『半分、青い。』あれこれ「支えたい!」2018-07-29

2018-07-29 當山日出夫(とうやまひでお)

『半分、青い。』第17週「支えたい!」
https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/story/week_17.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年7月22日
『半分、青い。』あれこれ「抱きしめたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/22/8923031

この週の見どころは、前半は涼次の映画の世界での挫折、そして、後半は鈴愛の出産である。

第一に、涼次の映画での挫折。挫折と言ってしまうのは、どうかと思うが、やはりこれは、挫折ということば言うのが一番しっくりくる展開であった。

中で印象的だったのが、作家・佐野弓子(若村麻由美)と、元住吉祥平(斎藤工)のやりとり。涼次が書いた脚本を、元住吉祥平は自分に監督をやらせてくれと、佐野弓子に懇願する。それを見て、佐野弓子が、このような意味のことを言っていた……いい人では、この世界は生きのびていけない、と。結果としては、監督は元住吉祥平に決まり、涼次は壊れてしまう。映画の世界からも、きっぱりと手を引く決心をすることになる。

このあたりの描写、脚本家としての北川悦吏子が、それなりの矜恃を込めて書いたと考えていいだろう。こうして、NHKの朝ドラの脚本を書いている自分は、いい人なのか、それとも悪い人なのか、いや、そうではなく、出来上がって、今テレビで見ているこのドラマがすべてである、とでも言いたげな印象をうけた。

このドラマ、先には、漫画の世界のことを描いていた。ただ、努力するだけではダメである。才能というものが必要である。秋風羽織に実力の差を見せつけられて、結果的に、鈴愛は、漫画の世界から身をひくことになった。

映画・脚本の世界で、涼次は、確かに実力をつけてきていたのだろう。出来上がった脚本に、佐野弓子も感心していたようだ。だが、実力があっても、いい人であるだけでは、この世界で生きのびることはできない。涼次の脚本であることを認識しつつも、佐野弓子は、元住吉祥平に監督を依頼することにする。

ここに、かすかな悪意とでもいうようなものを感じるのだが、しかし、その佐野弓子も、また、ただ努力しただけで、作家としての今の地位をきづいたというわけでもないようだ。努力だけではない、才能も必要、さらには、その才能をつかって仕事をつかみとる運のようなものが必要ということなのかもしれない。

第二は、週の後半、鈴愛の出産である。思い起こせば、このドラマは、鈴愛が母(晴)から生まれてくるところからスタートしていた。そのときに使っていた糸電話が、再び登場していた。このあたりは、たくみな脚本であると感じさせる。

東京に行って生活することになって、最初は漫画家をめざし、今は百円ショップで働いていても、岐阜方言が抜けていない、このような鈴愛にとって、故郷の岐阜には帰る家がある。家族が待っている。

その父と母は、子どもが生まれても、「おとうさん」「おかあさん」ではなく、「うーちゃん」「はるさん」で呼び合っている。鈴愛と涼次は、そのような夫婦になろうとする。このあたりのことばの感覚はたくみである。

出産は、鈴愛がかつて生まれた病院で、ということになった。無事に出産は終わったようである。これから、母としての鈴愛の人生がスタートすることになる。

以上の二点が、この週で思ったことなどである。

次週は、母としての鈴愛の姿を描くことになるのであろう。予告では、律も登場するようだ。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-08-05
この続きは、
やまもも書斎記 2018年8月5日
『半分、青い。』あれこれ「帰りたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/05/8934079