BS世界のドキュメンタリー「名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で」 ― 2026-01-22
2026年1月22日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー
「名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で 前編 追い込まれる教員たち」
「名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で 後編 “軍事化”する学校」
2025年、チェコ、デンマーク。
録画しておいて、前後編を続けて見た。
見た印象としては、なんかあやしい。でっちあげ、やらせ、ということではないだろうが、非常に作為的な映像と編集であり、今ひとつ信用できないという気がしてならない。
今のロシアにおける、愛国教育、ということとしては、おそらく番組で言っているようなことだろうとは、想像する。
しかし、この番組の主人公のパシャ自身を映した映像は、いったい誰が撮ったものなのだろうか。部屋の中のシーンなどは、自分でカメラを設定して撮れなくもない。だが、夜、庭の植木をスコップで掘り起こして、かついで運ぶ姿をおいかけて撮影するというようなことは、自撮りではできない。協力者がいなければ無理である。しかし、この番組の中では、どのような人物が協力してくれたのかということは、一切でてきていない。その人物に危害が及ぶ危険性があるからということかもしれないが、全体として不自然である。
歴史の教師の写し方も、意図的に演技しているのではないか、という印象をもってしまう。教室での授業を記録するということなら、業務のうちであり、その映像データを持ち出すこともできただろうが、学校行事の記録映像という枠を超えたとおぼしい映像がとても多い。
番組の中で、男性として登場するのは、主人公のパシャと歴史教師が基本。歴史の教師は、愛国教育を担当する。男子学生は兵役のことについて語り、女子学生は戦場の兵士のことを心配する。こういう役割分担……まさに古典的なジェンダー規範によっている……で、作ってあるのも、いかにもわざとらしい。実際には、学生たちや、町の人びとの意見や気持ちとしては、いろんなことがあるはずだが、好戦的な大人(特に年配の男性)と平和主義の女性、という図式できりとってある。
強いていえば、この番組がまさに、プロパガンダ、である。ロシアのプーチンが悪い、犠牲になるのは子どもや女性たちである……こういう単純なことを、繰り返して強調する。こういう手法こそ、まさしくプロパガンダの常套手段である。
私は、ロシアが悪くない、プーチン大統領は間違っていない、とは思わない。しかし、こういう番組を見て、プーチンの犠牲になっているロシアの学校と、純情な子どもたち、ということが納得できるかというと、そうではない。むしろ逆に、これは、反プーチンのプロパガンダ番組であり、こういう番組を作るようになっているヨーロッパの国のあり方、ということについて危惧することになる。
これは、天邪鬼な見方だろうか。
2026年1月20日記
BS世界のドキュメンタリー
「名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で 前編 追い込まれる教員たち」
「名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で 後編 “軍事化”する学校」
2025年、チェコ、デンマーク。
録画しておいて、前後編を続けて見た。
見た印象としては、なんかあやしい。でっちあげ、やらせ、ということではないだろうが、非常に作為的な映像と編集であり、今ひとつ信用できないという気がしてならない。
今のロシアにおける、愛国教育、ということとしては、おそらく番組で言っているようなことだろうとは、想像する。
しかし、この番組の主人公のパシャ自身を映した映像は、いったい誰が撮ったものなのだろうか。部屋の中のシーンなどは、自分でカメラを設定して撮れなくもない。だが、夜、庭の植木をスコップで掘り起こして、かついで運ぶ姿をおいかけて撮影するというようなことは、自撮りではできない。協力者がいなければ無理である。しかし、この番組の中では、どのような人物が協力してくれたのかということは、一切でてきていない。その人物に危害が及ぶ危険性があるからということかもしれないが、全体として不自然である。
歴史の教師の写し方も、意図的に演技しているのではないか、という印象をもってしまう。教室での授業を記録するということなら、業務のうちであり、その映像データを持ち出すこともできただろうが、学校行事の記録映像という枠を超えたとおぼしい映像がとても多い。
