ブラタモリ「指宿」 ― 2024-03-13
2024年3月13日 當山日出夫
「ブラタモリ」は、始まったころはかなり見ていた。その後、時々見るようになり、去年、テレビを新しくしてからは、録画して見ていた。そのレギュラー番組としての放送が、終了する。その最後の回が指宿ということであった。
指宿には行ったことがない(と思う)。だが、開聞岳のことはなんとなく記憶にある。さて、どうだったろうか。
指宿が火山の多い地域であり、それ特有の地形を見られるということは興味深い。また、その地形を生かした港湾があり、薩摩藩の貿易をになっていた。(ただ、その薩摩藩の琉球や奄美の関係がどのようなものであったかについては、触れることがなかった。)
この番組の良さというのは、歴史と地理、それから、地学の知識を有機的に結びつけて考えるところにある。今の大学の学科の枠組みでいえば、人文地理の分野がかろうじて該当するだろうか。しかし、今の時代、このような総合的な知識のあり方というのが、珍しいものになってしまっている。とにかく専門的であることをよしとする方向にかたむいてきている。
ともあれ一つの時代のテレビ番組であったと思う。終わるのは残念だが、これもいたしかたのないことかもしれない。
2024年3月11日記
「ブラタモリ」は、始まったころはかなり見ていた。その後、時々見るようになり、去年、テレビを新しくしてからは、録画して見ていた。そのレギュラー番組としての放送が、終了する。その最後の回が指宿ということであった。
指宿には行ったことがない(と思う)。だが、開聞岳のことはなんとなく記憶にある。さて、どうだったろうか。
指宿が火山の多い地域であり、それ特有の地形を見られるということは興味深い。また、その地形を生かした港湾があり、薩摩藩の貿易をになっていた。(ただ、その薩摩藩の琉球や奄美の関係がどのようなものであったかについては、触れることがなかった。)
この番組の良さというのは、歴史と地理、それから、地学の知識を有機的に結びつけて考えるところにある。今の大学の学科の枠組みでいえば、人文地理の分野がかろうじて該当するだろうか。しかし、今の時代、このような総合的な知識のあり方というのが、珍しいものになってしまっている。とにかく専門的であることをよしとする方向にかたむいてきている。
ともあれ一つの時代のテレビ番組であったと思う。終わるのは残念だが、これもいたしかたのないことかもしれない。
2024年3月11日記
「事実の代償 私はロシアで伝え続ける」 ― 2024-03-13
2024年3月13日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 事実の代償 私はロシアで伝え続ける
二〇二三年、イギリスの制作。
ウクライナでの戦争……ロシアでは「戦争」ということばをつかうことも許されていない……がはじまったころ、日本のメディア、テレビのニュースなどでは、モスクワからの中継があった。しかし、それもいつのまにか姿を消してしまっている。ニュースの時間にモスクワから現地支局の記者がレポートするということは、今ではない。
こういう番組がどうして日本のテレビでは作れないのかと思う。(まあ、現地にいるスタッフの身の安全ということも考えることになるとは思うのだが。)
ロシアの独立系メディア、「ノーバヤ・ガゼータ」のことは名前は知っている程度だった。ムラートフのことは、ノーベル賞のときのことをかすかに記憶している程度のことである。
ジャーナリストの役割は権力批判だけではないと思うが、しかし、時の権力に対して批判的である姿勢はジャーナリストにとって不可欠のものだと思う。独立系メディアの価値を認めていたのが、ゴルバチョフであったということは、この番組で知った。まともな政治は、それに対する批判者をともなうものでなければならないということは、一般的に言えることであろう。(この意味では、今の日本の政権は、批判者の存在をきちんと認めてきたとはいえない。)
ノーベル賞のメダルを競売にかけたことは、知らなかった。日本ではどれほど報道されただろうか。それが、一億ドルを超える金額であったというのも、驚きである。
ロシアで反体制的であることは、比喩ではなく命にかかわる問題である。それでも、ジャーナリストとして政権に批判的であろうとしつづけている人たちがいる。このことは、もっと知られていいことである。
日本の大手メディアは、最近のナワリヌイ殺害(といっていいのか、死亡といっていいのか)のことは報道するのだが、それ以上のことは深入りしない。メディアの保身的姿勢という印象が強い。
番組のなかで出てきたチェチェンのこと。今、日本でニュースなど見ていても、チェチェンのことはまったく出てこないといっていい。いったいどういう事情で今はどうなっているのか、報道する価値はあると思うのだが。
2024年3月7日記
BS世界のドキュメンタリー 事実の代償 私はロシアで伝え続ける
二〇二三年、イギリスの制作。
ウクライナでの戦争……ロシアでは「戦争」ということばをつかうことも許されていない……がはじまったころ、日本のメディア、テレビのニュースなどでは、モスクワからの中継があった。しかし、それもいつのまにか姿を消してしまっている。ニュースの時間にモスクワから現地支局の記者がレポートするということは、今ではない。
こういう番組がどうして日本のテレビでは作れないのかと思う。(まあ、現地にいるスタッフの身の安全ということも考えることになるとは思うのだが。)
ロシアの独立系メディア、「ノーバヤ・ガゼータ」のことは名前は知っている程度だった。ムラートフのことは、ノーベル賞のときのことをかすかに記憶している程度のことである。
ジャーナリストの役割は権力批判だけではないと思うが、しかし、時の権力に対して批判的である姿勢はジャーナリストにとって不可欠のものだと思う。独立系メディアの価値を認めていたのが、ゴルバチョフであったということは、この番組で知った。まともな政治は、それに対する批判者をともなうものでなければならないということは、一般的に言えることであろう。(この意味では、今の日本の政権は、批判者の存在をきちんと認めてきたとはいえない。)
ノーベル賞のメダルを競売にかけたことは、知らなかった。日本ではどれほど報道されただろうか。それが、一億ドルを超える金額であったというのも、驚きである。
ロシアで反体制的であることは、比喩ではなく命にかかわる問題である。それでも、ジャーナリストとして政権に批判的であろうとしつづけている人たちがいる。このことは、もっと知られていいことである。
日本の大手メディアは、最近のナワリヌイ殺害(といっていいのか、死亡といっていいのか)のことは報道するのだが、それ以上のことは深入りしない。メディアの保身的姿勢という印象が強い。
番組のなかで出てきたチェチェンのこと。今、日本でニュースなど見ていても、チェチェンのことはまったく出てこないといっていい。いったいどういう事情で今はどうなっているのか、報道する価値はあると思うのだが。
2024年3月7日記
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