ARG岡本真さんの立命館での講演会その概要 ― 2009-10-28
2009-10-28 當山日出夫
次週、2009年11月6日(金)、岡本真さん(ARG)の講演会が、立命館大学で開催。これは、グローバルCOE「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」の活動として、行われるもの。
午後6時から、立命館大学アート・リサーチセンター。その後、連続して、同じ場所で、懇親会。ざっくばらんに、デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)とWEBでの情報発信について、議論できたら、あるいは、楽しく会話できたらと思っている。
そのチラシができあがった。次のURLからダウンロードできる。
立命館大学グローバルCOE GCOEセミナー 2009年11月6日
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/seminar/
ここから、開催の趣旨を引用しておく。
>>>>>
インターネット、特にウェブの活用が本格化して10 年以上が経過した。この間、元々学術利用から始まったウェブだけに、様々なデータベースが作成され、ウェブで公開されている。また、大学や研究機関はもとより、学会や研究者といった組織と個人によるウェブでの学術知の発信も様々な事例が見られるようになった。しかし、これらの取り組みは、様々な可能性を示しつつも、課題も少なくない。特に当該分野の研究者にしか活用できない、あるいは当該分野の研究者であっても利用にノウハウを要するデータベースが存在する。また、研究者コミュニティーでのみ通用し、理解される学術情報発信に留まっているサイトもしばしば見受けられる。
本講演では、インターネットの学術利用をテーマにしたメールマガジンACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)を10年以上編集・発行してきた経験と、Yahoo! 知恵袋を企画・設計する等、同じく10年以上に渡ってウェブプロデューサーを務めてきた経験に依拠し、専門家集団のみならず、広く市民・社会に理解・受容される学術情報発信のあり方について議論する。
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多数のみなさんのご来場に期待したい。
當山日出夫(とうやまひでお)
次週、2009年11月6日(金)、岡本真さん(ARG)の講演会が、立命館大学で開催。これは、グローバルCOE「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」の活動として、行われるもの。
午後6時から、立命館大学アート・リサーチセンター。その後、連続して、同じ場所で、懇親会。ざっくばらんに、デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)とWEBでの情報発信について、議論できたら、あるいは、楽しく会話できたらと思っている。
そのチラシができあがった。次のURLからダウンロードできる。
立命館大学グローバルCOE GCOEセミナー 2009年11月6日
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/seminar/
ここから、開催の趣旨を引用しておく。
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インターネット、特にウェブの活用が本格化して10 年以上が経過した。この間、元々学術利用から始まったウェブだけに、様々なデータベースが作成され、ウェブで公開されている。また、大学や研究機関はもとより、学会や研究者といった組織と個人によるウェブでの学術知の発信も様々な事例が見られるようになった。しかし、これらの取り組みは、様々な可能性を示しつつも、課題も少なくない。特に当該分野の研究者にしか活用できない、あるいは当該分野の研究者であっても利用にノウハウを要するデータベースが存在する。また、研究者コミュニティーでのみ通用し、理解される学術情報発信に留まっているサイトもしばしば見受けられる。
本講演では、インターネットの学術利用をテーマにしたメールマガジンACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)を10年以上編集・発行してきた経験と、Yahoo! 知恵袋を企画・設計する等、同じく10年以上に渡ってウェブプロデューサーを務めてきた経験に依拠し、専門家集団のみならず、広く市民・社会に理解・受容される学術情報発信のあり方について議論する。
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多数のみなさんのご来場に期待したい。
當山日出夫(とうやまひでお)
Wikimedia Conference Japan 2009 ― 2009-10-29
2009-10-29 當山日出夫
2009年11月22日
Wikimedia Conference Japan 2009
東京大学で開催である。この件、すでにいろいろWEB上にでまわりはじめている。
本家のURLは、
