『幻影の明治』渡辺京二(その二)2018-10-20

2018-10-20 當山日出夫(とうやまひでお)

幻影の明治

渡辺京二.『幻影の明治-名もなき人びとの肖像-』(平凡社ライブラリー).平凡社.2018 (平凡社.2014)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b372202.html

この本についてさらにつづける。

やまもも書斎記 2018年10月19日
『幻影の明治』渡辺京二

明治初期の士族反乱にふれて次のようにある。引用しておきたい。

「だが、この二例で明らかなのは、思想というものの力だと思う。むろん、士族反乱には、彼らの階級的利害が紛れ込んでくる。だが、それがいかなる思想によって導かれたかということをみないでは、後藤順平のような博労、広田尚のような豪農が剣をとった動機は、ついに歴史の中に埋没するだろう。そういう埋没に痛む心こそ、歴史する者の心ではないだろうか。」(pp.126-127)

また、自由民権運動については、

「自由民権というと、いかにも近代的個人の自由の主張のように聞こえますが、その実体はこのような、古き共同性の喪失の危機感であったのです。旧藩時代に存在していたような社会の絆、さらに参政権をわれわれは失ってしまった。それを再建せよというのが「自由民権」であったのです。」(p.144)

さらに、新保裕司との対談で、自らについてつぎのように語る。

「(渡辺)というよりも、それ以前に、僕はある意味で「日本人」じゃないんです。日本人であることは間違いないけれども、昨日も、大連一中の同窓会で、「君が『逝きし世の面影』を書けたのは、大連にいたからだよね。引揚者だから書けたんだ」と言われた。全くその通りなわけです。」(p.203)

どのような姿勢で「歴史」に対するのか……渡辺京二の書いたものを、さらに読んでおきたくなっている。『逝きし世の面影』も再読してみたい。