『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」2025-04-06

2025年4月6日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」

斜陽の映画産業、映画村の入場者数も減少している。いまでいうインバウンド、外国人のお客さんを増やそうとするのだが、英語がしゃべれない。ひなたは、英語の勉強をしようとして、五十嵐との結婚を考えたお金を英会話学校で使い果たしてしまう。しかし、そのレッスンでは、英語がしゃべれるようにはならなかった。

弟の桃太郎が、小夜ちゃんにふられてしまう。小夜ちゃんは、吉之丞と結婚する。桃太郎は、やけになって野球をあきらめかける。あげく、あかにしの店から、CDプレーヤーをとってきてしまう。ドロボーである。

そのようなひなたと桃太郎に対して、ジョーは、トランペッターを挫折した過去があったことを話してきかせる。それでも人生はつづいていくものである、と言う。

普通の家庭なら、両親のおいたちとか、どこの出身であるとか、ある程度は子どもたちに話しをすることがあるかと思うのだが、大月の家では、まったく話しをしていなかったようである。これは、不自然といえば不自然な設定なのだが、これまでのるいとジョーの関係や、京都に移ってからの生活(回転焼き屋さんをはじめたこと)を見てきていると、これが不自然なことに感じられない。そういう生活をして、家族を作ってきたということが、あたりまえに思える、そのようなこれまでのドラマの展開であった。このあたりは、とてもたくみな脚本になっている。

その昔のことの証拠に出してきたのが、回転焼き屋さんの壁にずっと貼ってあった、棗黍之上の映画のポスターであり、その裏に書かれた、昔のジョーのサインであった。このポスターは、大阪のクリーニング屋さんのときのものであり、それから、京都に移っても、ドラマのなかではほとんど毎回のように見続けてきたものである。このポスターには、モモケンと同時に虚無蔵も写っている。そして、その裏にはジョーのサインがあったことになる。ここは、非常にたくみな小道具の使い方と演出である。

算太がるいの店にやってくる。どうやら病気になって、自分の死期が近いことを思って、るいに逢いにきたらしい。家の食卓でのパンのダンス、そして、商店街でのサンタクロースのダンス。そこに、昔の岡山でのいろんな思い出が重なるように映し出される。非常に印象的な演出だった。

死んだ算太のお骨を、岡山に持っていくことになり、そこで、るいの生まれた家が、雉真線維の家だったことを、るいと桃太郎は始めて知ることになる。年老いた、勇と雪衣に再会する。

この時代の背景としては、一九九〇年代で、バブル経済の崩壊後、まだかろうじてその余韻が残っていたころということになるだろうか。そのころの市民生活としては、クリスマスになれば、商店街で福引きがあって一喜一憂するような時代だった、このような時代もあったなあ、なんとなく思いながら見ていたことになる。この時代のテレビは、まだブラウン管のテレビだった。

2025年4月5日記

アナザーストーリーズ「やなせたかし アンパンがヒーローになった日」2025-04-05

2025年4月5日 當山日出夫

アナザーストーリーズ やなせたかし アンパンがヒーローになった日

私が見た範囲で、NHKが、やなせたかしのことをとりあげた番組をつくるのは、三つめである。無論、朝ドラ『あんぱん』をうけてのものである。(だが、一年前、『虎に翼』のとき、三淵嘉子のことについては、そんなにあつかった番組はなかったと思うのだが、どうだったろうか。)

番組の内容としては、きわだって目新しいということは、あまりなかった。やなせたかし自身が、自分の経歴や、「アンパンマン」について、多く書き残しているので、基本はこれに沿ったものになるしかないとは思う。

正義は逆転する。アンパンマンの正義は、かっこうのいいものではない。そして、その正義は、自らも傷つくものである。

また、やなせたかしが語っていたこととして、反対する意見を全部消し去ってしまうことはよくない。対立する意見と共存していかないといけない。でなければ、全体主義、ファシズムになる。

これは、まさに、『虎に翼』で描いたことと、真逆の正義の考え方である。このドラマでは、主人公の寅子は、自分の主張を否定する意見は、まったく認めることがなく、完全に封殺しようとしていた。

興味深かったのは、ばいきんまんについてのこと。「アンパンマン」のなかで、アンパンマンとならんで重要なキャラクターである。アンパンマンは、ばいきんまんをアンパンチでやっつけるのだが、ふっとばされたばいきんまんは、結局自分のところに帰ることになる。そこには、ドキンちゃんが待っている。

この番組ではふれていなかったが、「アンパンマン」において、重要なキャラクターは、やはりジャムおじさんだろう。ジャムおじさんが、新しくパンを焼いてくれるということが分かっているから、アンパンマンは、安心して自分の顔を、こまった相手に食べさせてあげることができる。

