『西郷どん』あれこれ「傷だらけの維新」2018-10-16

2018-10-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年10月14日、第38回「傷だらけの維新」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/38/

前回は、
やまもも書斎記 2018年10月9日
『西郷どん』あれこれ「江戸無血開城」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/09/8970383

まあ、これはこれで明治維新というものの描き方の一つなんだろうなあ、と思うのだが、ドラマとして面白いかどうかとなると、どうだろうか。あるいは、このようなことを感じることの背景としては、私なりの西郷隆盛のイメージがあってのことなのかもしれない。

歴史としては、官軍をひきいて戊辰戦争を戦ったのは、西郷吉之助ということになる。それを、このドラマは、軍の司令官とその私情……弟の吉二郎とのこと……において描いていた。

しかし、私などが期待するのは、来たるべき国家の経綸をめぐって、その主軸となった西郷のイメージなのである。あるいは、敵であった旧幕府軍の方にどのような正義があったのか、このあたりのことも気になる。

新しい国家……明治の国家……を建設するためには、旧幕府軍は徹底的にうちのめさなければならない。そして、それは、徳川幕府に代わる、新しい明治国家の建設の展望があってのことでなければならない。ここのところが、まったく描かれていなかった。

むしろ、この回の最後では、西郷は、一連の倒幕運動、新国家建設の動きから、身をひくことを決意したかのごとくである。自分の役目はもう終わった……と。それならば、それはそれとして、なぜ、旧幕府をこわさねばならないのか、その歴史観のようなものが描かれていてもよかったのではないだろうか。

このドラマには、江戸時代から、明治政府になるにあたって、その当事者たちをどう描くかということについての歴史観が見られないのである。

西郷が、自分の役目はもう終わったと思うならば、それはそれでよい。だが、それは、明治維新という大きな歴史の変革の当事者としての意識でなければならない。ただ、身内の吉二郎を死なせてしまったということではないはずである。そのような私情を越えたところにある、西郷という人物の位置づけがあるのではないか……まあ、いってみれば、これは、私なりの西郷のイメージの投影にすぎないかもしれないのだが。

ところで、次回以降、菊次郎が登場するらしい。明治なってから、西南戦争がおわってから……回顧してみて、西郷は何をなした人物なのか、そこを問いかけることになるのだろうか。これはこれとして、一つのドラマをつくる視点ではあると思う。

追記 2018-10-24
この続きは、
やまもも書斎記 2018年10月24日
『西郷どん』あれこれ「父、西郷隆盛」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/24/8980911