「100分de名著」『ブルデュー ディスタンクシオン』岸政彦2021-01-30

2021-01-30 當山日出夫(とうやまひでお)

ディスタンクシオン

岸政彦.『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』.NHK出版.2020
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000062231202020.html

実は、『ディスタンクシオン』は買ってもっている。おそらくNHKのこの番組にあわせたのかもしれないが、昨年、新しい版で廉価版として刊行になっている。これを読もうと思って買ってはあるのだが、その前に予習というような意味で、こっちの本を読んでみた。

ただ、私は、NHKの番組は見てはいない。これはそのテキストである。しかし、良く書けていると思う。

第一に、ブルデューの生いたちからはじまって、『ディスタンクシオン』の概要が簡潔にまとめてある。

第二に、その批判についてどう考えるかが、それぞれの論点について、手際よくまとめてある。

以上の二点をきちんとふまえているし、全体として大部なものではない。あっさりと読めてしまった。(後は、覚悟を決めて『ディスタンクシオン』を読むということになる。)

さらに思ったことを書いてみるならば、次の二点があるだろうか。

第一に、自分はどのような環境に生まれ育った、どのような教育をうけてきた人間なのか、自らを知るという視点を与えてくれるところにある。キーワードとなるのは、「文化資本」である。これを一種の決定論と考えるのではなく、自分自身が何であるかを考える手がかりとしているのが、この本の特徴といっていいのかと思う。

第二に、まさに「文化資本」であるが……結局は、このような本を読むような人間、あるいは家庭環境であるか、あるいは、そうでないのか……このあたりのことが、まさに「文化資本」として現れてくることになるのだろうと思う。『ディスタンクシオン』が廉価版で出たので買っておこうという人間と、そうではない人間の違いといってもいいかもしれない。

以上のようなことを思って見る。

『ディスタンクシオン』のこと、また、「文化資本」ということばは知っていたが、これまであまり考えてみたことはなかったことでもある。いやあるいは、むしろ、自分のこれまでの人生は、ある意味で「文化資本」をどう意識するかということもあったかと思うところがないではない。この本を読んで、自らの過去を顧みて、自分はいったい何であったのか、これから何であり得るのか、さまざまに考えるところがある。

2021年1月29日記