時をかけるテレビ「桜紀行〜名金線・もう一つの旅〜」2025-04-19

2025年4月19日 當山日出夫

時をかけるテレビ 桜紀行〜名金線・もう一つの旅〜

見ていていろいろと思うことはある。

まず、国鉄バスの車掌さん、というものが、今の若い人には分からないことだろう。(私の年代なら分かることではあるけれど。)

若いときの佐藤さんが、自分の人生に疑問を感じて、東京に行き、武者小路実篤のもとをたずねた。実篤は、「自分の道を探すことだけです」と答えた。それで、桜の木を植えることにした。番組が放送されたのは、1984年(昭和59年)であるが、この時代までは、武者小路実篤という作家のことが、人びとに読まれた時代であったというべきだろう。(今では、どうだろうか。今でも、その作品は刊行されている。私としては、あまり読みたくなる作家ではないのだが。)

桜というものが、文学などの主要なテーマになってきたのは、一般的にいえば、平安時代の古今集ぐらいから、ということになる。その前の万葉集の時代、花として出てくるのは、萩であり、梅である。これは、日本文学の常識といってよい。(ただ、万葉集の歌が、その時代の日本の人びとの何をどのように表しているのか、検討しなければならない。また、平安貴族の美意識が、今日まで伝わっていることの経緯についても、慎重に考える必要がある。)

少なくとも、桜=花、という図式で季節を感じるようになり、表現するようになったことの歴史ということについては、手放しでそれを礼讃するということは、疑問がある(学問的には、ということになるが。)

そうはいうものの、国鉄バスの車掌をしながら、そして、家庭のことはかえりみずに、ひたすら桜の木を植え続けていった……こういう人がいたということは、忘れてはならないことである。あるいは、今でも、世の中のどこかには、このような人がいるのかもしれない。

それから、桜の苗木を育てるのに、実生で育てたということも、おどろきである。普通は、こんなことはしないだろうと思うが。どうしても、莊川の桜の子孫として、桜の木を植えたかったのだろう。

気になったは、やはり、能登半島の輪島に植えられた桜。今年も無事に花を咲かせたらしい。できれば、この桜の花を愛でる人びとの生活が続いてほしいと思う。

2025年4月16日記

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