『おむすび』「夢って何なん?」2024-10-20

2024年10月20日 當山日出夫

『おむすび』「夢って何なん?」

普通の日常生活を、普通に描くということは、意外と難しいことである。これは、文学についてもいえる。日常生活のなかのちょっとしたできごと、あるいは、生活のなかで感じること、これを描きながら、それを見る人、読む人の、情感にうったえることは、そう簡単なことではない。

この意味では、『おむすび』というドラマは、成功していると、私は見ながら感じている。普通の高校生の普通の学校生活、家庭でのこと、家の仕事の手伝い……これが、そういうものだなと感じられるように描いてある。

その一方で、結の家庭特有の事情もある。父と祖父は、あまり仲がよくない。それは、昔のことに起因するらしい。結も神戸で何を体験してきたのだろうか。夢ときかれて、平穏無事に農家の仕事をすること……平凡なようだが、実は、このようなことを希望するということは、平穏無事ではない過去があったからなのだろう。

糸島の農業や漁業も、かなり深刻な事態をむかえつつある。高齢化、後継者不足である。これは、特に糸島に限ったことではなく、二一世紀になって、今日の日本全体の問題でもある。ミクロの問題としては、米田の家のことだが、ここで結がいくら頑張っても構造的な問題はどうしようもない。

ギャルの掟がでてきていた。

仲間が呼んだらすぐ駆けつける

他人の目は気にしない
自分が好きなことは貫け

ダサいことは死んでもするな

ギャルの生活をしているのには、それぞれの事情があってのことにちがいない。少なくとも、ギャルは不良ではない。これは、このドラマが明確に示していることである。外見では、不良と変わらないかもしれないが、しかし、その生き方は、しごくまっとうなものでもある。

浜崎あゆみの歌は、かろうじて知っているぐらいである。テレビでときどき見たぐらいである。その歌詞の意味も、いろいろなことが込められているのだろう。

さりげないことだが、結の家を訪れたギャルたちが、野菜をごちそうになって、それをきれいに食べていた。ドラマで食事のシーンはよくあるが、それが終わった後のきれいに食べた食器類を映すことは、あまりない。残さずきれいに食べることの大切さということが、よく伝わってくる。こういう場面が、将来、結が栄養士になろうとすることの伏線になっているのだろうと思う。

2024年10月19日記

『カーネーション』「誇り」2024-10-20

2024年10月20日 當山日出夫

『カーネーション』「誇り」

糸子は、ようやく洋裁を習うことができた。

不況でパッチ店で働くことが難しくなったが、ミシンの先生に出会う。かなり強引に、おしかけてミシンの使い方(これは、パッチ店で習得済みであるが)から、洋裁を教えてもらうことになる。木之本の電気店に、ミシンの実演販売にやってきて、それをきっかけに心斎橋のミシン教室に行くあたりの流れは、自然に作ってあったと感じる。(このドラマは、見るのはこれで三回目ぐらいになるはずだが、基本的に流れが自然である。)

根岸先生は、糸子に洋裁を教えるとき、まず、洋服を来て心斎橋を歩くことになる。人間は、着るものによって変わる。自身を持って堂々と歩きなさいという。これは、これからの糸子の人生の芯になる考え方である。

まあ、たしかに着るものによって人間の意識の持ち方は変わるものである。私も昔は学校で教えるときは、かならず上着を着るか、あるいは、スーツでネクタイを締めていたのだが、このごろは、ネクタイ無しになっている。これも、時代の流れということもあるのだが、着るものに留意することが面倒になったということもある。今では、年中、家では、ほとんど同じ恰好をしている。冬になって寒くなれば、上になにかはおるぐらいである。着替えるのは、病院に行くときぐらいになってしまっている。

小原呉服店でもラジオを買った。昭和の初めのころのラジオは、かなり高級品だったはずだが、それを買うことができたというのは、経営が苦しくなっているとはいえ、まだそれだけの余裕があったということなのだろう。

週の最後で、デパートの火災のことが出てきていた。おそらく、東京での白木屋の火災であり、これをきっかけに、女性の洋装が進んだということは、言われていることである。実際にどうだったかといういことは、かなり面倒な考証が必要ではあるが。少なくとも、デパートの女性従業員の洋装にはつながることになったはずである。(この白木屋は、その後、東急百貨店の日本橋店。今ではもうない。)

洋裁を始める糸子なのだが、自分自身は相変わらず着物姿である。その方が楽であるというのは、当時の女性の実感であったのだろう。

ところで、小原呉服店は、どういう種類の商売をしているのだろうか。古着もあつかっているようだし、店にあるものを見ると、男女を問わず着物関係の細々としたものを広くあつかっているようである。店のなかの文字を見ると、モスリンとあった。この時代の呉服店は、必ずしも絹物だけを扱うということではなかったのかと思うが、考証の結果として、こうなっているのだろうと思う。

この後の展開のことを思ってみるならば、このドラマは、小原のイエと家族の物語であると同時に、その建物としての家の物語でもある。糸子の仕事が変わるごとに、建物としての家も姿を変えていく。岸和田の町並みの景観と、小原の家が、これからどう変化していくことになるのか、これからの見どころである。

木之本の電気店でミシンの実演販売をしていたし、小原呉服店でアッパッパを売っていた。このころ、商店街の店では、どの店でどんなものを売っていたのだろうか。これは、考証して考えるとかなり難問かもしれない。

2024年10月19日記