BSスペシャル「欲望の資本主義特別編 欲望の会社論2025〜あなたの組織は誰のもの?法人の謎〜」2025-08-01

2025年8月1日 當山日出夫

BSスペシャル 欲望の資本主義特別編 欲望の会社論2025〜あなたの組織は誰のもの?法人の謎〜

この番組は、もっと大胆に、岩井克人の独演会にしてしまった方がよかったかもしれない。

会社(株式会社)について、株主主権論という考え方があり、それに対する異論として、法人企業とはなにか、という側面から考えていくということになっていた。このあたりの論理の展開は、なるほどそうと理解できる。

その一方で、株主主権論があり、株式会社の最大の存在の目的は、株主に利益を得させるためである……という考え方が、今日において、大きな流れになってきているのは、なぜなのかということの、歴史的な説明があったもよかったと思う。流れとしては、フリードマン、ハイエク、というあたりに淵源を求めるということになっていたと思うのだが、そういう経済学者がいたということと、多くの人びとがそう考えるようになったということは、ちょっと違うかと思う。

フジテレビのことが大きくとりあげられていた。どの企業のことが話題であってもいいのだが、フジテレビについては、これが報道機関、メディアの企業である、ということを、やはり言っておくべきだっただろう。報道機関にとって、たしかに、ニュースは商品である。しかし、それは、八百屋さんがリンゴを売るのとは、ちょっと違う。形骸化した理想論かとも思うが、公正な報道とは何か、あるいは、報道機関の多様性がどのようにすれば確保できるのか、という視点は、欠かしてはならないと思っている。もうけにならなくても報道すべきニュースというものがあるだろう、と思うのである。

まあ、今の世論(輿論ではなく、佐藤卓己のいう)だと、フジテレビはろくでもない会社だから、つぶしてしまえばいい、という意見もあるのだが、気に食わない報道をする会社であっても、存続すべきであるということも、考えておくべきである。そうでなければ、輿論・公論(佐藤卓己のいう)の形成にはつながらない。(私の理解では、ということになるが。)

番組の中では出てきていなかったが、USスチールは、いったい何のためにある会社ということになるのだろうか。日本製鉄の子会社となったとしても、それは、日本製鉄の利益のためだけ、ということではないはずである。この買収が問題になったのは、アメリカの企業であり続けること、従業員の雇用の確保、経済安全保障ということであったはずである。ここで、株主主権論が言えるとすれば、どういう論理になるのだろうか。

資本主義と民主主義との関係は、これからどうなるだろうか。中国のような独裁的な国家の方が、経済もうまくいく、という言説が、世界のなかでは説得力を持ちはじめているかと思ったりもする。さて、これから、どう考えるべきだろうか。

人間の生き方の尺度として、収入ということはたしかにあるのだが、しかし、収入が多いほどいい、また、その価値観が優先的である(唯一とまではいわないにしても)というのは、どうなのだろうかと思うところがある。これが、資本主義社会の本質であるといえば、それまでなのかとも思ったりもするけれど。

2025年7月30日記

おとなのEテレタイムマシン「ETV2000 井上ひさし 原爆を語るということ 第2回」2025-08-01

2025年8月1日 當山日出夫

おとなのEテレタイムマシン ETV2000 井上ひさし 原爆を語るということ 第2回

この第二回目は、『父と暮せば』について。

この演劇のはじまりが、死んだ父の亡霊が、押し入れの中から出てくるところからはじまる。押し入れは、異界との通路である。「ドラえもん」における机の引き出しもそうである。村上春樹の作品に多く登場する、穴であったり、地下のトンネルであったり、井戸であったり、エレベータであったり、これら、この世とあの世を行き来できる通路としてイメージできる。非常に分かりやすい導入になっていることが分かる。

