映像の世紀バタフライエフェクト「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」2022-04-21

2022年4月21日 當山日出夫(とうやまひでお)

月曜日の夜の放送。録画しておいて、翌日の朝にゆっくりと見た。

ベルリンの壁の崩壊のことは、「映像の世紀」シリーズで、これまでも取り上げられてきている。だが、今回の放送は、そのほとんどが新しい資料映像によるものだった。

メルケル独首相のことは、非常に強く印象に残っている。その政策についての是非の意見はあるだろうが、二一世紀のドイツという国をひきいたリーダーとして、その功績と名前は残ることだろう。

ただ、私がこの番組を見ていて思うことは、旧東ドイツのことである。今となっては、ベルリンの壁の崩壊の後のことになるので、旧東ドイツの実情が分かってきている。秘密警察のことも、明らかになってきている。

しかし、ベルリンの壁の崩壊より前……我が国において、旧東ドイツを賛美する声のあったことを、忘れてはならないと思う。東西冷戦の時代、ある意味で、社会主義が正義であった時代が、かつての日本ではあった。特に左翼系のインテリにとっては、共産主義こそ正義そのものであった時代であった。そのような時代があったのである。

東ドイツを始めとする、旧東欧諸国の社会主義国家を理想視するということが、堂々とあったことを、私は記憶にとどめている。

ところが、今はどうだろうか。自由と民主主義を主張するながれは変わらないのかもしれないが、しかし、かつて東欧諸国を賛美していたことへの反省ということが、根本的になされたとは、私には見えないのである。(このようなことを思うのは、天邪鬼にすぎるだろうか。)

ベルリンの壁の崩壊というのは、世界の歴史における大きな事件であった。このことの歴史的意味を考えるには、この事件がおこる前に、冷戦時代、旧東側諸国について、我が国の言説はどのようなものがあったのか、きちんと検証する姿勢が必要なのだと、強く思う。特に、旧東ドイツ出身であるメルケルの引退ということの後の時代、旧東側諸国がどのような国であり、それが、日本においてどのように見られていたのか、ここのところをきちんと考えて、そして、後世に伝えていく必要があるだろう。

メルケルの事跡は、とりもなおさず旧東ドイツ出身ということと切り離して考えることはできないだろう。であるならば、東西冷戦の時代がかつてどんな時代であったのか、考える必要がある。

2022年4月19日記