「疾走!タクラマカン砂漠鉄道 ~冬のシルクロードをゆく~」 ― 2025-05-16
2025年5月16日 當山日出夫
疾走!タクラマカン砂漠鉄道 ~冬のシルクロードをゆく~
NHK、というよりも、実質的にテムジンが作った番組ということになるのだろうが、中国の新疆ウイグル族自治区を、テレビで取材するとなると、こういう作り方なら、かろうじて中国政府が許している……このように理解して見ていたのだが、あまりに天邪鬼だろうか。
タクラマカン砂漠をぐるりとまわる鉄道を建設する。そして、それを、さらに中央アジアにまで延長しようとしている。以前は、ロシアが、中国の中央アジアへの進出に警戒的であったが、ウクライナ侵攻以来、ロシアの態度が軟化して(中国を味方にしておきたいということであるが)、建設がスタートすることになった。この番組として、一番つたえたかったことは、この最後に出てきたことかもしれない。ユーラシア大陸を、中央アジアをとおって東西にむすぶ交易を、中国がこれから支配することになる、少なくとも今の中国政府はこの方針である、ということだろう。
砂漠のなかにあった村を捨てて、都会に移住してきた男性の家族(その妻と子ども)が映っていたが、見ると、その家の扉のところに中国の国旗がかかげてあった。少しだけ映っていたのだが、そのように判断できる。これは、おそらく、こういう人物……中国共産党の支配を肯定する……だからこそ、取材して大丈夫ということなのだろうと思う。
現在の新疆ウイグル族自治区がどんなになっているか、という意味では、とても興味深い内容ではある。しかし、同時に、NHKであっても取材できなかった部分で、いったいどんなことが行われているのか、それは、見るものの想像力ということになるのかもしれない。
崑崙の玉の取引で、中国の都会と、スマホでやりとりしながら、売っていた。通信環境が整っているというふうに見ることもできる。しかし、これも、見方を変えると、新疆ウイグル族自治区の人びとの言動についても、中国の中央政府が直に監視できるということでもある。
スマホで中国の都市部とやりとりできるとはいいながら、玉や、家畜の、売買では現金である。スマホのオンライン決済のシステムは、ここの地域にまでは及んでいない、と理解できるだろうか。
最後になって、ようやくイスラムということばがつかってあったが、その信仰がいまはどういう状況であるかは、まったく言及がなかった。これについては、一切触れてはならないということだったのだろうと思う。出てきていたのは、家畜の売買の商習慣として、仲介人が介在するということで、これは、一〇世紀の昔からつづくことだという。それほどながく、イスラムの教えのなかで、この地域の人びとは生活してきた、ということを表現したかったのだろうと理解することになる。
新疆ウイグル自治区の伝統的な生活スタイルが残っているということも映像では映っていた……市場や旧市街など……まあ、これは、かつてナチスの、平和に安穏に生活しているユダヤ人のプロパガンダ映画を作ったようなものだろうと、私は思って見ている。それように、残してある、という側面もあるとも思う。もし、これに反論して、中国共産党を擁護したいのなら、外国のメディアが自由にこの地域を取材できるようになっているという状況になってから、ということになるにちがいない。
この番組では、漢族、ということばを多くつかっていた。普通、中国のことをあつかう番組では、このことばはほとんど使わないと思う。タクラマカン砂漠のこの地域が、中国の支配的民族である漢族とは、異なる民族の人たちの生活する地域である、ということになる。
映像的にはとてもきれいに作ってある。そして、そこに生活するひとたちの現状をレポートしている。しかし、見ていると、映っていないことが何だったのか、ということにどうしても関心がいく。新疆ウイグル族自治区をめぐっては、国際的に大きな問題になっている。何を映していないか、ということで、それなりのメッセージを伝えようという意図があったとは、感じるところである。
2025年5月5日記
疾走!タクラマカン砂漠鉄道 ~冬のシルクロードをゆく~
NHK、というよりも、実質的にテムジンが作った番組ということになるのだろうが、中国の新疆ウイグル族自治区を、テレビで取材するとなると、こういう作り方なら、かろうじて中国政府が許している……このように理解して見ていたのだが、あまりに天邪鬼だろうか。
タクラマカン砂漠をぐるりとまわる鉄道を建設する。そして、それを、さらに中央アジアにまで延長しようとしている。以前は、ロシアが、中国の中央アジアへの進出に警戒的であったが、ウクライナ侵攻以来、ロシアの態度が軟化して(中国を味方にしておきたいということであるが)、建設がスタートすることになった。この番組として、一番つたえたかったことは、この最後に出てきたことかもしれない。ユーラシア大陸を、中央アジアをとおって東西にむすぶ交易を、中国がこれから支配することになる、少なくとも今の中国政府はこの方針である、ということだろう。
砂漠のなかにあった村を捨てて、都会に移住してきた男性の家族(その妻と子ども)が映っていたが、見ると、その家の扉のところに中国の国旗がかかげてあった。少しだけ映っていたのだが、そのように判断できる。これは、おそらく、こういう人物……中国共産党の支配を肯定する……だからこそ、取材して大丈夫ということなのだろうと思う。
現在の新疆ウイグル族自治区がどんなになっているか、という意味では、とても興味深い内容ではある。しかし、同時に、NHKであっても取材できなかった部分で、いったいどんなことが行われているのか、それは、見るものの想像力ということになるのかもしれない。
崑崙の玉の取引で、中国の都会と、スマホでやりとりしながら、売っていた。通信環境が整っているというふうに見ることもできる。しかし、これも、見方を変えると、新疆ウイグル族自治区の人びとの言動についても、中国の中央政府が直に監視できるということでもある。
スマホで中国の都市部とやりとりできるとはいいながら、玉や、家畜の、売買では現金である。スマホのオンライン決済のシステムは、ここの地域にまでは及んでいない、と理解できるだろうか。
最後になって、ようやくイスラムということばがつかってあったが、その信仰がいまはどういう状況であるかは、まったく言及がなかった。これについては、一切触れてはならないということだったのだろうと思う。出てきていたのは、家畜の売買の商習慣として、仲介人が介在するということで、これは、一〇世紀の昔からつづくことだという。それほどながく、イスラムの教えのなかで、この地域の人びとは生活してきた、ということを表現したかったのだろうと理解することになる。
新疆ウイグル自治区の伝統的な生活スタイルが残っているということも映像では映っていた……市場や旧市街など……まあ、これは、かつてナチスの、平和に安穏に生活しているユダヤ人のプロパガンダ映画を作ったようなものだろうと、私は思って見ている。それように、残してある、という側面もあるとも思う。もし、これに反論して、中国共産党を擁護したいのなら、外国のメディアが自由にこの地域を取材できるようになっているという状況になってから、ということになるにちがいない。
この番組では、漢族、ということばを多くつかっていた。普通、中国のことをあつかう番組では、このことばはほとんど使わないと思う。タクラマカン砂漠のこの地域が、中国の支配的民族である漢族とは、異なる民族の人たちの生活する地域である、ということになる。
映像的にはとてもきれいに作ってある。そして、そこに生活するひとたちの現状をレポートしている。しかし、見ていると、映っていないことが何だったのか、ということにどうしても関心がいく。新疆ウイグル族自治区をめぐっては、国際的に大きな問題になっている。何を映していないか、ということで、それなりのメッセージを伝えようという意図があったとは、感じるところである。
2025年5月5日記
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