井上ひさしが言っていたことで、印象に残ることがいくつかある。

被爆者の人たちは、写真を撮るときのフラッシュを嫌う。こういう話しは、あまり広くは知られていないことかもしれないと思うが、重要なことである。

『父と暮せば』は、広島方言で語られなければならない、それはそのとおりだと思う。また、広島の人たちの言うこととして、戦争の前と後とで、広島のことばが変わってしまった、という。一度に、市内にいた数多くの人が亡くなってしまったので、当然ながら、そこでのことばも影響を受ける。私は、方言学には、あまり知識はないのだが、こういうことについて、どういう研究があるのだろうか。

広島で最初の公演があったとき、客席は静まりかえっていたという。終わっても拍手が起こらなかった。しばらくして、誰かが拍手し始めて、それでようやく観客が拍手しはじめた。

まさに、こういう証言こそ、井上ひさし自身のことばとして、残しておくべきことである。

学者以上に調べて調べ尽くして、そしてそれをふまえてウソを書く。これが、井上ひさしの創作ということになる。

また、図書館の役割として記録・記憶を残すことに価値があるともいう。これは、現代では、文書館(アーカイブ)をふくめて考えることになるが、記録と記憶を残すことの価値は、重要である。(ただし、私は、語り部は信用しない。これは、前回に書いたことである。)

この作品では、亡霊がこの世に出てきて、今の人間と語る。古くは能楽から受け継がれてきた演劇のスタイルを踏襲していることになる。死者が語る、死者の声に耳をかたむける……ふるくから日本にあったものの考え方である。この意味でも、記録を残すということの価値があり、それは、未来への責任でもある。

2025年7月28日記

新日本風土記「北へ南へ 駅物語」2025-08-01

2025年8月1日 當山日出夫

新日本風土記 「北へ南へ 駅物語」

鉄道とか駅とか、どうして、人びとの郷愁をさそうのだろうか。世の中には鉄道好きの人が多い。(私は、その趣味はまったくないけれど。)

もう覚えている人は少ないと思うが、NHKの朝ドラの昔昔の作品に『旅路』というのがあった。北海道の鉄道員の家族の物語である。主演は、日色ともゑ、横内正。このようなドラマが作られた時代、それは、まだJRが国鉄であったころのことになるが、鉄道員というのは、社会的に責務のある仕事だった。決して、地位が高いとはいえないけれど、やりがいのある仕事の一つであったことになる。

ちなみに、このドラマのシーンで最も印象的に覚えているのが、主人公夫婦が幼いころに育てが少女が大きくなって、実は自分はその少女だったのですということを知らせるために、葉書を置いていく場面。別れなければならなかったときに、何かあったら、これに書いて投函するのだと渡された葉書を、その後、ずっと大事に持っていた。私の記憶している範囲で、この葉書のシーンが、歴代の朝ドラで見たうちになかでも、もっとも強く印象に残っている。

やはり鉄道というのは、近代になってからの日本を象徴するものなのだろう。鉄道がやってきたということで、日本の各地は大きく変わった。人びとの意識、社会のあり方、そして歴史をも変えてきたといっていいだろう。

映っていたのは、ローカル線が多かった。地方に住む人にとって、その土地の近代になってからの歴史と生活は、鉄道なしには語ることができない。

『砂の器』は、若い時に映画館で見た。今にいたるまで評価の高い映画であることは知っているのだが、私は、見たときにはあまりいいとは思わなかった。印象的に覚えているのは、年老いた父親がいるハンセン病の療養所のとき映った、瀬戸内海の海と島の映像である。風光明媚ではあるが、世間とは隔絶したところに、隔離された生活をおくることになったことを、象徴的に、しかし、美しく表現していた。

亀嵩……このことばは、ATOKで、「かめだけ」で変換してくれる……という駅のことは、『砂の器』で知った。原作の小説の方を先に読んでいる。だから、ミステリとして、殺人のトリックを大幅にカットした脚本は、すこし違和感があったことになるが。

