『西郷どん』あれこれ「勝と龍馬」2018-07-31

2018-07-31 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年7月29日、第28回「勝と龍馬」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/28/

前回は、
やまもも書斎記 2018年7月24日
『西郷どん』あれこれ「禁門の変」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/24/8924402

この回で描かれていたのは、西郷のナショナリズム。

無論、ドラマのなかでは「ナショナリズム」という語が用いてあるわけではない。だが、これから、倒幕へと動くことになる西郷を、今のことばでいうなら、ナショナリストして造形していた。日本という国は、そこに生きる人びとのためにあるのである……非常に素朴な感覚であるが、これが西郷のナショナリズムとして、描かれていた。

この西郷のナショナリズムは、日本という国を徳川幕府の存続という観点からしか見ない一橋慶喜と対立することになる。いや、対立をとおりこして決別と言っていいか。西郷は慶喜のもとをたちさる。

この後の西郷の動きは、薩長同盟を基軸としての倒幕の中心として動くことになることになるのだろう。

また、この西郷の素朴なナショナリズムは、将来、明治になってから、大久保利通の進める国権的ナショナリズムと対立することになるにちがいない。そこで、西南戦争という筋が見えてきたような気がする。

それから、長州征伐を、長州側の帰順という形で収めた西郷の交渉手腕は、これからの、江戸攻略の時の、伏線となっている。歴史の結果としては、(一般的な理解では)西郷と勝海舟との直談判で、江戸城無血開城になったということである。幕府を見限った勝海舟、民とともにあることを選ぶ西郷、この二人にとって、江戸幕府の存続よりも、江戸の人びとの生活の方が大事になってくることは、確かなことだろう。

ともあれ、このドラマ、西郷吉之助という人物を、素朴な人びとの生活を大事にするという観点からのナショナリストして行動することになる、この方向性ははっきりしてきたようである。だが、これは、近代日本の国民国家の成立からすれば、ある意味では、邪魔になる理念かもしれない。たぶん、大久保などの進める富国強兵路線とは対立することになるのだろう。

まだ、幕末のこの時期には、日本という近代国家が見えていない時期である。その中にあって、漠然とながらも、日本を考えていたのは、勝海舟、それから、坂本龍馬、そして、西郷隆盛、ということになるのであろうか。

素朴なナショナリズムは、ある意味で危険である。過激に暴走しやすい。この過激なエネルギーが、倒幕へと西郷を導いていくことになるのであろうと思って見ている。

追記 2018-08-07
この続きは、
やまもも書斎記 2018年8月7日
『西郷どん』あれこれ「三度目の結婚」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/08/07/8935554

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