番組の中で、男性として登場するのは、主人公のパシャと歴史教師が基本。歴史の教師は、愛国教育を担当する。男子学生は兵役のことについて語り、女子学生は戦場の兵士のことを心配する。こういう役割分担……まさに古典的なジェンダー規範によっている……で、作ってあるのも、いかにもわざとらしい。実際には、学生たちや、町の人びとの意見や気持ちとしては、いろんなことがあるはずだが、好戦的な大人(特に年配の男性)と平和主義の女性、という図式できりとってある。
強いていえば、この番組がまさに、プロパガンダ、である。ロシアのプーチンが悪い、犠牲になるのは子どもや女性たちである……こういう単純なことを、繰り返して強調する。こういう手法こそ、まさしくプロパガンダの常套手段である。
私は、ロシアが悪くない、プーチン大統領は間違っていない、とは思わない。しかし、こういう番組を見て、プーチンの犠牲になっているロシアの学校と、純情な子どもたち、ということが納得できるかというと、そうではない。むしろ逆に、これは、反プーチンのプロパガンダ番組であり、こういう番組を作るようになっているヨーロッパの国のあり方、ということについて危惧することになる。
これは、天邪鬼な見方だろうか。
2026年1月20日記
アナザーストーリーズ「太宰治心中〜死に焦がれた作家の生き方〜」 ― 2026-01-22
2026年1月22日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 太宰治心中〜死に焦がれた作家の生き方〜
テレビのドキュメンタリー番組で、文学や芸術などをとりあつかうことは、とても難しいことだと思っている。芸能関係について、私が見ることが多いのは、「芸能きわみ堂」「クラシックTV」などであるが、これらの番組を見て感じることは、一見すると一般的で分かりやすく音楽や古典芸能を紹介しているのだが、だが、よく見ていると、芸術というのは、所詮は分かる人にしか分からない、芸術とはそういうものである、という割り切りのようなところがある。(別に、芸術が分かることが、その人間の価値というか、評価について、そう大きくかかわることでもないだろう。無論、人びとの人権というようなこととは、関係ない。)
太宰治の小説は、新潮文庫でほとんどを読むことができる。数年前に、新潮文庫版で出ている範囲の作品は、まとめて全部読んだことがある。いくつかの作品は、うまいなあ、と感じるところがある。しかし、太宰治という作家を魅力的と感じかどうかとなると、少なくとも、私にとっては、太宰治は、さらに読みこんで考えてみようという気にはならない。
夏目漱石とか、森鷗外とか、芥川龍之介とか、あるいは、(その対極として)中里介山とか、その作家や作品を見ることによって、その時代を考えることにつながる、ということでは、太宰治には、あまりそういうところを感じない。また、昭和の文化や時代の世相を考えるときに、太宰治の作品が参照されるということは、あまりないと思っている。これは、別に、太宰の作品の文学的価値とは関係のないことである。ただ、そういう傾向の作品を書いた作家だったということである。私の中では、すぐれた文学者であることは分かるのだが、一つに焦点をあわせることが難しい作家である。
私の読んだ範囲だと、『敗戦後論』で、加藤典洋が「トカトントン」について言及しているのが、印象に残っている。
あるいは、そういう目で読んでみるならば、太宰治から、その生きた時代ということを考察することにつながるのかもしれないが、あまり、こういう動きがあるようには思えないでいる。
太宰治は、若い女性の一人称の語りによる作品が、とてもたくみである。読み始めて、ああ、これは、若い女性の語りだなと、直感的に分かる。ここで興味深いことは、(国語学、日本語学の研究の目からであるが)、なぜ、そう分かるのか、感じるのか、ということがある。ことばとして、特に女性のことばで、そのことを強調する文章にはなっていない。
太宰治が心中したときのことが、社会で大きなニュースになったということは、歴史の知識、文学史の知識ということになっている。これも、この時代にどのように報道されたか、特に女性のことをどう報じたか、という観点では、フェミニズムの立場から、いろいろと言うことがあるだろう。
太宰治の文学について、特に深入りすることなく、心中の事件の周辺をあつかった番組としては、てぎわよくまとまっていたとは、感じるところである。
「富岳百景」とか「斜陽」とか、また読みなおしてみようかと思う。できれば、斜陽館には一度は行ってみたい気がしているのだが、これはどうなるだろうか。
2026年1月15日記
アナザーストーリーズ 太宰治心中〜死に焦がれた作家の生き方〜
