『幻影の明治』渡辺京二2018-10-19

2018-10-19 當山日出夫(とうやまひでお)

幻影の明治

渡辺京二.『幻影の明治-名もなき人びとの肖像-』(平凡社ライブラリー).平凡社.2018 (平凡社.2014)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b372202.html

渡辺京二の明治時代についてのいくつかの文章を編集したものである。もとの本も持っていたかと思うのだが、平凡社ライブラリー版が出たので、これで読んでみることにした。

この本は、まず、山田風太郎の明治小説についての論評からはじまる。著者(渡辺京二)は、よほど山田風太郎が気にいっているらしい。

山田風太郎の明治小説……あるいは、私としては、明治伝奇小説といいたいのだが……これについては、私も高く評価することでは負けていないと思う。『警視庁草紙』を読んだのは、学生のころだったろうか。これは、文庫本で読んだのを憶えている。これをきっかけに、山田風太郎の明治伝奇小説は読んできた。その多くは、単行本で出た時に買って読んできている。

それから、『戦中派不戦日記』も強く印象に残っている。あの硬質な文体でこそ、戦時中を生きのびたと感じさせる。

ともあれ、山田風太郎の明治伝奇小説のファンとして、渡辺京二もいることになる。これは、私としてもうれしく思ったことである。

その他、この本には、明治、近代についての様々な考察が収められている。読みながら付箋をつけた箇所を一つ引用しておく。

「そしてこの近代国民国家なるものは、徳川期日本もそのひとつである近世国家とは重大な一点で決定的に相違してた。すなわち、近世国家においては統治者以外の国民はおのれの生活圏で一生を終えて、国家的大事にかかわる必要がなく、不本意にもかかわらねばならぬときは天災のとごくやりすごすことができたのに対して、近代的国民国家においては国民は国家的大事にすべて有責として自覚的にかかわることが求められた。」(p.98)

近代における国家と国民との関係は、まさにここに指摘してあることになるのだろう。

ところで、著者(渡辺京二)は、司馬遼太郎が嫌いらしい。『坂の上の雲』について、手厳しく批判してある。この批判の箇所は、読んでなるほどと感じるところがある。

渡辺京二の本としては、『逝きし世の面影』を読んだのはかなり以前のことになる。その後、出た本は買って未読のものがある。「歴史家」としての渡辺京二の本を、読んでおきたいと思う。

追記 2018-10-20
この続きは、
やまもも書斎記 2018年10月20日
『幻影の明治』渡辺京二(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/20/8978564