グーグルとアメリカ政府のデジタル戦略2009-10-20

2009-10-20 當山日出夫

これも、もとは、twitterから。

日経デジタル・コア
【ネット時評 : 城所岩生(国際大学GLOCOM)】
グーグル和解問題に見る米国のしたたかな国家戦略
http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2009/10/post_208.html

この記事を見ると、政府レベルでは、アメリカは、完全にデジタルの方向にむかっていることが、理解できる。基本路線として、グーグルブックサーチをみとめるとして、では、それを、どのように承認していくか、そのプロセスをさぐっているようにさえも思える。

これにくらべて、我が国は……と、やはり、こころもとない。政府レベルでの大規模デジタル化、どうなるだろうか。

公共事業は、その事業の結果としてできたものを使うひとのためにつくる。作るひとのためだけ(ざっくばらんにいえば、建設業者とか)の、目先の利益と、すぐに結果のでる効果だけをねらってのものではないだろう。

といって、建設業を否定するのではない。その建物や道路を本当につかうひとが、しあわせになれるようなものをつくるべきだ、ということ。

で、もとにもどって、グーグル。国家規模での、大規模デジタル投資が必要だろう。それにむけての法整備も……というと、じゃあ、それにむけて「議論」しましょう……となる。議論はもういい、まず、動き出すことだ、と敢えて言っておきたい。

未来のために、デジタル資産(Digital Cultural Heritage)を残そう。

當山日出夫(とうやまひでお)

本は地域にあるべき2009-10-20

2009-10-20 當山日出夫

多摩図書館の件、

ブログ:図書館学徒未満
多摩図書館の件
http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20091020

に、ある都議会議員からの回答が掲載になっている。読んでみて……気になるのは次の箇所。

>>>>>
今回多摩に保存してあった約15万冊の行政資料・地域資料(都・区・市町村に関するもの)を都立図書館に集約した結果、約75,000冊がダブっていたため、
<<<<<

この「行政資料・地域資料」というのは、具体的にどのようなものなのだろうか。75000もダブるというのは、いったいどのような書籍・資料なのだろうか。

書庫がない……そうかもしれない。しかし、個人で、万の蔵書があるような人間はざらにいる(たぶん、私の蔵書も万にはおよばないかもしれないが、かなりある)。75000といえば、大量のようだが、ちょっとした蔵書家、7~8人分ではないか。この程度の分量の本を所蔵することもできないのか。

むかし、ならったある先生。個人でも1万冊の本をもっている。大学の図書館は、50万冊と言っている。個人・大学で、たった、50倍の差しかない、と。これは単に量・冊数の問題であるが、収納スペースからすれば、これはたいした問題ではない。

そうはいっても、一般の書籍ではないだろう。「行政資料・地域資料」という以上は、その地域で、責任を持って保存するのが、もっとも正しいとおもうのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『或る「小倉日記」伝』2009-10-21

2009-10-21 當山日出夫

統計的にはめづらしいことではない。たまたま、誕生日が一致するということなど。しかし、そうはいっても、現実に、それに遭遇すると、ふと奇妙な気分になる、というか、うれしくなったりもする。

実在の人物ではない。田上耕作、である。このひとは、松本清張、『或る「小倉日記」伝』の主人公である。

ふと、松本清張の作品を読みたくなって、

『宮部みゆき責任編集 松本清張短編コレクション』(上).文春文庫.文藝春秋.2004

をよみはじめている。もちろん、『ある「小倉日記」伝』は、冒頭に出てくる作品。芥川賞受賞作、である。芥川賞受賞作の、主人公と同じ誕生日であるというのは、まことに光栄なことなのである……と、かってによろこぶことにした。

當山日出夫(とうやまひでお)

石川県のカラーユニバーサルデザイン2009-10-21

2009-10-21 當山日出夫

Twitterからの情報。

石川県のカラーユニバーサルデザインのホームページについての情報。とりあえず、メモがわりに記しておく。

石川県のCUD(カラーユニバーサルデザイン)
http://www.irii.jp/staff/home/mmm/cud/guideline.htm

参考

やまもも書斎記 2009年5月9日
『CUDカラーユニバーサルデザイン』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/05/09/4295485

CUDO(カラーユニバーサルデザイン機構)
http://www.cudo.jp/

當山日出夫(とうやまひでお)

立命館で岡本真さんの講演会です2009-10-22

2009-10-22 當山日出夫

『ARG』の最新(397)には掲載。
「学術知を市民知に変える学術情報発信へ-特にウェブ活用の観点から-」

◆2009-11-06(Fri):
立命館大学グローバルCOEプログラム日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点GCOEセミナーで「学術知を市民知に変える学術情報発信へ-特にウェブ活用の観点から」と題して講演します。
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/seminar/

