなくもない。

しかし、これは、かなり精神的に負担が大きいと感じる。もし、どちらかを選べとなるならば、いっそのこと、自分の名前を出しておいた方が楽……と、私は感じている。

しかし、学生につかわせるときは、また別の価値観がはたらく。たとえば、

http://www.hatena.ne.jp/company/education/casestudy_rits

立命館大学の導入事例で「はてな」がとりあげられれている。私の知見の範囲では、大学全体として取り扱っているというわけではない。個々の教員の判断の範囲。

このなかで、中鹿さんは、こう述べている、

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やはり授業なので、いきなり危険なところに学生さんをさらけ出すのは怖いと考え、プライベートモードで書いてもらっています。ただ、最初はプライベートモードを推奨しますが、ブログに慣れてきて自分で公開した方がいいと思う人は公開してもいいよ、とも言っています。
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これには、同感できるのだが、半分は、あまり意味が無いとも感じてしまう。「はてな」に限らず、ブログぐらい、その気になれば、簡単に作れてしまう。ここは、あえて、ブログコミュニケーションの練習の授業です、と明言したほうがいいかもしれないと、個人としては、感じる。

すでに、インターネットでのコミュニケーションについては、種々の研究事例などがある。まずは、そういうものを、学生と一緒に読むことから始めようかと思っている。

ただ、大学院生以上が、自分の研究内容にふれるような場合は、慎重にならざるをえないだろう。これは、事情が分かっているものどうして、SNSなど作って交流するのが適切かと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

漢字で書かなければならないということ2009-04-05

2009/04/02 當山日出夫

ARGの岡本さんが、紹介していた本。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20090327/1238108166

牟田静香.『人が集まる! 行列ができる! 講座、イベントの作り方』(講談社+α新書).講談社.2007

この本は、これとして、非常に有益な内容なのであるが、気になったのは、文字についての以下の箇所。別に、ARGとは関係ないのであるが。

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区報など行政の広報では、何日もかけて考えたタイトルを簡単に変えて載せてしまうので要注意です。今は方針が変わりましたが、当時は「『ココロ』としてくれ」と言っても、「漢字で書けるものはカタカナではダメだ!」ということでした。『お父さんと一緒』も本当は『子育て応援団@エセナ 「おとうさんといっしょ!」』だったのに、最初のフレーズは削除され、「おとうさんといっしょ」はすべて漢字になっていました。
p.103
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漢字で書かないといけない、いかにも役人らしい発想である。

いまでは、そうでもないらしい。しかし、そんなに杓子定規にならなくてもよいように思える。小学校なら、習った漢字(教育漢字)は、漢字で書きなさい、という指導もあり得る。だが、日本語一般の文字使用は、もっと柔軟な発想であってよい。

漢字で書くということよりも、より多くの人をあつめる、ということの方が大事であるはず。

また、現行の「常用漢字」も、あくまでも「目安」であるのだから。

當山日出夫(とうやまひでお)

「飛翔体」考2009-04-05

2009/04/05 當山日出夫

だいたい、ことの経緯は、「明窓浄机」の方に書いておいた。また、おがたさんの「もじのなまえ」でも言及がある。

明窓浄机
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/20090405

もじのなまえ
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090405/p1

いったい、日本国政府は何をかんがえていたのか?!

ミサイルとも、人工衛星とも、確認できない段階で、断定的な表現は避けた。この政治的配慮については、わからなくもない。しかし、そうであるならば、北朝鮮が、「ミサイル/人工衛星/テポドン」の発射を予告した時点において、その時に、どう日本国政府として発表するか、用語をかんがえておくべきである。

そして、もし、考えた結果が「飛翔体」であったとするならば、誰が、「新常用漢字表(仮称)」試案、にまともに取り組もうとするだろうか。他にいくらでも表現の仕方があるだろう。やや長いが「ミサイルと思われる飛行物体」でもいいではないか。

北朝鮮のミサイル発射問題とは別に、日本国政府としての、文字使用の感覚に怒りを感じる。本当に緊急事態であるならば、やむをえない。だが、今回は、十分に、時間的余裕があったはず。いったい日本国政府として、何を考えていたのか。

少なくとも、今回のことがあった以上、防衛省としては(というべきか)は、「翔」の時を「新常用漢字表(仮称)」に、入れることを求めるべきだ。また、文化庁としても、この字については、緊急に、「翔」を追加した改訂案を出す必要があるだろう。でなければ、行政としての一貫性は保てない。「新常用漢字表(仮称)」の説得力もない。

當山日出夫(とうやまひでお)

NHKも見はなした常用漢字「翔」2009-04-05

2009/04/05 當山日出夫

7時のNHKニュースでも、「飛翔体」の語をつかっている(ルビなし)。画面で見ると、読売新聞の号外は、「ミサイル」。ともあれ、この件によって、「飛翔体」という語の表記が、日本語に定着するかどうか。事件のインパクトが強いだけに、今後のゆくえが気になる。

しかし、NHKの校閲は何をしているのだろう。放送の文字は、「常用漢字」を目安にするはずではないのか。せめて、ルビぐらいつけたらと思う。

NHKも見はなした「常用漢字」、ということになる。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記

「飛翔体」は、防衛(軍事)関係の専門用語であるらしい。

「もじのなまえ」のコメント
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090405

それから、「日本語練習中」
http://d.hatena.ne.jp/uakira/20090405

當山日出夫(とうやまひでお)