2025年4月3日記

英雄たちの選択「ラストサムライ 謎多き新選組隊士 斎藤一」2025-04-05

2025年4月5日 當山日出夫

英雄たちの選択 ラストサムライ 謎多き新選組隊士 斎藤一

現代の歴史研究の本筋からするならば、新撰組というのはあまり研究する価値はないと思っているのだが、はたしてどうなのだろうか。その存在が、当時の政治や社会に大きな影響があったということではないだろうし(新撰組のために殺されてしまった人はいたにちがいないが)、明治維新の趨勢に影響力のあるパラメータであったということはないだろう。強いていえば、幕末の会津藩という存在を考えるときに、新撰組のことが出てくるぐらいだろうか。

しかし、その一方で、近代になってからのサブカルチャーの領域で、新撰組は圧倒的な人気である。古くは、永倉新八のことぐらいからはじまって、『新撰組始末記』があり、『新撰組血風録』へとつづいていく。それに、幕末を舞台にした映画などがからんでくることになり、マンガなどもある。

ともあれ、新撰組を生きのびた……斬り合いをして死ななかったばかりか、切腹させられずに済んだ……という意味では、斎藤一とか永倉新八は、すごいとしかいいようがないだろう。

この番組で斎藤一をとりあげる意味はいったい何だったのだろう、と思うところもある。

ひょっとすると、萱野稔人が語ったように、近代人としての心性を斎藤一の生き方に見出したかったということなのかもしれない。自分の職務に忠実であり、同時に、現実に即した判断ができる。こういうことを、マックス・ウェーバーが言っているとして、(まあ、私も「プロ倫」ぐらいは読んでいるが)、それにあてはまる人物として見ることは、はたしてどれぐらい妥当だろうか。

時代遅れの生き方しか出来ないような人間ほど、場合によっては、時代のなかで自己をつらぬいて生きているように見える、ということもあるだろう。近代的と見える側面と、非近代的と考えられる側面とは、一つのことの裏表というべきかもしれない。

磯田道史の言った、会津藩の史料にあった、碁盤の筋で定められた領域のなかで、人間は生きなければならないものである……これは、前近代的な考え方とも言えるし(封建的な身分秩序の維持)、しかし、社会や組織のなかでの自分の職務に忠実であれ、という近代的な発想とも見ることも可能である。

ところで、磯田道史は榎本武揚のことが嫌いなのだろうか。番組のなかで、オランダかぶれ、と言っていたが、これは函館に陣取った榎本武揚のことだろう。榎本武揚は、オランダに留学して海軍を学んだ幕臣である。(さて、榎本武揚は再来年の大河ドラマの『逆賊の幕臣』には登場することになるだろうか。)

一般論として近代人の心性としてもとめられるのは、社会や組織のなかで自己に与えられた職務を遂行することであり、それと同時に、学歴出世主義(特に日本の場合は)ということになると思っている。このバランスのなかで近代的な日本人の心性が涵養されていったと思うが、これを総合的に考えるのは、いろいろと難しいことになりそうではある。

どうでもいいことだが、番組のなかで使われていた映像には、『八重の桜』のものがあった。四月から再放送である。これは、見るつもりでいる。

2025年3月29日記

放送100年「放送と戦争」2025-04-05

2025年4月5日 當山日出夫

放送と戦争

これも、放送100年に関連した番組である。BSP4Kを録画しておいて後から見たのだが、番組HPを探してみたが、みつからない。

番組の制作の意図と反することになるかもしれないが、興味深かったのは、山中恒の言っていたこと。昭和一六年一二月八日の、太平洋戦争のラジオのニュースを聞いて興奮したという話し。こういう話しは、多く残っている。それまでの日中戦争で感じていた閉塞感が、このアメリカとの開戦によって、晴れてなくなり、これから日本の新しい時代が始まるという昂揚感をいだいた……勝っている戦争というものは、その国民に対して、戦意高揚をうながすものである、このことは、普通の人間の生活意識というのはこういうものであるとして、そのまま受けとめておくのがいいと思っている。このような人間の感情に対して、それは、軍部やマスコミにだまされていたのだ、と否定的にとらえると、かえって人間とはどういうものなのか、社会とはどういうものなのか、とうことについて誤った判断になるはずである。

