『城』カフカ2018-07-12

2018-07-12 當山日出夫(とうやまひでお)

カフカ.前田敬作(訳).『城』(新潮文庫).新潮社.1971(2005.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/207102/

城

カフカの作品、先日、『変身』を読んだ。
やまもも書斎記 2018年8月5日
『変身』カフカ

世界文学の名作の読み直し、『城』(カフカ)である。この作品、読んだかどうかも覚えていないのだが、たしか読まなかったような……ともあれ、新潮文庫の改版してきれいになっている本で読んでみた。

ちょっと違和感を感じたのは、この作品の紹介として、

「職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す。」

の文言。文庫本の裏の紹介文に書いてあるし、それから、新潮社のHPのこの作品のところにも、同じことが書いてある。

出てくる職業は「測量士」……いったい何の仕事だろうと思って読んでみたのだが、ただ、主人公「K」の仕事が「測量士」として出てはくる、しかし、その仕事の具体的なことは一切出てこない。だからこそ、この作品の意図における、ある職業の名称としての「測量士」ということなのかとも思うが、よくわからなかったところである。

ともあれ、この作品、ある組織、あるいは、社会、さらには、世界、から疎外された状態にある人間の有様を、描いている。このようにしかいいようがない。私の読んだ印象では、別に、主人公「K」の仕事が「測量士」でなくても、この作品はなりたつものであると感じる。

読みながら付箋をつけた箇所。

「あなたは、お城の人でもなければ、村の人間でもない。あなたは、何者でもいらっしゃらない。でも、お気の毒なことに、あなたは、やはり何者かでいらっしゃる。あなたは、つまり他国者なのです。不必要な、どこへ行っても邪魔になる人、たえず迷惑の種になる人(中略)あなたは、そういう他国者でいらっしゃる。」(p.104)

このような疎外感、いわば実存的な不安とでもいうべきものがこの作品をつらぬいている。何といって大事件がおこるようなストーリーではない。〈城〉に呼ばれ、しかし、疎外され続ける主人公「K」について子細に描写される。そこにあるのは、いいようのない不安感とでもいえばいいだろうか。

だが、その一方で、逆に、この作品から感じるものとしては、このような疎外感、実存的な不安を語ることによって逆説的に感じるのが、無償の愛、とでもいうべきもの。または、完全なる自由、とでも言っていいだろうか。または、確たるアイデンティティーと言ってもよいか。〈城〉から疎外され続ける主人公「K」に共感して読むというよりも、「K」が得られないでいるものが何であるかを、感じ取ってしまうのである。

カフカがこの作品を書いた背景には、その当時のユダヤ人というものがあったにちがいない。そして、文学史的な理解としては、それをどのように文学的に表現しているか、ということで読むことになるのだろう。それは、読んだ文庫本の解説に書いてあるような、(私なりに理解したところでいえば)世界と自己との亀裂とでも表現できるような意識のあり方であろう。

そして、世紀末、ヨーロッパにおけるユダヤ人の疎外感……このことで思い浮かぶのは、マーラーでもある。カフカとマーラーを並べて論じたものがあるのかどうか、私は知らないが、ヨーロッパ世界にあって、多層的に疎外された意識ということでは、共通するものがあるのかもしれない。

カフカという作家、現代ではあまり読まれない作家になってしまっているともいえそうである。文庫本の解説には、

「今日、世界がふたつの陣営に分裂し、そのいずれにも属さない生きかたはありえないといわれるとき、このようなカフカの存在把握は、おそろしいまでに予言的な真実性をもっている。」(p.623)

この解説も、時代を感じさせる。1971年である。そして、ベルリンの壁の崩壊後、グローバルという名のもとに世界はある。その世界のなかで、疎外される自己というものがあるとするならば、それを、まさに、カフカの作品は預言的に描いたと言えるだろう。

追記 2018-07-13
この続きは、
やまもも書斎記 2018年7月13日
『城』カフカ(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/07/13/8914796