BS世界のドキュメンタリー「北の女と南の男 韓国 脱北者“結婚のリアル”」2026-01-24

2026年1月24日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「北の女と南の男 韓国 脱北者“結婚のリアル”」

結婚するのは、今は、世界のどの国でも大変だよなあ、と思ってしまう。韓国もとても大変なようだ。

いや、それよりも、なによりも、一番驚いたのは、見始めた冒頭で、ソウル市内で餓死した人がいたということ。日本でも、絶対的貧困ということは言われているのだが、東京で人が死んで餓死だったというのは、まずないだろう。あっても、老人などの孤独死(おそらくは病死)かと思うが、これなどは、もう当たり前すぎて、ニュースにはならない。でも、餓死はないだろうと思うのだが、どうなのだろうか。

いったい韓国の社会保障とか、生活保護のシステムとか、どうなっているのだろうか。

韓国のことについては、一部の人たちからは成熟した民主主義の国として絶賛されることがある。前大統領の戒厳令をくつがえしたときなど、特に左翼という人たちは、韓国のことを褒めちぎっていた。その一方で、日本を上回る少子高齢化の実態や、ソウルへの一極集中の弊害など、問題点をとりあげることもある。

そもそも、北朝鮮からの脱北者がどれぐらいいて、どんなルートで脱北したのか、そのうちどれぐらいが、韓国で住んでいるのか、その生活はどんななのか、男女比はどうなのか……ということの、基本的な情報が、ほとんど知られていない。調べれば分かることかとも思うのだが、こういうことは、マスコミなどでは、まずとりあげない。(北朝鮮の日本人拉致のことは、多く出てくる。これも、北朝鮮の社会の現状や、脱北者の人たちという、全体像のなかで考えるべきことのように思う。)

脱北してきた女性をターゲットにして(?)の結婚マッチングサービスがあるというのは、そういう人……脱北者の若い女性、それを求める韓国の男性……が、多いということなのだろう。逆に、脱北者の男性と、韓国の女性ということは、どうなのだろうかと思うが。

相手が脱北した女性であっても、韓国の男性の側としては、十分な収入があって、持ち家があって、ということでなければならないらしい。これは、今の韓国の社会においては、かなり高いハードルというべきだろう。(愛し合っていればいいのよ、というわけにはいかないのが、現実の人の世の姿ということなのかとも思うのだが。)

結婚したとしても、順調に夫婦で生活できるとは限らないようだ。

脱北した女性が言っていたが、北朝鮮の家族観は、今の日本で考えてみても、きわめて古めかしい封建的なものである。女性は、虐げられているというべきだろうか。(かつて、この国が、地上の楽園とされた時代があったことを、忘れてはいけない。)

また、韓国の人たちの結婚観についても、その家族観はかなり古風なものを、残しているというべきだろう。男は稼がなければならないし、女は奉仕しなければならない。これは、男性にとっても、女性にとっても、(現代の一般的な価値観からするならば)あまり幸せとは思えない。

北朝鮮が地上の楽園ではないように、韓国も成熟した民主主義の国であるとは、いえないだろう。過去の民族の歴史があり(日本の統治下にあった時代よりも、さらに古くさかのぼる、古来よりの歴史と伝統である)、現代的な価値観の変化と、社会や経済情勢の激変のなかで、なんとか生きているということになるだろう。

そして、思うことは、こういう番組は、日本では作れないだろうということも感じることである。以前あった、BSの「Asia Insight」なら、取りあげることがあったかとも思うが。

2026年1月21日記

スイッチインタビュー「吉沢亮×四代目 中村鴈治郎」2026-01-24

2026年1月24日 當山日出夫

スイッチインタビュー 「吉沢亮×四代目 中村鴈治郎」

お正月に再放送があったのを録画しておいて、ようやく見た。最初の放送は、2025年6月である。

『国宝』は、原作の吉田修一の小説は読んでいる。映画が、とても話題になっていることは知っている。だが、あまり映画を見たいとは思わない。もう今の生活だと、映画館まで行くのが(自動車に乗っていかないといけない)面倒になってしまったということもある。それから、『国宝』を映画化するなら、いっそのこと、舞台シーンは無しにし、喜久雄を中心とした様々な登場人物たちの人間のドラマとして描く、あるいは、昭和の時代を年代記風に描く、ということの方が、面白いと思う。歌舞伎の舞台シーンで見せるというのは、そういう作り方もあることは分かるし、これはこれで、とても難しいことなのだが、それよりも、極道に出自を持つ若者が、大阪に出て歌舞伎に出会い、梨園で生きていく姿のこと、その周囲の人物関係と心理、これを一種の教養小説風、昭和の年代記、として作ることの方が、私としては好みということになる。その舞台シーンは、観客の想像にゆだねる、ということでもいいではないだろうか。舞台のシーンは無いのだが、そのシーンを映画を見ながら想像する……これは、今の時代には、無理なことだろうか。

この番組としては、芸談、としてとても面白かった。吉沢亮が喜久雄を演じ、喜久雄が演じた『曽根崎心中』のお初を演じる……ここにある微妙な関係が、とても面白い。これが、歌舞伎の舞台だったら、鴈治郎が演じたお初を観客は見るだけのことになる。映画の表現と、歌舞伎の表現の違いということを、的確に四代目鴈治郎と吉沢亮が語っていた。

