偉人の年収 How much?「作家 林芙美子」 ― 2026-01-31
2026年1月31日 當山日出夫
偉人の年収 How much?「作家 林芙美子」
林芙美子について、目新しいことがふくまれれていたという内容ではなかったが、全体として、まとまったものになっていた。
『放浪記』は、むか~し、高校生の時の国語の教科書に出てきていたのを憶えている。筑豊の炭田で行商生活を送っているときの部分である。現在、『放浪記』として読むとすると、今でも、新潮文庫本などが、代表だろうが、これを読むと、はじめの方に出てくる。
『放浪記』は、出版されて大評判になって、その後、本になるとき、かなり改変しているということが言われている。おそらく最初の『放浪記』になるだろうが、Kindle版では、「放浪記(初出)」を読むことができる。0円である。(林芙美子は、著作権が切れている)。『放浪記』の書誌については、いろんな問題があるかと思う。それを追求してみようという気もおこらないでいるが、近代文学研究にとっては、かなり重要な部分になるはずである。
川本三郎の『林芙美子の昭和』は、出た時に買って読んだ本である。(このシリーズの『荷風の東京』『白秋望景』も読んだ。)
パリの滞在記も面白いが、その時代、日本からパリに行くのに、シベリア鉄道を使っている。それも、下のレベルの席である。その道中を書いているのだが、これも面白い。
日中戦争で、従軍記を書いていることは、常識的なことだろう。林芙美子は、時代の流れの中で、読者のもとめるものを書いてきたという意味では、このことを、否定的に見ることはないだろう。むしろ、その時代の人びとが、どのような読み物を求めていたかということから、考えるべきことになる。
とにかく書いて早くに亡くなってしまった作家なのだが、今、読んでみても、その作品は、庶民的な感情にうったえるものがあることはたしかである。
2026年1月29日記
偉人の年収 How much?「作家 林芙美子」
林芙美子について、目新しいことがふくまれれていたという内容ではなかったが、全体として、まとまったものになっていた。
『放浪記』は、むか~し、高校生の時の国語の教科書に出てきていたのを憶えている。筑豊の炭田で行商生活を送っているときの部分である。現在、『放浪記』として読むとすると、今でも、新潮文庫本などが、代表だろうが、これを読むと、はじめの方に出てくる。
『放浪記』は、出版されて大評判になって、その後、本になるとき、かなり改変しているということが言われている。おそらく最初の『放浪記』になるだろうが、Kindle版では、「放浪記(初出)」を読むことができる。0円である。(林芙美子は、著作権が切れている)。『放浪記』の書誌については、いろんな問題があるかと思う。それを追求してみようという気もおこらないでいるが、近代文学研究にとっては、かなり重要な部分になるはずである。
川本三郎の『林芙美子の昭和』は、出た時に買って読んだ本である。(このシリーズの『荷風の東京』『白秋望景』も読んだ。)
パリの滞在記も面白いが、その時代、日本からパリに行くのに、シベリア鉄道を使っている。それも、下のレベルの席である。その道中を書いているのだが、これも面白い。
日中戦争で、従軍記を書いていることは、常識的なことだろう。林芙美子は、時代の流れの中で、読者のもとめるものを書いてきたという意味では、このことを、否定的に見ることはないだろう。むしろ、その時代の人びとが、どのような読み物を求めていたかということから、考えるべきことになる。
とにかく書いて早くに亡くなってしまった作家なのだが、今、読んでみても、その作品は、庶民的な感情にうったえるものがあることはたしかである。
2026年1月29日記
木村多江の、いまさらですが…「豊臣秀長〜天下一統を支えた男〜」 ― 2026-01-31
2026年1月31日 當山日出夫
木村多江の、いまさらですが… 豊臣秀長〜天下一統を支えた男〜
たまたま番組表で見つけたので録画しておいて見た。この番組は、NHKの他の番組とは異なる視点から見るということがあって、面白いことがあるのだが、この回については、はずれだった。なんにも、新しい視点はない。
そもそも、豊臣秀長については、これまで、戦国時代ドラマでもあまりとりあげられてきていないし、一般に知られているということではない。また、歴史学においても、史料が無い、ということで、あまり研究がすすんでいない人物ということになるようである。