テレビのドキュメンタリー番組で、文学や芸術などをとりあつかうことは、とても難しいことだと思っている。芸能関係について、私が見ることが多いのは、「芸能きわみ堂」「クラシックTV」などであるが、これらの番組を見て感じることは、一見すると一般的で分かりやすく音楽や古典芸能を紹介しているのだが、だが、よく見ていると、芸術というのは、所詮は分かる人にしか分からない、芸術とはそういうものである、という割り切りのようなところがある。(別に、芸術が分かることが、その人間の価値というか、評価について、そう大きくかかわることでもないだろう。無論、人びとの人権というようなこととは、関係ない。)
太宰治の小説は、新潮文庫でほとんどを読むことができる。数年前に、新潮文庫版で出ている範囲の作品は、まとめて全部読んだことがある。いくつかの作品は、うまいなあ、と感じるところがある。しかし、太宰治という作家を魅力的と感じかどうかとなると、少なくとも、私にとっては、太宰治は、さらに読みこんで考えてみようという気にはならない。
夏目漱石とか、森鷗外とか、芥川龍之介とか、あるいは、(その対極として)中里介山とか、その作家や作品を見ることによって、その時代を考えることにつながる、ということでは、太宰治には、あまりそういうところを感じない。また、昭和の文化や時代の世相を考えるときに、太宰治の作品が参照されるということは、あまりないと思っている。これは、別に、太宰の作品の文学的価値とは関係のないことである。ただ、そういう傾向の作品を書いた作家だったということである。私の中では、すぐれた文学者であることは分かるのだが、一つに焦点をあわせることが難しい作家である。
私の読んだ範囲だと、『敗戦後論』で、加藤典洋が「トカトントン」について言及しているのが、印象に残っている。
あるいは、そういう目で読んでみるならば、太宰治から、その生きた時代ということを考察することにつながるのかもしれないが、あまり、こういう動きがあるようには思えないでいる。
太宰治は、若い女性の一人称の語りによる作品が、とてもたくみである。読み始めて、ああ、これは、若い女性の語りだなと、直感的に分かる。ここで興味深いことは、(国語学、日本語学の研究の目からであるが)、なぜ、そう分かるのか、感じるのか、ということがある。ことばとして、特に女性のことばで、そのことを強調する文章にはなっていない。
太宰治が心中したときのことが、社会で大きなニュースになったということは、歴史の知識、文学史の知識ということになっている。これも、この時代にどのように報道されたか、特に女性のことをどう報じたか、という観点では、フェミニズムの立場から、いろいろと言うことがあるだろう。
太宰治の文学について、特に深入りすることなく、心中の事件の周辺をあつかった番組としては、てぎわよくまとまっていたとは、感じるところである。
「富岳百景」とか「斜陽」とか、また読みなおしてみようかと思う。できれば、斜陽館には一度は行ってみたい気がしているのだが、これはどうなるだろうか。
2026年1月15日記
チューザイ in the World「インドネシア ジャカルタ」 ― 2026-01-22
2026年1月22日 當山日出夫
チューザイ in the World インドネシア ジャカルタ
今回の企業は、ユニ・チャームとヤクルト。
ヤクルトは、私の家に、毎週、販売の女性がやってくる。金曜日の午前中、10時すぎである。ヤクルト400の青いの、ということで、毎週、買っている。これは、7本入りである。
ジャカルタで、ヤクルトが5本入りで売っているということは、週に1回のペースで、定期的にとどけるというシステムになっていない、ということなのだろう。これが、将来的に、日本のように、毎週とどけてくれるという方式になるだろうか。(あるいは、日本で、今のような販売システムが、いつまで続くだろうか。)
インドネシアが経済的に発展して、近代化、都市化するということで、大きな流れとしては、健康志向ということが高まっていくことになる。この中で、ヤクルトの販売は、将来性のあるビジネスだとは思える。
ヤクルト販売の女性たちが、金に投資しているというのは、ちょっと驚く。(やや意地悪な見方をすれば、自国の政府と経済を信用し切れていない、ということなのかとも思うが、どうなのだろうか。今現在だと、金も銀も高騰して最高値を更新している。)
職場の懇親会が、焼き肉、というのは、豪華というべきだろうか。イスラムの国であるから、当然ながら豚肉ではない。お店のスタイルを見ると、どうも日本にもある焼き肉屋さんという雰囲気である。この店は、どういう人が経営しているのだろうか。インドネシアでこういうお店があるということは、同じようなスタイルのお店が、東南アジアの他の国にもあるのだろうか。
テーブルを見ると、お箸で食べるようになっている。まさに、日本的、あるいは、韓国的なスタイルである。(日本の焼き肉屋さんというのは、日本と韓国(あるいは朝鮮)の食文化の融合したものだと思っている。)
