「竹のチカラで村を豊かに 〜インドネシア〜」2024-10-26

2024年10月26日 當山日出夫

Asia Insight 竹のチカラで村を豊かに 〜インドネシア〜

竹を活用して、持続可能な地域の産業にしようというこころみの報告である。見ながら思ったことを書いてみる。

竹の葉からお茶を作ってビジネスにしようとしても、スマホの電波がとどかないので、SNSで宣伝ができない。まさに現代社会のひとつの大きな問題かもしれない。今や、スマホが使えるということが、最も重要な社会インフラになってきている。スターリンクはつかえないのだろうか。(ただ、私自身はいまだにスマホは持っていない。もう基本的に外出はしないし、家のなかにいるときは手元にVAIOがおいてある。)

竹の苗を育てて売るだけで、家が建つ。日本円にして、七~八万ほどだったろうか。それだけあれば、資材を買って自分で家が建てられる。このような経済の地域もあるのかと、これは驚いたところである。

竹の合成材といっていいのだろうか、これは、かなり将来的な有望かもしれない。竹は成長が早い。環境に配慮した建築資材として、今後、注目されることになるだろうか。

インドネシアはイスラムの国であると認識していた。例外がバリ島。この島はヒンドゥー敎の島である。しかし、番組に出てきた地方の村にいくと、(こういう言い方は適切でないかもしれないが)土俗的な古来の信仰が残っている。そのせいで、人びとの生活が圧迫されるという。昔ながらの伝統的信仰や文化は守るべきだろうが、その弊害も考える必要があることになる。

ブタを飼っている家があった。イスラムの国で、豚肉の需要は無いだろうと思うのだが、飼っていたブタはどういう価値があるのだろうか。ちょっと気になったところである。

竹で作った自転車。フレームを竹の合成材で作るらしい。これなど、日本でも工夫すれば作れるかもしれないし、売れるかもしれない。

2024年10月24日記

ミニドキュメンタリー「私と川の図書館と」2024-10-26

2024年10月26日 當山日出夫

ミニドキュメンタリー 私と川の図書館と

こういうことには行政が介入しないのが一番いいのではないかと思う。ただ、本を持ってきて、そこに人が集まるだけのことだから、おそらく法的には問題ないはずである。(これが売買がからむと、古書についてはちょっと面倒なことになりそうである。)

サードプレイスと言っているのだが、特にこういうことばが必要になってきている時代でもある。これが、昔なら、井戸端会議というようなことだったにちがいないが、それがすたれて、これも時代の流れにはちがいない。

ただ、条件があるだろう。歩いて行けるところにどれだけの人が住んでいるか、それはどのような人か、ということもある。

まあ、このようなこころみに行政が積極的にサポートするのがいいのか、あるいは、逆に放任しておくという状態がいいのか、ここは微妙な判断になるかもしれない。だが、このようなこころみは、地域の人びとの暮らしにとっての、一つのアイデアであることはたしかである。

それにしても、よくこのような事例を見つけてきて番組にしたな、とは思う。

2024年10月25日記

「雲をとらえろ!最新科学に挑む富士山頂の“研究所”」2024-10-26

2024年10月26日 當山日出夫

サイエンスZERO 雲をとらえろ!最新科学に挑む富士山頂の“研究所”

富士山頂の測候所が今は使われなくなったというのは、かなり前から知っていたことなのだが、今はどうなっているのかは知らなかった。なるほど、富士山という独立峰ならではの研究が可能になる。

今は、NPOの富士山測候所を活用する会が運用していることになるが、これからの継続的な利活用のためには、財政面を含めて根本的な措置が必要になるかと思う。

富士山頂の気象観測というと、『芙蓉の人』(新田次郎)をまず思い出す。それから、山頂にレーダーを設置するときのことは、昔の「プロジェクトX」で扱っていた。

雲のなかからマイクロプラスチックが発見されたというのは、おどろきである。まあ、今の地球において、どこでマイクロプラスチックが見つかっても、もう驚くことはないのかもしれないが。(こういうことをふくめて、「人新世」ということを考えることになるのかとも思うが。)

富士山頂だからできることが、定点観測であり、それが、天気予報や気候変動の研究につながることは、意義のあることである。

雷の観測については、かなり難しいようだ。観測できるかどうか、ということ自体が運不運という印象がある。しかし、これも観測を続けていくことによって、分かってくるものがあるにちがいない。

こういう研究にこそお金をかける必要があると思う。

2024年10月21日記