この、史料が無い、ということの意味。たまたまそうなのか、その仕事の関係として、文書の発給をしないし、残さない、ということであったのか……このことの歴史の意味があると思うのだが、歴史研究の方法論として、史料が無いことの意味を考えるというのは、ちょっと難しいことである。(史料によって論ずるということが歴史学であるかぎり、史料の無いことについては語れない。)
出てきたことは、他の『豊臣兄弟!』関連の番組であつかったことばかりであった。
秀長を、農民の気持ちの分かる為政者として見たい……こういう番組作成者の意図は分かるのだが、はたしてそうだろうか。刀狩りや、検地は、(古めかしいことばをあえてつかうならば)武力と経済の支配であり統制である、と見ることもできよう・
菊家の御城之口餅は、ときどきもらうことがある。わりとあっさりした味である。現代的に甘さを抑えているのかと思う。きな粉が上品な味になっている。
2026年1月27日記
木村多江の、いまさらですが… 豊臣秀長〜天下一統を支えた男〜
たまたま番組表で見つけたので録画しておいて見た。この番組は、NHKの他の番組とは異なる視点から見るということがあって、面白いことがあるのだが、この回については、はずれだった。なんにも、新しい視点はない。
そもそも、豊臣秀長については、これまで、戦国時代ドラマでもあまりとりあげられてきていないし、一般に知られているということではない。また、歴史学においても、史料が無い、ということで、あまり研究がすすんでいない人物ということになるようである。
この、史料が無い、ということの意味。たまたまそうなのか、その仕事の関係として、文書の発給をしないし、残さない、ということであったのか……このことの歴史の意味があると思うのだが、歴史研究の方法論として、史料が無いことの意味を考えるというのは、ちょっと難しいことである。(史料によって論ずるということが歴史学であるかぎり、史料の無いことについては語れない。)
出てきたことは、他の『豊臣兄弟!』関連の番組であつかったことばかりであった。
秀長を、農民の気持ちの分かる為政者として見たい……こういう番組作成者の意図は分かるのだが、はたしてそうだろうか。刀狩りや、検地は、(古めかしいことばをあえてつかうならば)武力と経済の支配であり統制である、と見ることもできよう・
菊家の御城之口餅は、ときどきもらうことがある。わりとあっさりした味である。現代的に甘さを抑えているのかと思う。きな粉が上品な味になっている。
2026年1月27日記
フランケンシュタインの誘惑「3人のキリスト 信念は変えられるか」 ― 2026-01-31
2026年1月31日 當山日出夫
フランケンシュタインの誘惑 3人のキリスト 信念は変えられるか
見終わって思うことは、たしかにこの心理学の実験は、倫理的に問題がある、ということは、今の社会においては、常識的なことになる。だが、なぜ、それが倫理的に問題であるのか、ということを説明するとなると、ちょっと難しいかと思うことになる。
この実験の場合、被験者が、精神病者である、ということなので、こういう部分をいくぶん考慮することになるかとは思う。だが、そうであっても、虚偽の情報で、人が信念として思っていることに介入すること、それを変えようとすることの是非、ということの問題となる。
私が、見て、もっとも興味深かったのは、それぞれ自分はキリストだと思っている三人の人を、共同生活させて……はじめのうちは対立があったけれども、そのうち、仲良くなる、というか、お互いに対立することを避けるようになって、共存する生活を選ぶようになる、ということである。自分の価値観とは相容れない人がそばにいて生活しているとしても、それが、どこかで妥協点を見出して、軋轢を避ける方向にむかう。これはこれで、非常に重要なことかと思う。(このことについて、心理学者などは、どう考えることになるのだろうか。)
今の時代、価値観の多様性ということがいわれるが、お互いに妥協点が見出せない対立が多くなっている。それでも、なんとか、共同で生活しているうちには、どうにかして、無用な軋轢を避ける方向を見つけることが可能かもしれない。必要以上に、相互に干渉しない、ということであっても、それで、争いが回避できるなら、それはそれでいい。
(とはいっても、どうしてもこの世の中に存在することを許しがたい考え方というものは、あるかもしれない。たとえば、ヒトラーを礼讃するような考え方があるだろうか。それでも、それが、その人の心のうちのことである限り、他から干渉されるべきではない、ということはいっていいだろう。どんな内容であっても、思想信条の自由は保障されるべきだろう。)