『点と線』も読んだ。中学生ぐらいか、高校生ぐらいのときだっただろうか。東京駅での、4分間の空白、は見事な時刻表トリックだと思う。また、この作品のなかで、福岡の刑事が、心中事件とおぼしい事件に疑問をもったきっかけが、食堂車の、お一人さま、の領収書であった。語誌を調べてみようと思ったわけではないが、今の時代に「おひとりさま」という言い方がよくされるようになったのは、おそらく、『点と線』がきっかけではないかと推測する。(探せば、論文に書いた人がいるかとも思うけれど。)

地方のローカル鉄道の駅は、無人駅になるか、あるいは、駅が他の業務を兼業するのでなければやっていけないということかとも思う。兼業は悪いことではないと思う。

どうでもいいことだが、見ていて、井上二郎アナウンサーが「したづつみ」と言っていた。今では「したつづみ」が普通になっていることばである。

2025年7月29日記

日本の話芸「三遊亭兼好 落語「大山詣り」」2025-08-02

2025年8月2日 當山日出夫

日本の話芸 三遊亭兼好 落語「大山詣り」

再放送である。最初は、2024年9月1日。

少し前に「ブラタモリ」で大山詣りのことをあつかっていた。テレビの番組表を見ていたら目にとまったので、録画しておいた。

この噺は、知っていることではあるのだが、細かく記憶しているということではなかった。見ていて、思ったことなど書いておく。

はじまりは、山登りの女人禁制の話しから。これは、たぶん、今の時代に合わせてのことなのだろう。噺の内容は、別に、このことを知らなくても、十分に楽しめる。だが、なぜ、男たちばかりで大山詣りに出かけて、女房たちが江戸で留守番だったのか、ということの説明としては、あった方がいいかもしれない。(無論、男ばかりの旅行であったのなら、道中の楽しみは、寺社の参詣だけではなかったはずである。)

江戸から大山までは、途中で宿泊して行って帰ることになる。ちょっと距離がある。そして、この噺は、肝心の大山詣りそのものは、まったく出てこない。参詣が終わって帰り道での出来事である。

昔の宿屋に風呂があったが、狭かった。三人も入れば、いっぱいになってしまった。これは、今の旅館などにある大浴場とくらべると、ということになる。日本の旅行や旅館の歴史として、温泉旅館以外でも、大浴場というのが普通になるのは、いつごろからなのだろうか。

あぶらむし、ということばを久しぶりに耳にした。現代では、ゴキブリと言う方が一般的である。おそらくは、「ごきぶりホイホイ」が商品化されて、テレビCMが放送されるあたりからのことかと思うが、調べれば、「ごきぶり」と「あぶらむし」の語誌を研究した論文もあるかと思う。今の若い人は、あぶらむし、と言ってもわからないかもしれない。

早かごだからといって、そう特にスピードがあったとは思えないのだが、実際はどうだったのだろうか。(あるいは、この噺が成立したころには、早かごというのが、姿を消していたころなのかもしれないと思ったりもするが、落語の噺の歴史について、考えてみようという気にはならないでいる。)それにしても、江戸時代のカゴは、いったいどれぐらいのスピードだったのだろうか。

男たちで一緒に旅行して、喧嘩をしたらペナルティがある。これは、昔の地域の共同体のルールということでいいのだろう。すこしぐらい腹の立つことがあっても我慢するのが、全体の安穏のため……こういう理屈になるだろうが、現代ならば、個人の権利の侵害である、としてとても受け入れられるものではない。一昔前の、日本にくらす人びとの、無用のトラブルをおこさないための生活の感覚であったと理解していいだろう。こういうものも、現代の日本が、文明の進歩という名のもとに、失ってしまったものの一つである。

2025年7月28日記

アナザーストーリーズ「日本初の強行突入!全日空857便ハイジャック事件」2025-08-02

2025年8月2日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 日本初の強行突入!全日空857便ハイジャック事件

