サイエンスZERO「最新報告 古代DNAで迫る 日本人の来た道」2025-04-12

2025年4月12日 當山日出夫

サイエンスZERO 最新報告 古代DNAで迫る 日本人の来た道

いわゆる、人種という概念が、社会構築的なものであるということは、現代においては、当たり前のことだろうと思っている。しかし、その一方で、~~人、という言い方がまったく無意味になったかというと、そうでもない。逆に、生活の感覚の上では、なくならないものとして、残ることが分かる。

白人とか黒人とかいう概念が、人類学的にはあまり意味のないものになってきている。いや、かつてのような外見で判断することを止めて、今では、DNAで考えるようになったから、むしろ、ある意味では、より強固になるのかもしれない。(その学問的な正しさ、政治的な正しさ、ということとは、ちょっと違うこととしてであるが。)

日本の文化とか歴史を考えるとき、日本人ということばは、かなり注意して使う必要がある。これは、歴史学などの常識であると思っている。

以上のようなことを考えるのであるが、その一方で、日本人……日本列島に住んで、日本語を話し、日本の文化をになってきた主流の人びとぐらいの意味でとらえておくが……が、どこからどのようにしてやってきたのか、ということは、やはり興味のあることである。

かつては、南方の道、ということが言われ(稲作の伝来であるが)、また、騎馬民族説、ということも言われた。現代では、これが、古代からの人のDNAをもとに考えるようになってきている。また、稲作の伝来や日本国内での伝播の状況なども、科学的に分析するようになってきているはずである。

このようなことを考えてはみるのだが、やはり最後に残るのは、「想像の共同体」としての、日本というものの成立である。また、それが、歴史的にどのように人びとに意識されてきたかということである。やや極端に言えばということになるが、日本や日本人という概念が、近代になってから作りあげられたものである、という側面を無視することはできないだろう。そして、それを取り払ったうえで、日本列島に住んできた人びとが、どのような共同体意識をもち、文化を形成し、伝えてきたのか、考えることになるのだろうと思う。

そして、地球規模で、ホモ・サピエンスがアフリカを出て今にいたるまでの軌跡を実証的にたどることが、可能になってきていることは確かである。だからこそ、人間の歴史とか文化とか、それが人間にとって持っている意味を、より深く考えなければならなくなってきている。

ところで、国立科学博物館のHPを見てみたのが、図録のネット販売はやっていないようである。見に行きたい気もするし、もうこの年になると、それも億劫だなあ、という気もするし、というところである。

2025年4月11日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/04/12/9767831/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。