このセミナー(講演会)、基本は、公開・参加自由。『ARG』のミニ京都オフ会とでも思って、ご自由にご参加ください。懇親会からでもOKです。

※まだ、正規のプログラム案内は、これを書いている時点では、立命館の方では掲載になっていない(基本的に月単位、現在、10月まで。)

現時点でわかっていること(と、私が理解していること)
===================================
講演タイトル:「学術知を市民知に変える学術情報発信へ-特にウェブ活用の観点から-」
 ※テーマとしては、Webにおける学術情報の発信について、の方向
日時:11月6日(金)18:00-19:30
会場:立命館大学アート・リサーチセンター多目的ホール
内容
・人文学研究におけるWebでの情報発信の現状
・研究対象に応じたDB・グーグルマップ・ブログなど適切な形態
・学術情報を扱うWebデザインのありかた(見やすさと学術性のバランス)など
※終了後、意見交換会をかねた懇親会を予定しております。
===================================

懇親会場は、未定。なるべく、ざっくばらんに話しができるような場所にしたいというのが私の希望。ただ、そのような場所が確保できるかどうか。実際に担当の、PDのひとたちにまかせている。詳しい情報がわかりましたら、このブログで掲載します。是非、みなさん、特に、京都近辺の、図書館関係、人文情報学に関心のあるみなさんの、参加を期待します。

當山日出夫(とうやまひでお)

龍村の名刺入れ2009-10-23

2009-10-23 當山日出夫

ちょっと高かったが、衝動的に買ってしまった。龍村のカードケース(名刺入れ)。

これまで、ずっと、使ったきたのが傷んできた。革製のものであるが、かなり劣化がめだつようになってきた。革製品というのは、使い込むと味が出るものだが、それも、ある一定限度以上をこえると、劣化、という段階になる。

さて、そろそろ買い換えの時か……と思っていた。

この前、京都から東京に行くとき、ある用件で、手土産でもと思って、おみやげものを見てあるく。左党の人の口にでもあいそうなお菓子をさがす。買った後で、まだ時間があったので、あれこれと見てまわった中にあった。

少し高い。でも、通常のブランド品の名刺入れでも、これぐらいはするだろうという範囲。で、思い切って買ってしまった。龍村美術織物のカードいれ(名刺入れ)である。

書斎冬眠人間である私としては、我が書斎(ネコがあるくにも困るほど)で、本を読んでいたい。しかし、出かけて、ひとと名刺交換……これも必要なときがある。

パソコンで作った自作の名刺である。もちろん、このブログのことも記載してある。あるとき、ひとにわたした一枚の名刺が、人生を変えることがある、かもしれない……以下、蛇足でいえば、若い研究者(院生・PD)に自分の名刺を作れ、と何故、指導しないのだろう、と感じたことが幾度かある。すでに、職のある自分(先生)は、あまり必要ないのかもしれない。しかし、これから、という若い人にとっては、どこにどのようなチャンスがあるかわからない。

研究の指導も大事だろうが、「自分の名刺をつくりなさい」と、はっきりと言うべき時代ではないだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

『若き友人たちへ』2009-10-24

2009-10-24 當山日出夫

自分で使ってみたいと思いながら、使えないでいることばの一つ、「若い友人」。

おそらく、このことばをどのように受け止めるかは、育った、学んだ、時代や環境によるだろう。私の知見の範囲では、この「若い友人」は、ある東洋学者の好んで使ったことばである。

その意図はわかる、つもり。いわゆる教え子なのであるが、弟子とはいいたくない。ここまでいい。だが、同時に、同じ学問領域を共有している仲間どうし、という身内意識も、なにがしか感じる。

個人的経験をいえば、若いとき(学生のころ)、「若い友人」という表現には、共感すると同時に、なにがしかの反発を感じたことも確かである。しかし、よわい、知命をすぎると(次の年齢の節目まで数年以上あるが)、自分がしてきたことを、どのようにして、次の世代に継承するか、ということを考えるようになる。「若い友人」ということばが、自分が若かったときとは、また、逆の立場で、気になる。

その「若い友人」を書名につかった本。

筑紫哲也.『若き友人たちへ-筑紫哲也ラスト・メッセージ-』(集英社新書).集英社.2009
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-720515-2&mode=1