この事件のことは記憶しているのだが、そんなにはっきりと覚えているということはない。

SATということばを知ったのは、この事件のときからだっただろうか。

見て思うことはいろいろとある。

まず、警察の対応の不手際という印象がどうしてもある。結果的に、犯人を逮捕できて、乗客乗員が全員無事だったということで、成功として語られることになるのだろうが、しかし、地元の警察と警視庁との連携のまずさというのは、どうしても印象に残る。この点は、現在では、どうなっているのだろうか。緊急事態の場合、指揮権を一元的に警視庁などに集約する、ということになっているのだろうか。大規模なテロ犯罪(幸いなことに、これまでにあったということではないのだが)の場合、自衛隊などとの連携、その他のことは、はたしてどれぐらい法的・制度的に整備されてきているのだろうか。

1995年、神戸で地震のあった年であるが、この時代は、まだ携帯電話が普及し始めたころのことになる。被災地との連絡手段として、携帯電話が使えなかったということは、記憶にある。

犯人がどんな人物であったかは、まったく記憶にない。(今なら調べる気になれば、WEB情報などで、分かるかとも思うのだが、わざわざそれをしてみようという気にはならないでいる。)

バブル景気のとき、銀行で、企業買収などの仕事にたずさわったやり手だったということだが、その後、人生は転落することになる。銀行としては、辞めさせてしまうわけにもいかなかった、ということらしい。おそらく、似たような事情の人間は、今の世の中にたくさんいるにちがいない。そのような人たちのことを、今なら、まだ調べればいろいろと分かることがあり、証言も得られるだろうが、こういう調査、報道は、これからなされることがあるだろうか。

2025年7月25日記

映像の世紀「ヨーロッパ 2077日の地獄 第2部 独ソ戦 悲劇のウクライナ 1941-1943」2025-08-02

2025年8月2日 當山日出夫

映像の世紀 高精細スペシャル ヨーロッパ 2077日の地獄 第2部 独ソ戦 悲劇のウクライナ 1941-1943

第二次世界大戦における独ソ戦のことが、大きくとりあげられるようになったのは、やはり、『独ソ戦』(大木毅、岩波新書、2019年)のことが大きく影響しているだろう。また、この回で、ウクライナのことを主にとりあげているのは、現在の、ロシアによるウクライナ侵攻をうけてのことになる。

だが、第二次世界大戦で、ドイツとソ連(ロシア)との間で悲劇的であったのは、ポーランドだろう。ウクライナは、ウクライナとして一定の領土があったことになるが、ポーランドは、歴史のなかで姿を消してしまった(消された)こともある。あるいは、独自の立場であった国としては、ハンガリーも重要かもしれない。東欧の諸国は、ドイツとソ連(ロシア)の間で、苦渋の歴史を味わってきた地域といっていいだろうか。現在、EUのメンバーになったからといって、さて、どうなのだろうか、ここは、専門家の説明がほしいところである。

ウクライナをめぐっては、穀倉地帯として、ドイツとソ連(ロシア)の双方からねらわれたということになるだろう。自活できる経済圏を確保するためには、ここはどうしてもおさえておきたいことになる。(まあ、だからこそ、現在のロシアによるウクライナ侵攻ということもあるのだろうと思うが。)

ドイツ軍によるソ連との戦いは、1946年の冬が一つの山場であったことになる。モスクワを目指して進軍していったドイツ軍は、冬の寒さに負けたといっていいのだろう。冬用の装備が十分でなかったこともある。

これを日本から見るならば、日本が、太平洋戦争としてアメリカを相手に戦端をひらいたのが、1941年の12月であるのだが、これが、もし数ヶ月後のことであったら、どうなっていたか。対ソ連戦で攻めあぐねているドイツを見て、それでも、アメリカ相手に開戦にふみきったかどうか。日本の判断としては、ドイツがソ連を屈服させる(ヒトラーがスターリンに勝つ)ということに期待をかけて、対アメリカ戦を考えたということもある。

しかし、石油の禁輸ということで、日本がその後の数ヶ月を耐え忍ぶことができたかどうか、ということは、また別の問題であるにちがいない。対外強硬論にはしる世論、マスコミを、どう懐柔できただろうか。

