『ひよっこ』あれこれ「あかね荘にようこそ!」2017-06-18

2017-06-18 當山日出夫(とうやまひでお)

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/

第11週 あかね荘にようこそ!
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/11/

この週から、本格的にみね子が、すずふり亭で働き始める。このドラマをみていて感じることは、「普通」に「労働」することの意味である。

奥茨城での農家の生活。ドラマでは、特に稲刈りのシーンが印象的に描かれていた。それから、事情(父親の失踪)があっての東京での集団就職。向島電機でのトランジスタラジオの製造と、寮生活。そして、失業、転職ということで、すずふり亭でのホール係。

これら、特に際立った仕事をしているというわけではない。おそらく、昭和40年頃の、地方の、東京の、ごく「普通」の生活を描いている。それが、見ていると、しみじみと感じるものがある。それは、「普通」に「労働」するということの意味を、このドラマは、改めて問いかけているからだろうと思う。

多少の改善はあるかもしれないが、近年の日本の労働環境は厳しい。ブラック企業の話題にはことかかない。過労死などのニュースも珍しいものではない。

すずふり亭の店主(鈴子、宮本信子)は言っていた。仕事のことは仕事の時間内でおわらせる、家にもちかえってはいけない、と。働くときは働くが、休むべきときは、休めばよい。

当たり前のことである。だが、その当たり前のこと、「普通」のことが難しくなってきているのが、21世紀になっての日本の現状である。かつての1960年代、高度経済成長期の日本、まだ社会全体としては貧しかったかもしれないが、「普通」の人間が「普通」に「生活」し「労働」する、この「普通」が生きていた時代であったともいえよう。

この「普通」の暮らしの尊さというべきものを、このドラマは、特に何か大事業をなすというでもないヒロインを通じて描いている。ここが、この『ひよっこ』の良さなのだと、私は思って見ている。

また、その一方で、以前に出てきたような、父親の東京での出稼ぎ生活というものがあった。今からみれば、過酷な労働環境である。そのような環境で働いていた人たちがいたことも、忘れてはいけないだろう。

金曜日の放送で出てきた、省吾(シェフ)の戦争時の回想。1960年代、まだ戦後が完全に終わったという時代ではない。人びとの記憶のなかには、戦争のときのことがまだ、各人各様に残っている。これは、乙女寮の愛子(舎監)にもいえたことでもある。

そして、「普通」の「生活」を描くといっても、みね子の住んでいるあかね荘は変わった人ばかりのようである。だが、悪い人はいないようだ。なかでも一番変わっているのが、大家さん(白石加代子)である。

次週は、何か事件がおこるようである。楽しみに見ることにしよう。

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