日中戦争のときに、ラジオ放送のために、戦地に職員が出向いて、実況録音をしていた、その音源が残っている。これは、貴重である。放送という技術があるならば、リアルタイムで、戦地からの実況中継をしたくなる。これが、放送にかかわる人間なら誰でも感じるところだろうし、また、それを見たくなる、聞きたくなるのも、普通の人びとの感覚である。これは、現代では、スマホがひとつあれば、戦争の最前線の戦場からのリアルタイムでの中継が可能になっている。思い返せば、ベトナム戦争の時代は、戦場の映像がテレビで流れた時代であった。また、その後の湾岸戦争のときのこともある。バグダッドから、衛星中継で、多国籍軍からの攻撃の様子をレポートした、ピーター・アーネットのことは、この時代、大きく話題になったことだと思うが、現代のマスコミ研究では、どう評価されているのだろうか。

アメリカの統治下にあったときの沖縄の様子を取材していた番組は、もし、できれば再放送してもらいたい。NHKが沖縄を取材するときの、法的な手続きがどうだったのかということも気になるし、無論、その当時の沖縄の様子が、どのように番組として作られていたのか、現代の視点から見ればどうなのか、これは見てみたい。

原爆の被害を、VRで作ってみようというのは、賛否があるにちがいない。その体験の直接の当事者が証言を残すことは、その価値がある。だが、その場合でも、人間の記憶というものは、そんなに信頼できるものではないし、(こういう言い方は適切ではないかもしれないが)作りあげる部分もある。どこが本当に信用できる事実であるのかは、多方面からの史料、資料についての、批判的分析が必要である。だが、広島のことなどについて、その他の戦争にかかわることもそうだが、そういう批判を許さないということであってはならない。批判的検証をふまえて、これだけは本当に信用できるものであるという部分を残しておかないと、後世になって、それは記憶によっているものだからということで、全面否定されかねない。その先にあるのは、真相はどうであるかを度外視した、不毛な泥仕合でしかない。

保阪正康のコメントは、批判したいけれども、NHKがせっかくやったことにケチをつけることもできないので、せいぜい褒めてみた、という印象であった。少なくとも、私にはそう見えた。保阪正康は、歴史の一次史料を渉猟しているし、戦争の時代の人びとも取材している。リアルだとは言ったが、資料として貴重とは言っていなかった。

やはりこの番組を見ても感じることは、戦時中の報道(新聞、ラジオ、ニュース映画など)は、自主規制という部分が強かったはずであるということである。全部が、政府や軍のいいなりであったというわけではなく、忖度して作っていたということであるし、また、国民の側としても、そのような報道のあり方を望んでいたということがある。

『おしん』は、戦争中の人びとの生活感覚を描いたドラマだと思うが、しかし、おしんの夫の竜三が、戦時中の自分の言動に責任を感じて自殺したということについては、いろいろと意見のあるところである。これよりも、むしろ、この前、再放送のあった『カーネーション』の方が、私としてはリアリティを感じる。戦時中は、国防婦人会であった女性が、戦後になって、民主主義の旗手に豹変する。ドラマの中では、ああいう人は言いたいだけなのだから言わせておけばいい、とされていたが、こういうのが普通に生活していた人間については、どちらの側としても、おそらくはまっとうな感覚だったのだろうと、思うところである。

2025年4月2日記

映像の世紀バタフライエフェクト「東ドイツ 監視国家 41年の闇」2025-04-04

2025年4月4日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 東ドイツ 監視国家 41年の闇

東ドイツのシュタージのことは、これまでにも、「映像の世紀」シリーズで取りあげられてきている。そんなに珍しい内容があったということはないと思う。

昔の東ドイツが、オリンピックなどにおいてメダルをたくさんとる国というのは、私の年代であれば、記憶にあることである。それが、国家規模のドーピングの結果であるということは、十分に予想されることである。しかし、はっきりと、これを映像で示したということの意味は大きい。(同じようなことは、さらに巧妙に、世界のいろんなところでおこなわれているのだろうとは、思うのだけれど。)

見ていて興味深かったことのひとつは、昔の東ドイツの時代のNHKの取材。まあ、NHKとしては、この時代において、せいぜい東ドイツに批判的な内容であった部分を探してきたのかと思う。私の記憶としては、ベルリンの壁の崩壊の前、東ドイツは社会主義の手本として、礼讃されていたということを、憶えている。ソ連や中共(もう、今ではこんな言い方をしないが)の共産主義はよくないが、ヨーロッパの社会主義はすばらしいという、今ではよくわからない意見が、まかりとおっていた。