カラオケで、五輪真弓の「心の友」が歌われるという。(五輪真弓というと、私の世代だと、「恋人よ」がまず思いうかぶ。)
紙おむつが、赤ちゃんの出生数が多いインドネシアでは、これから有望なビジネスの分野だということは、そうなのだろう。
日本でも、完全に紙おむつの時代になったのは、21世紀になってからといってもいいかもしれない。私の子ども(長男)が生まれたのは、昭和の終わりごろであるが、このときは、まだ布のおむつを併用していた。
ワルンという形態の小売店がたくさんある。商品を小分けにして売る。これは、どう考えても、単価としては割高になるのだが、少量ずつ安くで買える方がいい。これは、やはり、まだまだ貧乏な人が多いということになるだろう。貧乏な人間ほど、高い買い物をしなければならないというのは、この世のきまりのようなものかもしれない。(日本だと、紙おむつは、たくさんはいっていて単価としては割安になる、ということだと思っている。)
ジャカルタでの市場調査の風景で、3歳になる女の子が、母親の側で、スマホをいじっているのは、もう世界中で珍しくない普通の光景である。しかし、3歳で、イヤリングをするのは、日本だと、どうだろうか。
マーケディングの会議で、掘りごたつ式のテーブルで話しをしていたが、これは、インドネシアでは普通のことなのだろうか。家賃が安いのか、オフィスが広々としているう。ちょっと気になったのは、会議をしている部屋の壁に並べてあった、たくさんのぬいぐるみ。これは、いったい何なのだろう。
インドネシアでの出産の半分が、病院ではなく、助産師によっている。日本でも、数十年前までは、自宅で産婆さんが取りあげるというのが、普通だった。紙おむつを売り込むのに、助産師さんに協力をあおぐというのは、王道であろう。日本でも、産科で出産して、その病院で使っている製品の紙おむつと同じ製品を、続けてつかうということがある。
インドネシアの食事は、スプーンとフォークというのは定番のようなのだが、こういうのは、オランダの殖民地時代にさかのぼるということなのだろうか。
大きなトカゲとかアリとか、いろいろといる。こういうのが好きな人にとっては、魅力的な国かと思う。
番組では言っていなかったことで気になっているのは、紙おむつは、その後、ゴミとしてどう処理されるのだろうか。インドネシアのゴミ処理事情ということが、知りたいことである。
2026年1月19日記
チューザイ in the World インドネシア ジャカルタ
今回の企業は、ユニ・チャームとヤクルト。
ヤクルトは、私の家に、毎週、販売の女性がやってくる。金曜日の午前中、10時すぎである。ヤクルト400の青いの、ということで、毎週、買っている。これは、7本入りである。
ジャカルタで、ヤクルトが5本入りで売っているということは、週に1回のペースで、定期的にとどけるというシステムになっていない、ということなのだろう。これが、将来的に、日本のように、毎週とどけてくれるという方式になるだろうか。(あるいは、日本で、今のような販売システムが、いつまで続くだろうか。)
インドネシアが経済的に発展して、近代化、都市化するということで、大きな流れとしては、健康志向ということが高まっていくことになる。この中で、ヤクルトの販売は、将来性のあるビジネスだとは思える。
ヤクルト販売の女性たちが、金に投資しているというのは、ちょっと驚く。(やや意地悪な見方をすれば、自国の政府と経済を信用し切れていない、ということなのかとも思うが、どうなのだろうか。今現在だと、金も銀も高騰して最高値を更新している。)
職場の懇親会が、焼き肉、というのは、豪華というべきだろうか。イスラムの国であるから、当然ながら豚肉ではない。お店のスタイルを見ると、どうも日本にもある焼き肉屋さんという雰囲気である。この店は、どういう人が経営しているのだろうか。インドネシアでこういうお店があるということは、同じようなスタイルのお店が、東南アジアの他の国にもあるのだろうか。
テーブルを見ると、お箸で食べるようになっている。まさに、日本的、あるいは、韓国的なスタイルである。(日本の焼き肉屋さんというのは、日本と韓国(あるいは朝鮮)の食文化の融合したものだと思っている。)
カラオケで、五輪真弓の「心の友」が歌われるという。(五輪真弓というと、私の世代だと、「恋人よ」がまず思いうかぶ。)
紙おむつが、赤ちゃんの出生数が多いインドネシアでは、これから有望なビジネスの分野だということは、そうなのだろう。
日本でも、完全に紙おむつの時代になったのは、21世紀になってからといってもいいかもしれない。私の子ども(長男)が生まれたのは、昭和の終わりごろであるが、このときは、まだ布のおむつを併用していた。