この本、読み始めて付箋をつけた箇所。

>>>>>

「近ごろの若い者は……」と大人たちがあげつらっていることのほとんどは的外れか、しばしば逆ではないかと私は思っています。

私が心配なのは、にもかかわらず、「近ごろの若い者」があまりにも優しくてナイーブなために、そういう評価にふり回され、自分を見失いかねないことです。

p.26

<<<<<

當山日出夫(とうやまひでお)

これからの予定など2009-10-25

2009-10-25 當山日出夫

11月の予定で、人文情報学にかかわりのありそうなものを書いておく。私が出る予定について。(公開で書いていいと思われるもの)。

11月6日(金) 立命館大学のGCOE火曜セミナーで、岡本真さんの講演。
「学術知を市民知に変える学術情報発信へ-特にウェブ活用の観点から」
午後6:00から、衣笠ARC。懇親会は、その後(場所、未定)。
※できるだけ開放的に、いろんな人が集まれるようにしたいが、どうなるかは未定。

11月22日(日) Wikimedia Conference Japan 2009 (東京大学)で話しをします。でも、なにをどう話すかは、全体の様子をみてから。これは言いたいということはあるが、企画全体のなかでの自分の位置づけを考えている途中。

11月28日(土) 「人文科学とデータベース」シンポジウム 神戸大学

12月4日(金)5日(土) アート・ドキュメンテーション学会20周年記念フォーラム 東京国立博物館

12月18日(金)19日(土) じんもんこん2009 シンポジウム 立命館大学BKC

この間に、たぶん、漢字文献情報処理研究会などが、はいってくるだろう。あ、そうえいば、書いていない書類があった。書かないと……

當山日出夫(とうやまひでお)

雨の日におもう2009-10-26

2009-10-26 當山日出夫

そういえば、晴耕雨読という言葉がある。こんな日は、家で本でも読んですごすのが、正しいのだろうが……今の時代、そうもいかない。

人間の日常生活が天候に影響されなくなった、これは文明の発達による。しかし、一方で、微妙な季節の天候の変化に鈍感になりつつあるような気がしないでもない。(いかにも、紋切り型の表現になるが)。

むかしの童謡、「あそびにいきたし、かさはなし」。傘が無くて、雨の日には、外に出られない……これは、ある程度、リアルなことであったのかもしれない。今の生活では考えられないが。傘など、コンビニで、100円出せば買える。

『放浪記』(林芙美子)のような時代があったことが、そのような生活をしていた人たちがいたことが、忘れられていく。『放浪記』でなければ、『にあんちゃん』でも。さもなくば、『明治大正史世相篇』(柳田国男)。

當山日出夫(とうやまひでお)

図書館の蔵書廃棄をMLAの視点から見ると2009-10-28

2009-10-28 當山日出夫

tanemoriさんのコメントについて、少し考えてみる。

本は地域にあるべき
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/10/20/4643919

のコメントのなかで言及のポット出版のブログ
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091022_012237493914733.html
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091025_045159493914775.html
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091026_020453493914786.html
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091027_123210493914816.html

ここをざっと読んでの感想をいえば、MLAの役割が錯綜している。
M=ミュージアム 博物館・美術館
L=ライブラリ 図書館
A=アーカイブズ 文書館
これを総称して「MLA」という。この連携がうまくいっていないことが、日本の問題としてある。さらにいえば、そもそも、近代的な「A(アーカイブズ)」の概念が、確立していないし、社会的に認知されていない。

郷土資料といった場合、これは、MLAがどのように分担すべきことなのか、このあたりの議論の整理がまず必要だろう。

一般論としては、図書館の蔵書の管理の問題。単に、書庫(倉庫)を建てて、不要になった本(かもしれないが、将来、ひょっとすると必要かもしれない)を、とありえず保管しておく。これは、そんなにコストのかかることなのだろうか。よしんば、コストがかかったとしても、世の中から消えてなくなってしまった本を復元する(再刊する)コストに比較すれば、安いものであろう。

また、一方で考えるべきことは、郷土資料館、公文書館、というものの機能である。図書館が、なにもかもかかえこむことはない。文書館をつくって、そこで管理すべきもののあるはずである。あるいは、博物館の方が、適当という資料もあるだろう。

図書館の蔵書管理、不要になった本の廃棄処分は、MLA連携がうまく機能していない不幸なのかもしれない。

そして、最後に言っておかねばならないこと。図書館が、本を廃棄するならば(それはやむをえないとしても)、誰がその決定を下したか、そして、そのリストはどうであるのか、きちんと記録を残さなければならない。図書館の、業務としてのアーカイブズである。このことにかかるコストを惜しむべきではない。

ライブラリにはライブラリの使命がある。そして、その使命をはたすために、ライブラリのアーカイブズが必要なのである。

當山日出夫(とうやまひでお)