ともあれ、ウクライナの人びとは、とてもかわいそうであった、ということはよく分かる。だからといって、ウクライナが、ずっと昔から統一的に統治されてきた国民国家であったかどうか、ということは、また別の議論になるかとも思う。(結果的に、今般の、ロシアによるウクライナ侵攻によって、ウクライナという国民国家をより強固なものとして作ってしまったということは、いえそうである。)

国民国家を象徴するのが、国立の戦争博物館の存在であり、国家による英霊祭祀、である。この観点で見ると、ともに現代の日本でかけていることになる。このあたりが、現代の日本の国家としてのあり方を考えるときの、一つのポイントかとも思う。

ウクライナを象徴するのが、一面のひまわり畑である……まあ、私の記憶でも、ソフィア・ローレンは、良かったと感じるのであるけれど。

2025年7月31日記

『とと姉ちゃん』「常子、プロポーズされる」「常子、失業する」2025-08-03

2025年8月3日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、プロポーズされる」「常子、失業する」

時代は、昭和15年である。日中戦争は泥沼化し、日本が世界のなかで孤立感をふかめ(少なくとも、アメリカとはうまくいかない)、人びとの生活がかなり苦しくなってきたころのこと、ということになる。

このドラマは、見るのは二回目である。最初の放送のときも、全部見たと覚えている。二回目に見て、常子たちの小橋家の一家よりも、住んで働いていることになる森田屋の人たちのことの方を、面白く見ている。昭和の戦前の深川のお弁当屋さんのくらしは、こんなふうだったんだろうなあ、と感じさせるところがある。世相の変化を、お弁当屋さんの仕事、どんなお弁当が作れるのか、ということで描いているというのも、ドラマの作り方としては、たくみだと思う。

また、深川の材木屋という商売のあり方、これは、古風な昔気質の商売になるが、その生活も、なんとなくこんなもんだったのだろうか、と感じることになる。

常子は、会社をクビになる。その経緯は、ちょっと込み入っている。だが、このなかで、この時代に生きる社会のいろんな人たち……今でいえば社会の階層……ということを感じることになっている。

この時代、和文タイピストという手に職のある女性は、そう多くなかっただろうから、変わりはいくらでもいるかもしれないが、クビになったからといって、すぐに路頭に迷う、ということはなかったかもしれないと思ったりもするのだが、はたして、この時代の就職事情はどうだったのだろうか。戦争の時代とはいえ、世の中全体として、和文タイプの需要が激減するということは、考えにくい。(アメリカやヨーロッパ向けの商社としては、ビジネスが苦しくなったかとは思うのだが。)

2025年8月2日記

『チョッちゃん』(2025年7月28日の週)2025-08-03

2025年8月3日 當山日出夫

『チョッちゃん』 2025年7月28日の週

『チョッちゃん』を見ている人は、おそらく、つづけて『あんぱん』も見ているだろうと思う。どうしても見比べてしまうことになる。『チョッちゃん』の方が、ドラマとしては、断然いい。この時代に生きた人間はこんなふうに感じていたのだろうということが、自然な流れで描かれている。そして、それが、人間とはこういうものなのだよな、という感覚につながる。こういうことこそ、エンタテイメントとしての王道である。

さりげないことなのだが、東京と北海道の滝川との電話のシーン。昔の長距離通話は、まず、電話局にかけて、相手の電話番号を告げて、交換手さんが繋いでくれて、それをいったん受話器をおいて待っていた。繋がるとベルがなって、受話器を取ると、交換手さんが、おつなぎします、と言って、それからようやく相手に、電話がつながった。少なくとも、私が記憶している、昭和の戦後の長距離電話というのは、こういう仕組みだった。今のように、ダイヤルして(いや、ボタンを押して)直接相手にすぐ繋がるという時代ではなかった。