四代目鴈治郎は、歌舞伎の家に生まれたが、初舞台は遅く、中学高校の間は、歌舞伎にかかわることを許されなかったという。これも、非常に面白い。その芸の家に生まれたら、幼いころから徹底的に芸をしこまれて、ということではない。だからこそ表現出来る人間ということになるのだろう。

演劇という、舞台という観客と時空間を共有するところに生まれる芸術と、映画という映像表現と、その違いということについても、実際の役者ならではの感覚で語るところがある。そういうものだろうと思う。

ところで、『曽根崎心中』は、近松門左衛門の作であるが、この時代には、人形は一人でつかっていた。お初と徳兵衛が、お初の足で気持ちをたしかめるという部分は、近松の時代の人形浄瑠璃ではできなかった、と思うのだが、『曽根崎心中』の演劇史、芸能史、としては、どういうことになるのだろうか。番組の中で映っていた、現在の文楽のシーンは、玉男と簔助だった。ちょっと古い。

2026年1月22日記

大人のEテレタイムマシン 土曜美の朝「心のままに撮る 写真家 植田正治 植田正治」2026-01-24

2026年1月24日 當山日出夫

大人のEテレタイムマシン 土曜美の朝「心のままに撮る 写真家 植田正治 植田正治」

中学生のころから、カメラを使っている。暗室の作業で、現像液の中の印画紙に写真が浮かびあがってくるのは、とても魅力的である。写真の魅力の醍醐味といってもいいだろう。だが、これも、今のデジタルカメラになって、味気ない感じがするところもあるが。

植田正治は、名前も作品も知っている。しかし、私の世代で写真を撮ることを趣味としてきた人間の多くがそうだろうと思うが、土門拳のリアリズム……絶対非演出、絶対スナップ……ということの方に、大きく影響されるところがある。土門拳の目があまりに峻厳と感じる場合には、木村伊兵衛などにひかれるところもあった。ただ、木村伊兵衛もものすごく鋭い目の持ち主であるけれど。

現在になってふりかえると、植田正治の写真が、とても魅力的なものに感じる。あるいは、(ちょっと古いことばだが)モダンというべきだろうか。

私は、植田正治というと、砂丘の人物写真を思い浮かべる。人物を撮ったというよりも、不思議な空間に人がいる、その空間的配置に、不思議な感じがする。

土門拳の言ったような絶対リアリズムということは不可能である。これは、そのとおりであるにちがいない。カメラを向けられた人間は、それを意識せざるをえない。これは、見方によっては、土門拳の写真の本質かとも思える。このことについては、木村伊兵衛の人物写真は、写される人物がカメラを意識していることが、実に自然なことに写している。これはこれで、すごいことである。

番組を見ていて気になったことは、字幕ありで見ていると、「海外」となっているのだが、これは、「絵画」の間違いだろう。植田正治の写真は「絵画」というのことばがふさわしい。

インタビューしているのは、山根基世アナウンサーであったが、やはり若い。

写真を撮っているところの映像を見ると、使っているカメラは、ペンタックス6×4、ハッセルブラッド、である。フィルムカメラの名機である。

2026年1月22日記

よみがえる新日本紀行「雪の岬で...-兵庫県香住町御崎-」2026-01-24

2026年1月24日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「雪の岬で...-兵庫県香住町御崎-」

再放送である。2024年。オリジナルは、昭和54年(1979年)。

餘部鉄橋から始まっていた。この鉄橋で事故のあったのは、かなり前のことになるだろうか。

香住には、一~二回、行ったことがある。冬の間に、カニを食べにである。

だが、香住の御崎にこのような生活があるということは、知らなかった。冬になって、雪崩が起こるのが当たり前。道が雪崩でふさがれると、その上を歩いて学校に通う。(かなり危ないと思うのだが、どうなのだろうか。)

オリジナルの番組の時点で、家の数が23軒だったものが、2024年で15軒、だという。これは、あまり減らずに残っている方だと見るべきだろうか。この地域も、過疎高齢化、人口減少の地域であるはずだが。

38年の大雪……と言っていたのだが、いわゆる「三八豪雪」である。もう、こういうことも、歴史の知識ということでいいだろうか。私は、体験的には記憶していないが、ことばとしては知っている。

平家の落人伝説の村落であり、神社にお参りすることが、人びとの日課になっている。厳しい自然環境の中で、孤立したエリアであるから、住んでいる人たちの結束を維持することが、何より重要なことだった。そうでなければ、生きていけない。こういうことを、ただ地方の封建的な悪弊とは言い切れないかと思う。

今では、人口は減ったようだが、それでも、年に一回の百手の儀式のために、都会に出た人が、子どもを連れて帰ってくる。こういうことは、続いていっていいことだと思う。

ちょっと映っていたのだが、軒先に干してあるカレイの干物があった。これは、絶対に美味しいにちがいない。カニよりも、こういうものの方が美味しいだろうと思うようになっている。カニは、都会のお店でも食べられるのだが、地元のものは、難しい。

2026年1月22日記