虚偽によって、人の考えを変えることは、倫理的に問題がある。これは、そのとおりかと思うが。だが、これに近いことは、今の時代に多くあるだろう。
たとえば、日本のこととしては、いわゆるカルトから脱退したい人、させたい人に対して、逆に、それこそ、マインドコントロールであり、個人の自由意志への強引な介入ではないか、というべきことが、おこなわれたりする。目指す方向が、正義であると一般に認められるなら、個人の自由意志への介入、それが、ときに虚偽をともなうものであっても、実際におこなわれているのが、現実の社会である。
強いていえば、その非常に緩やかなことが、教育である、といってもいいかもしれない。(それが、愛国教育であれ、平和教育であれ。)
この番組では言っていなかったことで気になるのは、自分はキリストだと信じこんでいるとして、そのキリストというのは、神そのものなのか、あるいは、預言者としてのキリストなのか、ここは微妙な違いがあるはずである。基盤となる信仰が、プロテスタントか、カトリックか、ということも、どうなのかと思う。
2026年1月29日記
フランケンシュタインの誘惑 3人のキリスト 信念は変えられるか
見終わって思うことは、たしかにこの心理学の実験は、倫理的に問題がある、ということは、今の社会においては、常識的なことになる。だが、なぜ、それが倫理的に問題であるのか、ということを説明するとなると、ちょっと難しいかと思うことになる。
この実験の場合、被験者が、精神病者である、ということなので、こういう部分をいくぶん考慮することになるかとは思う。だが、そうであっても、虚偽の情報で、人が信念として思っていることに介入すること、それを変えようとすることの是非、ということの問題となる。
私が、見て、もっとも興味深かったのは、それぞれ自分はキリストだと思っている三人の人を、共同生活させて……はじめのうちは対立があったけれども、そのうち、仲良くなる、というか、お互いに対立することを避けるようになって、共存する生活を選ぶようになる、ということである。自分の価値観とは相容れない人がそばにいて生活しているとしても、それが、どこかで妥協点を見出して、軋轢を避ける方向にむかう。これはこれで、非常に重要なことかと思う。(このことについて、心理学者などは、どう考えることになるのだろうか。)
今の時代、価値観の多様性ということがいわれるが、お互いに妥協点が見出せない対立が多くなっている。それでも、なんとか、共同で生活しているうちには、どうにかして、無用な軋轢を避ける方向を見つけることが可能かもしれない。必要以上に、相互に干渉しない、ということであっても、それで、争いが回避できるなら、それはそれでいい。
(とはいっても、どうしてもこの世の中に存在することを許しがたい考え方というものは、あるかもしれない。たとえば、ヒトラーを礼讃するような考え方があるだろうか。それでも、それが、その人の心のうちのことである限り、他から干渉されるべきではない、ということはいっていいだろう。どんな内容であっても、思想信条の自由は保障されるべきだろう。)
虚偽によって、人の考えを変えることは、倫理的に問題がある。これは、そのとおりかと思うが。だが、これに近いことは、今の時代に多くあるだろう。
たとえば、日本のこととしては、いわゆるカルトから脱退したい人、させたい人に対して、逆に、それこそ、マインドコントロールであり、個人の自由意志への強引な介入ではないか、というべきことが、おこなわれたりする。目指す方向が、正義であると一般に認められるなら、個人の自由意志への介入、それが、ときに虚偽をともなうものであっても、実際におこなわれているのが、現実の社会である。
強いていえば、その非常に緩やかなことが、教育である、といってもいいかもしれない。(それが、愛国教育であれ、平和教育であれ。)
この番組では言っていなかったことで気になるのは、自分はキリストだと信じこんでいるとして、そのキリストというのは、神そのものなのか、あるいは、預言者としてのキリストなのか、ここは微妙な違いがあるはずである。基盤となる信仰が、プロテスタントか、カトリックか、ということも、どうなのかと思う。
2026年1月29日記
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