また、長距離の電話料金はとても高額だった。北海道の滝川のお父さんとお母さんは、何分しゃべった、と言って口論していたが、これも、そういう背景があってのことだったはずである。東京からかかってきた電話の料金は、かけた側、つまり、東京の野々村のおじさんの家で負担しなければならない。

洗足の蝶子たちの家を、邦子や神谷先生が訪ねてきたときのこと。蝶子たちと話しをしていて、となりの部屋で赤ちゃんの泣き声がする。それを聞いて、蝶子が席をたってとなりの部屋に行く。次に、邦子と神谷先生が映って、ふたりの会話になる。こういう流れが、実に自然なのである。子どものいる家であることが、ごく日常的なしぐさで表現されていて、そして、画面のなかの人物が入れ替わる。こういう演出や脚本というのは、今のドラマでは見られなくなってしまったことかもしれない。

加津子は、小学校に行って問題を起こす。神谷先生は、加津子の理解者であり(とても進歩的な教育観を持っている)、蝶子も加津子のことをなんとかしたいと思っている。

学校に呼び出されて事情を聞く。ここのところを見ると、私などは、小学校の担任の先生に同情してしまう。加津子が悪いというわけではないのだが、こういう子どもがいると、やはり、学校の担任の先生としては、とても困ったことになるだろう。

見ていていいなあと思ったのが、加津子のことをめぐって、北海道の滝川の蝶子のお父さんとお母さんのこと。必ずしも、加津子のことを理解している、蝶子のことを分かっているということではない。むしろ、困惑しているといっていいだろう。そこには、蝶子を育ててきた、父親と母親の立場の違いもある。無論、世代や、住んでいる環境(北海道と東京)ということもある。また、要の母親も、蝶子に対して理解があるということではない。しかし、自分に対してはっきり意見を言ってくることを、評価している。それぞれに、蝶子たちのことを思っているのだが、それが、現代のドラマにあるように、年寄りが若い人に対して理解を示す、ということになっていないことが、重要なことかと思う。人は、世代や、生きてきた環境によって考え方が違う。それぞれの思いがあっていい。それはそんなに簡単に変えられるようなものではない。だが、それをふまえてこそ、蝶子のような生き方をどう感じるか、ということを語って、科白として意味のあるものになっている。

2025年8月2日記

『あんぱん』「ふたりしてあるく 今がしあわせ」2025-08-03

2025年8月3日 當山日出夫

『あんぱん』 「ふたりしてあるく 今がしあわせ」

戦後の東京編が本格的にスタートというところである。正直な感想としては、見ていてつまらなくなっていくばかりである。

見ながら思ったことを書いておく。

有楽町のガード下の闇市という雰囲気がまったくない。登場人物としては、浮浪児がいたり、パンパンがいたり、ということにはなっている。ただ、これを見ていて、私としてはどうしても気になることがある。浮浪児やパンパンには、名字がない。ドラマのオープニングで登場人物の名前・役名が表示されるが、それも、ドラマの一部であると私は思って見ている。このようなことは通例ではあるのだが、しかし、AKの前作である『虎に翼』で、あれほどまでに結婚して名字が変わることに、こだわりをみせておいたのであるから、名字というのは人間にとって重要なものであると考えるとするならば、浮浪児やパンパンにも、名字があるべきである。これで、ドラマの中の科白として、それがまったく出てこないとしても、オープニングの名前で名字があることの意味は、はっきりと視聴者に伝わる。でなければ、いっそのこと、浮浪児AとかパンパンB、とかにしてもいいことだっただろう。(浮浪児の本名なんて分からなかった、パンパンなどは源氏名である、というふうに考えてもいいかもしれないが。)

とはいえ、『虎に翼』でも、女中の玉や、浮浪児だった道男には、最初から最後まで名字がなかった。ドラマのなかで、名字の大切さを言ったとしても、それは、所詮は、途中から思いつきで脚本をそうしただけのことで、深く考えてのことではなかった。AKのドラマ制作のスタッフの考えていることは、この程度のものである、といってしまえばそれまでなのだが。