ワルンという形態の小売店がたくさんある。商品を小分けにして売る。これは、どう考えても、単価としては割高になるのだが、少量ずつ安くで買える方がいい。これは、やはり、まだまだ貧乏な人が多いということになるだろう。貧乏な人間ほど、高い買い物をしなければならないというのは、この世のきまりのようなものかもしれない。(日本だと、紙おむつは、たくさんはいっていて単価としては割安になる、ということだと思っている。)
ジャカルタでの市場調査の風景で、3歳になる女の子が、母親の側で、スマホをいじっているのは、もう世界中で珍しくない普通の光景である。しかし、3歳で、イヤリングをするのは、日本だと、どうだろうか。
マーケディングの会議で、掘りごたつ式のテーブルで話しをしていたが、これは、インドネシアでは普通のことなのだろうか。家賃が安いのか、オフィスが広々としているう。ちょっと気になったのは、会議をしている部屋の壁に並べてあった、たくさんのぬいぐるみ。これは、いったい何なのだろう。
インドネシアでの出産の半分が、病院ではなく、助産師によっている。日本でも、数十年前までは、自宅で産婆さんが取りあげるというのが、普通だった。紙おむつを売り込むのに、助産師さんに協力をあおぐというのは、王道であろう。日本でも、産科で出産して、その病院で使っている製品の紙おむつと同じ製品を、続けてつかうということがある。
インドネシアの食事は、スプーンとフォークというのは定番のようなのだが、こういうのは、オランダの殖民地時代にさかのぼるということなのだろうか。
大きなトカゲとかアリとか、いろいろといる。こういうのが好きな人にとっては、魅力的な国かと思う。
番組では言っていなかったことで気になっているのは、紙おむつは、その後、ゴミとしてどう処理されるのだろうか。インドネシアのゴミ処理事情ということが、知りたいことである。
2026年1月19日記
ブラタモリ「琵琶湖クルーズ▼琵琶湖はなぜ日本一の湖であり続けられるのか?」 ― 2026-01-22
2026年1月22日 當山日出夫
ブラタモリ 琵琶湖クルーズ▼琵琶湖はなぜ日本一の湖であり続けられるのか?
琵琶湖が断層によってできた湖であることは知っていたが、今も断層が動いていて、湖が沈んでいる。だから、川から土砂が流れ込んでも、埋まってしまうことがない。滋賀県のHPでは、今から400万年前にできた、とある。
琵琶湖を南から北へと船で移動するだけのことであったが、琵琶湖が出来た歴史から、現在にいたるまでの過程を、手際よくまとめてあったという印象である。特に、地学の知見としては、そうなのだろうと思う。
省いてしまったこととしては、その生物の様相、生態系とか、周辺の地域の歴史や文化ということがあったのだが、これは、いたしかたないことかと思う。これまでに琵琶湖周辺の町などについては、多くとりあげてきている。
白鬚神社が映っていた。ここは、観光客が鳥居の写真を撮るためにおしよせて、道路に出るので危ない、ということで話題になっていたところである。番組の中で映っていた映像では、観光客であふれているという感じではなかったが、さて、今はどうなのだろうか。
今だと、白鬚神社よりも、大津ホテルの方に、みんな行ってしまう、ということなのかもしれない。(ちょっと距離があるけれど。だが、琵琶湖大橋があるので、なんとかなるだろうか。私は、琵琶湖大橋が出来たときのことを記憶している。)
2026年1月20日記
ブラタモリ 琵琶湖クルーズ▼琵琶湖はなぜ日本一の湖であり続けられるのか?
琵琶湖が断層によってできた湖であることは知っていたが、今も断層が動いていて、湖が沈んでいる。だから、川から土砂が流れ込んでも、埋まってしまうことがない。滋賀県のHPでは、今から400万年前にできた、とある。
琵琶湖を南から北へと船で移動するだけのことであったが、琵琶湖が出来た歴史から、現在にいたるまでの過程を、手際よくまとめてあったという印象である。特に、地学の知見としては、そうなのだろうと思う。
省いてしまったこととしては、その生物の様相、生態系とか、周辺の地域の歴史や文化ということがあったのだが、これは、いたしかたないことかと思う。これまでに琵琶湖周辺の町などについては、多くとりあげてきている。
白鬚神社が映っていた。ここは、観光客が鳥居の写真を撮るためにおしよせて、道路に出るので危ない、ということで話題になっていたところである。番組の中で映っていた映像では、観光客であふれているという感じではなかったが、さて、今はどうなのだろうか。
今だと、白鬚神社よりも、大津ホテルの方に、みんな行ってしまう、ということなのかもしれない。(ちょっと距離があるけれど。だが、琵琶湖大橋があるので、なんとかなるだろうか。私は、琵琶湖大橋が出来たときのことを記憶している。)
2026年1月20日記
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