消えた「ミサイル」2009-04-06

2009/04/06 當山日出夫

おがたさんの「もじのなまえ」に、異常なぐらいSBMがついている。
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090405

いろいろ議論はあるとおもうが、私の見るところでは、
・これまで、さんざん、マスコミなどの報道では、「ミサイル」「テポドン」と言ってきた。
・それが、発射された瞬間から、「飛翔体」の用語に変わった。今朝のHNKのニュースでも、「発射」という語はつかっても、「何を」という部分は、あいまいなままで報じている。

この間の、ことばの変化……「敗退」を「転進」というか、「侵略」を「侵攻」というか……これ自体にとまどいを感じる。強いていうならば、こんなふうに用語を変えてしまうのは、政治的にまずいとも思う。北朝鮮の言い分(人工衛星)は、それはそれとして、日本にとっては、ミサイル以外の何物でもない以上、堂々と、「ミサイル」と称し続けるべきであろう。

また、観点は変わるが、ごく普通の用語のようにつかった「飛翔体」の「翔」が、常用漢字には無い、ということも、問題のひとつ。これが、軍事的には一般的な用語であるならば、はじめから、「飛翔体」と言えばいい。常用漢字に配慮するならば、「飛しょう体」「飛翔(しょう)体」などと書く他はない。

當山日出夫(とうやまひでお)

「飛翔体」は政府用語ということで落着か2009-04-06

2009/04/06 當山日出夫

ざっと、オンラインで、新聞社のHPなど見てまわる。あらたにす。

朝日新聞は、「飛翔体(ひしょうたい)」と、して使用。ただし、これは、政府発表を伝えるかたちで。実質的な記事の中身は、ミサイル。

読売新聞は、最初から、ミサイル(テポドン2)。日経も、ミサイル。

一般的な認識としては、「ミサイル」。ただ、政府の発表の用語としては、「飛翔体」。「翔」は常用漢字にないので、ルビで処理。「飛しょう体」では、ちょっとみっともない、いや、軍事的な脅威に乏しい……というところか。

當山日出夫(とうやまひでお)

飛翔体:本当の緊急時ならまず「わかりやすさ」が優先2009-04-07

2009/04/07 當山日出夫

まあ、「飛翔体」の用語・用字をめぐって、議論できるぐらい、日本は平和なのである。漱石『猫』の家のようである。

ただ、言っておかなければならないと思うのは、本当の緊急時=「飛翔体」が攻撃ミサイルであった場合、政府は同じように「飛翔体」と言うだろうか、ということ。本当の緊急時に、何よりも優先するのは、「わかりやすさ」。

今回、たまたま、北朝鮮による、事前の予告もあり、衛星写真が報道でながれたりして、あらかじめ予想できていた。不慮の事態、たとえば、二段目が飛ばなくて日本国内に落ちるとか、こんなことが無かったからいいようなものである。

普通の人々の分かることばで、緊急に、ことを告げなければならない。そのときには、常用漢字の制限とか、国際政治的な配慮とかは、無用になる。まず、わかりやすいこと。これが、最優先。

日本政府は、この「わかりやすさ」ということに配慮したであろうか。

そのうえで、特に緊急の危機になることは無いと予想していたならば、「飛翔体」の用語は適切であったかどうか。用語は、事前に政府内で決まっていたはずである。また、それを報道する新聞などは、どのような用語・用字で対応すべきか、というあたりのことの問題になるかな、と思う。

テレビの報道での表記の混乱ぶりをみると、報道関係もあまり考えていなかったかと思われる。

當山日出夫(とうやまひでお)

「広場の文字/ことば」としての「翔」2009-04-08

2009/04/08 當山日出夫

ともあれ、平和な日本の状態にもどって、すこし考える。

おがたさんの「もじのなまえ」で
ロケットでもミサイルでもなく――再び、なぜ「飛翔体」なのか
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090407/p1

たぶん、私の考えていることと、ほぼ重なるかなと(勝手に思っている)。

「飛翔体」の語は、防衛省関係では、すでに馴染みのある語であるので、政府をこれをつかった。しかし、事前には、使用していない(?)。すくなくとも、ニュースなどでながれていたことばは、「ミサイル」「テポドン」であった。

あるいは、政治的に、問題の無いことばとしてつかった。「ミサイル」か「人工衛星」か不明な段階で、(発射されたまさにその時点において)不明なものを、断定的に表現することは避けた。その結果、「飛翔体」になった。

ミサイル・ロケットなど、ともかく空に飛んで行くものを「飛翔体」というのなら、事前にその用語の説明があった方がよかった。また、事前に、マスコミにも周知しておくべきであった。

今回の件で、「飛翔体」ということばも、「広場のことば/文字」に入ったと考えてもいいだろう。次に、使われるときは、「飛翔体=ミサイル」の意味で、多くの人はつかうことが予想される。

「広場の文字/ことば」であり、可能な限り政治的に中立的であり、という文字は、どのようなものになるのか。というあたりから、「翔」は考え直してみたい。

なお、「新常用漢字表(仮称)」で、「楷書」の「楷」が書けない問題などについては、追って別のところで。

當山日出夫(とうやまひでお)