のぶは、薪鉄子議員のところで働くことになり、有楽町のガード下で住むことになる。だが、この時代、若い独身の女性(この時点ではのぶは未亡人)が、一人で有楽町のガード下に住むだろうか。私の知識の範囲としては、かなり難しい。まったく無理だったとは思わないが。

のぶを追いかけて嵩も上京する。これはいいのだが、嵩はどこに住むことになるか、まったく考えずに上京してきたらしい。これも、ちょっと考えがたい。のぶのところに一緒に住むのは無理ということで、八木のところにやっかいになるのだが、これも、どうなのだろうか。八木が、どこでどんな生活をしているのか、家族はいるのか、というあたりのことが、これまでまったく出てきていない。どう考えても、都合が良すぎる。(ここで、八木が同性愛者であったりすると、とても面白い展開になるかと思うが、AKもそこまでは考えなかったようである。)

のぶと嵩がいるところに、嵩の母の登美子がやってくる。たしかこの場面では、嵩がはじめてのぶの住まいに行ったときだったはずなのだが、なぜ、登美子はのぶの住まいを知っていたのだろうか。このドラマでは、登美子が、突然に登場することがこれまでにあったが、今回の場合は、どう考えてもその理由が分からない。

嵩は、登美子のすすめで百貨店につとめることになる。史実として、やなせたかしは三越で働いていたし、その包装紙のデザインにもかかわっている。ドラマの中の描写では、嵩は、画家の先生が描いたデザインの絵に、直接、万年筆で文字を書いていた。これは、どう考えてもおかしい。少なくとも、いくつか候補を考えて書いてみて、それを検討したうえで、決めるだろう。また、書くときも、鉛筆で下書きをしておいて、それをペンでなぞるか、あるいは筆(面相)で書くか、だろう。いきなり万年筆で、Mitsuboshi、と筆記体で書き込むのは、やはり不自然である。(これも、嵩が天才的なデザイナであったとすればいいのかとも思うが、それなら、そのときの職場の周囲の人びとの反応があってしかるべきだろう。)

実際に三越の包装紙には、Mitsukoshi、とローマ字で書いてあるのだが、ヘボン式ローマ字で店の名前を表示するというのは、この戦後の時代として、かなり先端的な発想だったと思うが、デザインの歴史などの分野では、このことはどう考えられているのだろうか。(ドラマのこととは別に、興味のあるところである。)

嵩が登美子と話していたのは、喫茶店だった。時代としては、昭和22年のはずである。この時代の、いくら東京の都心の繁華街とはいえ、あんな喫茶店が営業していたとはちょっと考えにくい。まあ、あったとしても、それならば、アメリカの軍人のお客さんなどいてもいいかと思うが、登場していなかった。

この時代、日本は、GHQの統治下にあった。日本政府の上にGHQがあり、全体を統括していた。薪鉄子の議員としての活動も、当然ながら、GHQの監視があったと思うのだが、はたして、この時代の姿はどうだったのだろうか。史実としては、戦後の二回目の衆議院議員選挙があり、片山内閣になったときである。薪鉄子も、ドラマの流れとしては、社会党系の議員だったようだ。ならば、GHQとしても、かなり注視していたかと思うが、こういうところも気になるところである。

中目黒の長屋に新しい住まいを見つけて、のぶと嵩はひっこしをする。中目黒は、空襲でかなりの被害をこうむった地域である。この空襲の様子は、向田邦子が書いているので、かなり知られていることである。(幸いに、向田邦子の家は無事だった。)昭和22年の暮れから、23年の始めのころ、その町はどんなだっただろうか。普通に想像してみるよりは、非常にこぎれいな印象がある。まあ、こんな家があってもいいかと思うのだが、しかし、それにしては、畳がきれいすぎる。高知の朝田の家、若松の家も、そうなのだが、畳が非常にきれいである。そこに人間が生活しているということを、一番に感じさせるのが、畳の汚れや色なのだと、私は思うのだが、このドラマの制作スタッフは、こういうことは気にならないのだろうか。

