よみがえる新日本紀行「ムラの女神-愛知県南知多町-」 ― 2025-04-11
2025年4月11日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「ムラの女神-愛知県南知多町-」
再放送である。2022年2月27日。オリジナルの放送は、昭和49年(1974)。番組のHPでは、昭和41年(1971)と表示されていた。たぶん、画面表示の方が正しいのだろうと思う。
夜の暗いうちに漁に出る船を見送った女性たちが、岸壁で無事と大漁を祈るという光景は、いつのころまで続いていたものなのだろうか。「よみがえる」の新しい取材のときには、この風習はなくなっていた。
興味深かったのは、南知多出身で江戸に多くの人が行き、吉原の揚屋をやっていた、とあったこと。江戸が人口が増えて、吉原が形成されたとして、その妓楼の人たちは、どこからやってきた人なのであったろうか。
昔の漁港の仕事の風景が映っていたが、トロ箱が木製で、氷を使っている様子はなかった。水は、バケツでくんだものを上からかけていた。それが、現在の漁港の仕事になると、トロ箱はプラスチック製になり、氷が使われ、ホースで水をかけている。こういう時代の変化にともなう、仕事の様子の移り変わりということは、これはこれで、記録しておく価値のあることだと思う。おそらく、この間に、捕れた魚の販売ルートや市場も変わってきたのかとも思う。
村の神社の社殿をごっそりと建て替えるということが、昔は可能だった。いまだったら、どうだろうか。村の鎮守の神社の維持ということは、どこの地域でも課題となっていることかと思う。
教育によって、長男が都会に出て行く、ということは、この地域ではない……ということを言っていた。これは、この時代、多くの日本の地方で長男を含めて多くの人びとが(特に男性が)都会に出て行った時代であったということになる。高度経済成長の時代、地方から多くの人が、都市に移動した。
2025年4月9日記
よみがえる新日本紀行 「ムラの女神-愛知県南知多町-」
再放送である。2022年2月27日。オリジナルの放送は、昭和49年(1974)。番組のHPでは、昭和41年(1971)と表示されていた。たぶん、画面表示の方が正しいのだろうと思う。
夜の暗いうちに漁に出る船を見送った女性たちが、岸壁で無事と大漁を祈るという光景は、いつのころまで続いていたものなのだろうか。「よみがえる」の新しい取材のときには、この風習はなくなっていた。
興味深かったのは、南知多出身で江戸に多くの人が行き、吉原の揚屋をやっていた、とあったこと。江戸が人口が増えて、吉原が形成されたとして、その妓楼の人たちは、どこからやってきた人なのであったろうか。
昔の漁港の仕事の風景が映っていたが、トロ箱が木製で、氷を使っている様子はなかった。水は、バケツでくんだものを上からかけていた。それが、現在の漁港の仕事になると、トロ箱はプラスチック製になり、氷が使われ、ホースで水をかけている。こういう時代の変化にともなう、仕事の様子の移り変わりということは、これはこれで、記録しておく価値のあることだと思う。おそらく、この間に、捕れた魚の販売ルートや市場も変わってきたのかとも思う。
村の神社の社殿をごっそりと建て替えるということが、昔は可能だった。いまだったら、どうだろうか。村の鎮守の神社の維持ということは、どこの地域でも課題となっていることかと思う。
教育によって、長男が都会に出て行く、ということは、この地域ではない……ということを言っていた。これは、この時代、多くの日本の地方で長男を含めて多くの人びとが(特に男性が)都会に出て行った時代であったということになる。高度経済成長の時代、地方から多くの人が、都市に移動した。
2025年4月9日記
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