『おんな城主直虎』あれこれ「気賀を我が手に」2017-07-11

2017-07-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年7月9日、第27回「気賀を我が手に」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story27/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年7月4日
『おんな城主直虎』あれこれ「誰がために城はある」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/04/8611928

以前のこのブログで、「気賀の町衆」ということばがはじめて出てきたとき、そのことに注目しておいた。また、このドラマは、「自由」が一つのテーマではないか、ということについても言ってみた。そのことが、より鮮明になったのが、前回から今回への展開であろうか。

もちろん、中世、戦国時代に「自由」というようなことばがあることはないだろう。近代的な意味における「自由」の成立は、日本の歴史の上では、どう考えて見ても明治以降のことになるちがいない。

しかし、このドラマを見ていると、「自由」を描こうとしているように見える。その「自由」を体現しているのは、龍雲丸である。近代的な市民ではない。あくまでも、中世、戦国時代の人物である。そのような人間にとって、領主の支配下にある武士でもない、また、領地に定住する農耕民でもない。主に商業を軸になりわいをたてている。(とはいえ、龍雲丸は、もとはといえば、盗賊であるのだが。)このような龍雲丸にとってのエトスは、「自由」ということになるのではなかろうか。

また、この回では、方久が重要な役割をはたしていた。彼もまた武士の出身ではない。商人である。それが、井伊のイエにつかえて、イエをまもるために大きな働きをする。

現代風の言い方をすれば、井伊のイエを、ビジネスで生き延びさせる、これが、方久の、また、龍雲丸の役割どころ、といったところであろうか。

気賀の町が井伊のものになって、ドラマは、後半にはいっていくことになるのだろう。今川と武田の縁がきれた。まわりには、北条、徳川、織田といった戦国大名たちがひしめいている。そのなかで、井伊という土地の安寧を願ってそこに生活している、直虎たちの運命はどうなるのであろうか。(まあ、その最終的な結果について、現代の我々は知っていることになるのだが。)

ところで、今回も、和尚とネコがでてきていた。特に、どのような役があったということもないようであるが、あの和尚とネコがいるかぎり、井伊は安泰であるという印象になる。和尚にはネコがよく似合う。

追記 2017-07-18
この続きは、
やまもも書斎記 2017年7月18日
『おんな城主直虎』あれこれ「死の帳面」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/18/8622787

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/11/8618205/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

_ Coffee, Cigarettes & Music - 2018-01-23 19時02分21秒

皆さんこんばんは。今回は昨年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』第26~30回についての感想です。まずはあらすじです。龍雲丸(柳楽優弥)らが材木を取り戻すことによって今川氏真(尾上松也)からの疑惑を解いた井伊直虎(柴崎コウ)。事なきを得たかに思えたが、今度は今川