家に帰ってきた嵩は、中にはいっても帽子をかぶったままだった。私などの感覚からするとこれはおかしい。家の中にはいれば帽子はとるのが普通だろう。このドラマでは、軍隊時代のことを描いている。陸軍では、帽子をかぶる、とる、ということが厳格なルールで定められていた。これは、別に軍隊が特殊だったということではない。一般の社会のルールや礼節としても、帽子をかぶるべき場面、とる場面、ということが、おのずと暗黙知としてあった。軍隊内での所作は、考証や指導があったけれども、それがこの時代の人びとの日常生活になると、演出や演技は気にしなかったということになるだろうか。

のぶと嵩の新しい住まいに、高知から、朝田の家族(くら、羽多子、蘭子、メイコ)がやってくる。昭和23年になったばかりのはずだが、これも、かなり無理のある筋書だと思えてならない。高齢のくらが、遠路はるばる東京までやってくるというのは、どうなのだろうか。あと10年ぐらいして、昭和30年代以降のことなら、なんとか分からなくもない。この時代になると、集団就職で、地方から多くの若者が都会にやってきた時代でもある。

ここに嵩のおばさんの千代子と、母の登美子もやってくる。見ていて、なんだかもうメチャクチャである。それも、非常に着飾っている。食事の準備で、闇市に行って苦労したの一言ぐらいあってもいいかと思うが、それもない。ただ、これまでの登場人物を、一堂に会して並べて見たというだけのことにすぎない。これは、もう、ドラマではない。

くりかえしになるが、このドラマでは、GHQやアメリカ軍人などが、出てこない。嵩のデパートでは、アメリカの軍人さん相手にどんな商売をしたのだろうか。また、薪鉄子議員の活動にGHQは、どうかかわることになったのだろうか。ちょっと想像力をもって考えてみれば、思いつくことだと思うが、考証の手間をはぶいた手抜き脚本という印象がどうしてもある。

このドラマでは、科白が非常に説明的である。私の感覚では、そこまで分かりやすく自分の気持ちを話さなくてもいいと思って見ることになるのだが、このごろの視聴者は、これぐらい気持ちを説明しなければならない、ということなのだろうか。(いや、人間は、自分の気持ちをそんなに簡単にことばで説明できるものではない、というのが、文学やドラマの基本にあると思っているのだが、これは、もう通用しない古い考え方になっているのかもしれない。)

2025年8月1日記

100分de名著「フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (4)現象学で何ができるか」2025-08-04

2025年8月4日 當山日出夫

100分de名著 フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (4)現象学で何ができるか

椅子の本質とは何か。昨今の話題でいえば、フレーム問題として、AIについて語るときに出てくることにつながる。人間が直感的に分かることが、AIではとても難しい。

また、言語研究の分野からいうと、意味とは何かということにもつながる。椅子の意味とは何か、これも、言語学としてきちんと考えると、とても難しい問題になる。

本質観取の実践として、幸福について考えてみる……これは、こころみとしては、面白いし、この番組の枠のなかでやろうとすると、こういうことになるのかなとは思う。

だが、これも気になることとしては、やはり、神ということにまったくふれないのは、意図的にそうしているのだろうと思うが、ちょっと気になるところでもある。この分野の専門家なら知っていることにちがいないが、(私はわからないが)、フッサールにとって、神の本質とは何だったのだろうか。あるいは、それは、あまりに自明なことであり、語るべきことではなかったのだろうか。さらには、語ってはいけないことだったのだろうか。

現象学的に人間を考えるということは、おそらく、人類の歴史……ホモ・サピエンスが、アフリカを出て世界にひろがっていくなかで、言語を獲得し、宗教を生み出し、仲間意識を感じるようになった(このあたりは、ハラリが『サピエンス全史』であえてふっとばして議論をすすめてところであるが)、このところに本質的にかかわる議論になるに違いないとは思う。

2025年8月2日記