Wikimedia Conference Japan 2009
http://www.wcj2009.info/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
参考
マガジン航
Wikimedia Conference Japan 2009への誘い
http://www.dotbook.jp/magazine-k/2009/10/28/wikimedia_conference_japan/#more-917
暫定であるが、プログラムも公開になっている(つまり、わたくし(當山)も話しをするという予定です)。でも、何をどうはなすかは、いろいろ考えてしまう。
いまのところおもうこと・・・「みんなの意見」は案外正しい・・・この前提にあるのは、それぞれの独立性・分散性、それに集約性など。ここで、Wikipedhiaを考えると、「集約」のシステムとしてはいい。だが、多様な意見の独立・分散、という視点から見たとき、中立したただしさが保証されるのだろうか、という気がしてならない。
特に、WEBの集合知は、その文化的風土というべきものに、影響される(と、思っている)。日本では、はたしてどうなるか。
そして、日本の伝統的な学知の継承は、その教授法のなかにある、(これは私の体験的持論。)
さて、どうなるか……である。
當山日出夫(とうやまひでお)
2009年11月22日
Wikimedia Conference Japan 2009
東京大学で開催である。この件、すでにいろいろWEB上にでまわりはじめている。
本家のURLは、
Wikimedia Conference Japan 2009
http://www.wcj2009.info/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
参考
マガジン航
Wikimedia Conference Japan 2009への誘い
http://www.dotbook.jp/magazine-k/2009/10/28/wikimedia_conference_japan/#more-917
暫定であるが、プログラムも公開になっている(つまり、わたくし(當山)も話しをするという予定です)。でも、何をどうはなすかは、いろいろ考えてしまう。
いまのところおもうこと・・・「みんなの意見」は案外正しい・・・この前提にあるのは、それぞれの独立性・分散性、それに集約性など。ここで、Wikipedhiaを考えると、「集約」のシステムとしてはいい。だが、多様な意見の独立・分散、という視点から見たとき、中立したただしさが保証されるのだろうか、という気がしてならない。
特に、WEBの集合知は、その文化的風土というべきものに、影響される(と、思っている)。日本では、はたしてどうなるか。
そして、日本の伝統的な学知の継承は、その教授法のなかにある、(これは私の体験的持論。)
さて、どうなるか……である。
當山日出夫(とうやまひでお)
図書館の本の廃棄について ― 2009-10-30
2009-10-30 當山日出夫
都立図書館の書籍廃棄について、最新の情報。
ポット出版 松沢呉一の黒子の部屋
お部屋1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091030_011904493914868.html
図書館の本といっても多様である。1冊あればいい、というものではない、しかし、たくさんあればいいのかというと、そうでもない。
大学図書館などでは、学習用の基本図書は、複数が必要。アメリカの大学院教育なみに、予習・復習をかならず、というほどでもないにしても、基本的文献は、複数冊がそろえておく必要がある。でないと、学生の勉強に困る。
あるいは、公共図書館で、その時のベストセラー作品への需要が急激に増える場合など。対応のために、複数冊、必要ということもあるだろう。(この点については、図書館は、無料貸本屋でいいのか、という批判の論点になったりもする。)
しかし、いずれの場合にせよ、時間がたてば、それほどの冊数は、いらなくなる。テキストも古くなる。ベストセラーも読まれなくなる。このような場合は、処分(廃棄)もやむをえないだろう。これを、認めるにやぶさかではない。
では、複本がまったく必要ないのか、あるいは、他の図書館にあれば、それで十分であるのか、というと、私は、必ずしも賛成するものではない。
余裕があるなら、持っておくにこしたことはない。無くなってから(破損してから、所在不明になってから)では、遅い。複本を保存しておくためだけの書庫(倉庫)は、そんなにコストがかかるものなのだろうか。
東京都の図書館の事例でいうならば、廃棄するとしても、実際の本をみくらべて損傷の少ない方(きれいな方)を残す……これが、常識的判断だろう。それを、コンピュータの検索で重複しているからといって、強引に、実物を見ることなく、廃棄という処分は、乱暴であると思われる。
でなければ、1冊ごとに、実物をつきあわせるしかない。これにかかるコストと、ごっそりと保管しておくための書庫(倉庫)を建てて移管してしまうのと、いずれが、未来に対して責任のもてる行為であるか。また、現実的に、安くできるか。
基本的に、本を残すという行為それ自体に、社会的にどれほどの意義をみとめているか、だと思う。古いことばだが、「有害図書」であっても、「のこす」という文化的な基盤が必要と考える。個人コレクションの受け入れなども、である。
