「世界うた旅 〜ベトナム編〜」2025-06-25

2025年6月25日 當山日出夫

たまたまテレビの番組表を見ていてみつけたので録画しておいた。これは面白かった。

この番組を見る人は、あまり若い人はいないだろう。テレビを見てもNHKは見ないし、そもそもテレビを見ない。だから、全体の構成として、古い昭和歌謡を中心にしたものになっているかなとは思うところがある。

「瀬戸の花嫁」「涙そうそう」「糸」「木綿のハンカチーフ」「恋人よ」「天城越え」というような曲が、ベトナムの人びとに歌われているというのは、はっきりいって驚いた。しかも、みんな歌がうまい。「まちぶせ」というカラオケ店の名前は、ちょっと日本ではないかなと思う。

新しいところでは、YOASOBI、ONE OK ROCK、優里、などである。ちょっとだけ映っていたが、アイドルグループもいる。

この番組ではあつかっていないだけで、日本のアニメのコスプレとかもあるのだろうと思う。はたしてどうなのだろうか。

日本に来ている外国人労働者としてはベトナムからが最も多い。そのため(派遣)の会社があり、日本語教育がある。(日本語教育ということも、日本語研究の重要な研究分野の一つである。日本語教師についても、ようやく公的な資格制度ができた。ベトナムでの日本語教育は、国際交流基金……これは外務省系の組織であるが……がかかわることになっているのだろうか。)

ホイアンという町に、谷弥次郎兵衛、具足君、蕃二郎、という三人の日本人の墓がある。江戸時代の初めに、朱印船貿易でベトナムとの交易に従事した日本人である。このことは知らなかった。学校の教科書には出てきていなかったはずだが、さて、今はどうなっているのだろうか。

ベトナムと日本との経済的な結びつきは非常に強くなってきていることになる。近年では、中国依存から離れる動きがそれを加速していることになるだろう。

ちょっと気になったのは、背景に映っていた町の風景で、どう見ても地面に線路と枕木があって、そこが道になっていた。いったいどういうところなのだろうか。

画面にちらりと映っていた本には、「MURAKAMI HARYKI」とあった。

2025年6月22日記

時をかけるテレビ「見えず聞こえずとも〜夫婦ふたりの里山暮らし〜」2025-06-25

2025年6月25日 當山日出夫

時をかけるテレビ 見えず聞こえずとも〜夫婦ふたりの里山暮らし〜

中学のころ、宮澤賢治とトルストイに心酔して、武者小路実篤の新しき村に参加した……このような男性が夢をかなえた物語とみるか、あるいは、挫折とみるか、意地の悪い考え方かもしれないが、私がこの番組を見ての印象としては、このようなことを考えてしまう。(おそらくこういうことは、池上彰も分かっているにちがいないが、無論、まったく言っていない。)

2015年前の放送で、二人が結婚したのは、それよりさらに十数年前のことになるが、この時代であれば、丹後半島の農村の生活も劇的に変化している。住まいとしては、かつての土間に床をはって、LDKとして、となりあっていた部屋(そこには、囲炉裏があった)と一続きになるように拡張する。こういうリフォームが普通であった。

それを、昔ながらの土間にかまどの台所という住まいに、盲聾の女性を連れてきて台所仕事をさせるというのは、はっきりいって無茶である。薪を燃やしてかまどでご飯を炊いたり、料理をしたり、ものすごく苦労したにちがいない。

このようなことを思ってはみるのだが、しかし、番組としては、よくありがちな感動のおしつけにはなっていない。むしろ、二人の生活を淡々と描いている。普通の(ということばはこの場合ちょっとつかうのにためらいがあるが)夫婦の日常の喜怒哀楽の生活である。

触手話でコミュニケーションをとっている人がいるということは、もっと知られていいことだと思う。

2025年6月22日記

アナザーストーリーズ「山一破たん たった1つの記事から始まった」2025-06-25

2025年6月25日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 「山一破たん たった1つの記事から始まった」

再放送である。最初は、2022年3月7日。

山一証券が破綻したときのニュースは覚えている。この日、たまたま、私の住んでいるところの近くに、新しく山一証券の支店ができて、そのオープンの日だった。これは、ローカルニュースでも大きくとりあげていた。

大きな流れとしては、バブル景気の後始末の失敗、ということになるのだろうが、いきなりの会社の破綻ではなく、もう少しどうにかならなかったものかという気もする。私などは、天邪鬼として、そもそも株でもうけようなどと考えるやからが愚かなのである、と思ってしまうのであるが、その当事者としては、そうも言っていられないことになるだろう。

最初は、内部通報、タレコミ、ということで得た情報からスタートしたことになるが、会社の内部でも、このままではいけないと思った人がいたということになる。

大蔵省も、最初はなんとかしようと思っていたらしいが、最終的には、見捨てるということになった。このあたりの判断の裏には、何があったのだろうか。

会社をたたむにあたって、従業員の再就職先を考える、というのも、日本的な考え方なのかもしれない。これが今だったらどうだろうか。各自、勝手に再就職先を見つけなさい、ということになるだろうか。日本における雇用の慣習というのは、そう変わるものではないのかもしれない。(今にいたる日本経済の低迷は、簡単に従業員を辞めさせることのなかった日本の経営のあり方に問題があった、という考え方もあるのだが。)

2025年6月23日記