「古代史ミステリー 第2集 ヤマト王権 空白の世紀」2024-03-27

2024年3月27日 當山日出夫

NHKスペシャル 古代史ミステリー 第2集 ヤマト王権 空白の世紀

いろいろ言いたいことのある内容だった。

まず、広開土王のこと。その碑文は、現在、古代史研究においてどのように史料として使われることになるのだろうか。まず、このあたりの検証が必要である。

古代の朝鮮半島と日本(倭、あるいは、ヤマト)が、どのような関係にあったのかは、もっと多面的に考える必要があるにちがいない。今ではもう聞かれることがなくなったが、騎馬民族説というのがあった。古代の鉄器の技術、それから、馬のことなど、東アジア全体を視野に入れた学際的研究がまたれるところである。

番組ではさらりと言っていただけだったが、倭の五王の一人、応神天皇のことは日本語の歴史に残っている。いわゆる漢字の伝来である。以前、日本語の歴史を学生に話すとき、漢字の伝来については、おおむね次のようなことを話した。……『日本書紀』『古事記』によれば、朝鮮半島の百済の国から、馬を送ってきた。その馬の世話をする人(アチキ、アチキシ)が、文字が読めた。そこで、さらに文字を知っている人をよこしてもらいたいと言った。そこで、ワニ(和仁)がやってきた。『古事記』によれば、『論語』『千字文』を持ってきたとある。まあ、このあたりのことは、日本語の歴史のなかで漢字の伝来をどのように記述するかということになる。

ここをどう解釈するかということになれば、古代の日本で統一国家ができたころ、朝鮮半島の国と交易があった。そこで、馬、文字がもたらされたことになる。これは、おそらく、朝鮮半島から、文字をあつかうことを職掌とする人びとが日本でやってきて、日本で居住し仕事をするようになった、ということを意味するのであろう。古代日本で社会的に文字(漢字)を必要とした時代こそが、古代統一国家としての日本が海外の国とさまざまに交流のあった時代ということになる。これを逆に言うならば、それまでの日本の古代国家は、文字(漢字)を組織的に必要とするにはいたっていなかったということである。これは、古代の日本を考えるうえでかなり重要な論点の一つであると思うのだが、番組ではふれることがなかった。

興味深かったこととしては、古代の馬のこと。どこで飼育されていたか、分かるようになっているらしい。

鉄器の製造については、古代の技術でどのようなことができたのか、これからの研究課題かなと思うところがある。

倭の五王の時代ぐらいからは、現在の天皇につながることが確認できるというのが、常識的な見解かなと思っているのだが、このあたり、現代の歴史学ではどのように考えているのだろうか。古代統一国家を作ったのが、現在につながる古代の天皇であったということになるという理解でいいのだろうか。

ただ、前回も思ったことなのだが、古代日本国家をどうも過大に描きすぎではないかと思うが、どうだろうか。古代の日本は、東の海のはての島国で、そんなにたいした外交的影響力などなかったろうと思うのだが。

2024年3月25日記

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