そのうえで、一方で、今回、東京都の図書館の事例が問題になったのは、昨今のあまりにも偏った文化行政のあり方への批判があるだろう。メディア芸術(マンガ・アニメなど)についても、「のこす」べきであるが、もっと別のアプローチがあるだろう。それに、減る一方である、教育研究関係の予算。図書館が本を買えないでいる。それなのに、棄てるとはなにごとであるか、と感じる人がいてもおかしくはない。
ともあれ、モノとしての本を「のこす」ことの基盤の無いところで、書籍のデジタル化を議論しても、著作権(=利権としての)の奪い合いで終わってしまうように思えてならないのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
都立図書館の書籍廃棄について、最新の情報。
ポット出版 松沢呉一の黒子の部屋
お部屋1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091030_011904493914868.html
図書館の本といっても多様である。1冊あればいい、というものではない、しかし、たくさんあればいいのかというと、そうでもない。
大学図書館などでは、学習用の基本図書は、複数が必要。アメリカの大学院教育なみに、予習・復習をかならず、というほどでもないにしても、基本的文献は、複数冊がそろえておく必要がある。でないと、学生の勉強に困る。
あるいは、公共図書館で、その時のベストセラー作品への需要が急激に増える場合など。対応のために、複数冊、必要ということもあるだろう。(この点については、図書館は、無料貸本屋でいいのか、という批判の論点になったりもする。)
しかし、いずれの場合にせよ、時間がたてば、それほどの冊数は、いらなくなる。テキストも古くなる。ベストセラーも読まれなくなる。このような場合は、処分(廃棄)もやむをえないだろう。これを、認めるにやぶさかではない。
では、複本がまったく必要ないのか、あるいは、他の図書館にあれば、それで十分であるのか、というと、私は、必ずしも賛成するものではない。
余裕があるなら、持っておくにこしたことはない。無くなってから(破損してから、所在不明になってから)では、遅い。複本を保存しておくためだけの書庫(倉庫)は、そんなにコストがかかるものなのだろうか。
東京都の図書館の事例でいうならば、廃棄するとしても、実際の本をみくらべて損傷の少ない方(きれいな方)を残す……これが、常識的判断だろう。それを、コンピュータの検索で重複しているからといって、強引に、実物を見ることなく、廃棄という処分は、乱暴であると思われる。
でなければ、1冊ごとに、実物をつきあわせるしかない。これにかかるコストと、ごっそりと保管しておくための書庫(倉庫)を建てて移管してしまうのと、いずれが、未来に対して責任のもてる行為であるか。また、現実的に、安くできるか。
基本的に、本を残すという行為それ自体に、社会的にどれほどの意義をみとめているか、だと思う。古いことばだが、「有害図書」であっても、「のこす」という文化的な基盤が必要と考える。個人コレクションの受け入れなども、である。
そのうえで、一方で、今回、東京都の図書館の事例が問題になったのは、昨今のあまりにも偏った文化行政のあり方への批判があるだろう。メディア芸術(マンガ・アニメなど)についても、「のこす」べきであるが、もっと別のアプローチがあるだろう。それに、減る一方である、教育研究関係の予算。図書館が本を買えないでいる。それなのに、棄てるとはなにごとであるか、と感じる人がいてもおかしくはない。
ともあれ、モノとしての本を「のこす」ことの基盤の無いところで、書籍のデジタル化を議論しても、著作権(=利権としての)の奪い合いで終わってしまうように思えてならないのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
図書館に雑誌を寄付する ― 2009-10-30
2009-10-30 當山日出夫
これはTwitterから。wasami0722さん。
泉佐野市立図書館の雑誌寄贈のことが紹介。
雑誌寄贈のお願い
http://www.city.izumisano.lg.jp/section/library/topic/kisoumag.html
>>>>>
予算の削減にともない、雑誌の購入を一部停止させていただきました。このたび、次のとおり雑誌の寄贈を募集いたしますので、市民の皆様のご協力をお願いいたします。
なお、寄贈に際しては、
* 寄贈雑誌は破損・落書き等のないこと
* 発刊後、週刊誌は1週間、月刊誌は2週間、季刊誌は1ヶ月以内に寄贈できること
* 中央図書館に直接持参または郵送(送料は寄贈者のご負担)できること
* 少なくとも1年間は継続して寄贈できること
とさせていただきます。
<<<<<
リストを見ると「25ans」「an・an」などから、「みんなの手話」「現代思想」「現代詩手帳」「レコード芸術」などの雑誌がならんでいる。
まあ、「現代思想」をずっと買って、図書館にという人はあまりいそうにないが、雑誌の種類によっては、定期購読するものの、自分の家には置けないという例もあるだろう。古紙にするのではなく、図書館に寄付する。それをうけつけてくれる図書館がある、というのは、ありがたいことである。
