『仮面の告白』三島由紀夫/新潮文庫2022-04-25

2022年4月25日 當山日出夫(とうやまひでお)

仮面の告白

三島由紀夫.『仮面の告白』(新潮文庫).新潮社.1950(2020.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/105040/

この作品も若い時に手にした記憶がある。しかし、さっぱり忘れてしまっている。

憶えているのは、冒頭の部分。自分が生まれたときのことについての記憶の箇所である。普通はありえないことなのだが、文学的な想像力の世界では、このようなこともありうるとして読むことになる。

読み返すのは、何十年ぶりかになる。若いときに読んだ印象は、そう強い作品ではなかった。これを二一世紀、三島由紀夫の死後さらに五〇年以上たって読むとどうだろうか。

思うこととして、次の二つほどを書いてみる。

第一には、自伝的な作品として読めること。

無論、これは文学作品、小説である。事実をどれほど踏まえているかは関知するところではない、そう言いきることもできる。しかし、この作品を読むと、いかにも、作者である三島由紀夫の生涯(この小説の書かれるまで)を、なぞっているかのごとくである。少なくとも、そのような印象を持って読んでしまう。

自分の生いたち、生活の大きな枠組みだけは借りてきてあるとしても、その中身については、まったく文学的虚構であると、読むこともできよう。いや、文学作品としては、このように読んでおくのが面白い。

第二に、性についての感覚。

この小説が刊行された当時、どのように評価されただろうか。発表のときから、かなりの年月になる。その間に、社会の性にかんする感覚は大きく変容した。今の時代においては、何よりも多様な性のあり方ついての寛容さがもとめられている。このような現代の価値観で読むと、なるほどこのような生き方もあり、感じ方もあるのか……と、ふと納得して読んでしまうことになる。

この意味では、この小説は、はるかに時代の流れを先取りしたものになっているということが言えようか。

以上の二つのことをとりあえず思ってみる。

さらに書いてみるならば、この小説は、歴史的、風俗史的な興味でも、非常に面白いところがある。たぶん、三島由紀夫の自伝的な部分がかなりふくまれるとしてであるが、戦前のある人びとの暮らしの感覚というものが、如実に伝わってくるところがある。これは、この小説の本来の読み方ではないだろうと思うが、時がたち歴史のかなたになった、ある時代を刻印した作品であることは確かである。

2022年4月19日記