ちなみに「現代思想」の11月号の特集は、「特集:大学の未来」である。
當山日出夫(とうやまひでお)
これはTwitterから。wasami0722さん。
泉佐野市立図書館の雑誌寄贈のことが紹介。
雑誌寄贈のお願い
http://www.city.izumisano.lg.jp/section/library/topic/kisoumag.html
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予算の削減にともない、雑誌の購入を一部停止させていただきました。このたび、次のとおり雑誌の寄贈を募集いたしますので、市民の皆様のご協力をお願いいたします。
なお、寄贈に際しては、
* 寄贈雑誌は破損・落書き等のないこと
* 発刊後、週刊誌は1週間、月刊誌は2週間、季刊誌は1ヶ月以内に寄贈できること
* 中央図書館に直接持参または郵送(送料は寄贈者のご負担)できること
* 少なくとも1年間は継続して寄贈できること
とさせていただきます。
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リストを見ると「25ans」「an・an」などから、「みんなの手話」「現代思想」「現代詩手帳」「レコード芸術」などの雑誌がならんでいる。
まあ、「現代思想」をずっと買って、図書館にという人はあまりいそうにないが、雑誌の種類によっては、定期購読するものの、自分の家には置けないという例もあるだろう。古紙にするのではなく、図書館に寄付する。それをうけつけてくれる図書館がある、というのは、ありがたいことである。
ちなみに「現代思想」の11月号の特集は、「特集:大学の未来」である。
當山日出夫(とうやまひでお)
NHKクリエイティブ・ライブラリー ― 2009-10-31
2009-10-31 當山日出夫
これも、Twitterで知った。narrensteinさん。
NHKクリエイティブ・ライブラリー
http://cgi2.nhk.or.jp/creative/cgi/page/Top.cgi
「見る」NHKから、「使って、つくる」NHKへ
とある。NHKの番組から、映像として「フェアユース」として利用可能なものを、提供する、と理解すればいいだろう。利用規程は、もちろんある。
二次的な加工は可能、となっている。これは、非常に素晴らしい。多くの、いわゆるデジタルアーカイブが、アカデミックな利用のみ、しかも二次加工を許さない、見るだけ、という例が多いなかでは、異色の存在であり、有意義である。
商業目的での利用禁止、これは、現時点ではやむをえないか。しかし、これを突破口にして、NHKがその映像資源を商品として売る、というビジネスも、成立するかもしれない。私は、むしろ、この可能性に期待したい気がする。
社会のなかで、ある文化資源が有効活用されること、これは、その市場が存在すること、それによる経済活動が活発におこなわれることと、つながる。アカデミック利用のみというデジタルアーカイブが、実は、市場の活性化につながらない、極端にいえば、その分野を抑圧してしまう……このような事態が、おこりうる。
たとえば、どんな「学術書」でも、書店・出版社・印刷会社にとっては、「商品」である、このような視点も重要である。デジタルアーカイブが学術利用だけと言いながら、一方で、学術出版不況をなげく、これは、何かおかしいと私は思う。社会全体として、市場の活性化、これが基本だろう。そのなかでこそ、学問も社会のなかで存在意義がある。
當山日出夫(とうやまひでお)
これも、Twitterで知った。narrensteinさん。
NHKクリエイティブ・ライブラリー
http://cgi2.nhk.or.jp/creative/cgi/page/Top.cgi
「見る」NHKから、「使って、つくる」NHKへ
とある。NHKの番組から、映像として「フェアユース」として利用可能なものを、提供する、と理解すればいいだろう。利用規程は、もちろんある。
二次的な加工は可能、となっている。これは、非常に素晴らしい。多くの、いわゆるデジタルアーカイブが、アカデミックな利用のみ、しかも二次加工を許さない、見るだけ、という例が多いなかでは、異色の存在であり、有意義である。
商業目的での利用禁止、これは、現時点ではやむをえないか。しかし、これを突破口にして、NHKがその映像資源を商品として売る、というビジネスも、成立するかもしれない。私は、むしろ、この可能性に期待したい気がする。
社会のなかで、ある文化資源が有効活用されること、これは、その市場が存在すること、それによる経済活動が活発におこなわれることと、つながる。アカデミック利用のみというデジタルアーカイブが、実は、市場の活性化につながらない、極端にいえば、その分野を抑圧してしまう……このような事態が、おこりうる。
たとえば、どんな「学術書」でも、書店・出版社・印刷会社にとっては、「商品」である、このような視点も重要である。デジタルアーカイブが学術利用だけと言いながら、一方で、学術出版不況をなげく、これは、何かおかしいと私は思う。社会全体として、市場の活性化、これが基本だろう。そのなかでこそ、学問も社会のなかで存在意義がある。
當山日出夫(とうやまひでお)
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