それから、今のドイツにおいて、右翼政党のAfDが躍進したのが、旧東ドイツの地域。さすがに、番組のなかでは、極右とは言っていなかったが。経済的にもめぐまれず、仕事を移民労働者と奪い合う社会になってしまっている。このようなことは、あまり、日本のマスコミでは語られないと思っている。言うとすれば、ドイツで極右政党が議席を増やしている、という言い方である。ドイツ国内で、どういう地域のどういう人びとが、なぜ、移民排斥をかかげる政党を支持しているのか、その理由こそ、報道するべきことだと私は思う。そして、ドイツの移民の人びとは、どこでどんな暮らしをしているのか、ということもふくめて、知られるべきことだと思う。

余計なことかもしれないが、シュタージのスパイは、西ドイツにもいたにちがいない。だが、このことについては、何もふれるところがなかった。(これは、いたしかたないことかもしれないが。)

2025年4月1日記

放送100年「メディアが私たちをつくってきた!?」2025-04-04

2025年4月4日 當山日出夫

放送100年、ということでいろんな番組があるが、その中のひとつということになる。とりあえず録画しておいて、後で見た。

最大の問題点は、放送(ラジオとテレビ)だけがメディアではないことである。新聞や雑誌、映画などのことが、まったく無視されている。これは、どう考えてみてもおかしい。そして、将来的な展望として、インターネットに言及するのは当然としても、だからといって、活字メディア(書籍、新聞、雑誌)のことを考えなくていいはずはない。こういう総合的な視点が欠如していることは、まあ、番組を作った側もわかってやっているのだろうが、どうしても気になる。

そのうえで、一〇〇年前にラジオ放送がはじまって、声による情報伝達がスタートした、という筋書きであったが、これもおかしい。ラジオ放送の前でも、人びとは、耳からの情報で生活していた。日本の場合、識字率が高かったとは言われているが、それでも、日常生活においては、耳からの音声(鳥の鳴き声など自然の音をふくめて)情報が、重要な役割をはたしていた。日常の会話、世間話、どのように人びとが耳からの情報で生きてきたか、これを考えておく必要がある。関東大震災のとき、これは、ラジオ以前のことになる。このとき、人びとは何を情報源に行動したのだろうか。このことは、関東大震災から一〇〇年のときに、さんざんテレビで番組を作って検証したことである。NHKの番組製作者は、このことをもう忘れてしまったのか。

このこととも関連するが、水俣病については、いろいろと考える視点はあるのだが、そのひとつとして、その被害者の声は、前近代的な情念にもとづくところがある。デモの旗に書かれていた「怨」の文字がそれを象徴している。強いていえば、『遠野物語』につながるような、前近代社会の人びとの生活感情である。それを、テレビの番組としてつくるとき、近代的な理知的な枠組みで報道することになる。これは、当時のNHKの記者のことばを、聞いていると感じるところである。

ドイツのZDFの事例を紹介していたが、これは、もう無理だろうと思う。今のSNSの時代になって、人びとは、自分の見たい情報しか見ない、という方向におおきく変わってしまった。公共性というのは、自分が好まない情報にも接するということである。これに、もはや耐えられなくなっているのが、現代の人びとの生活の感覚であると、私は見ている。自分とは異なる意見や立場のことを知るために、あえてコスト(時間やお金や労力)をかけなければならない時代である。自分と異なる意見は、ストレスである。好き好んで、ストレスになる情報空間にはいりこもうという人は、希だろう。

SNSの問題点がさまざまに指摘されるなか、それでもSNSに頼る人(いや、どっぷりとつかるとでもいった方がいいか)もいれば、オールドメディアといわれる新聞やテレビにもどる人もいるだろう。この分断をうめるのは容易ではない。

2025年4月1日記

最深日本研究 ~外国人博士の目~「“女性オタク”を知りたい」2025-04-04

2025年4月4日 當山日出夫

最深日本研究 ~外国人博士の目~ “女性オタク”を知りたい

女性オタクについては、さがしてみると、かなり研究論文が出ている。しかし、こういうことは、私の知るかぎり、あまり日本のマスコミなどではとりあげられない。一部の女性研究、サブカルチャー研究の領域内にとどまっている、ということになるだろうか。

女性オタクは、これからの新しい日本の女性の生き方であるという指摘は、たぶんそういう部分があるだろうと思う。ただ、これを、いわゆる保守的な良妻賢母的価値観への否定ということだけでとらえることができるかどうかは、考える余地があるかと思うが。オルタナティブという理解でいいかどうか、ちょっと疑問に感じるところがないでもない。

現在の日本の女性オタクは、日本ならではの新しいフェミニズムであるという。そういわれれば、なるほどそういうとらえ方もできるのかと思う。

女性のコスプレーヤーが、男性の姿をすることが多い。男性の姿になることで、女性が男性から見られる視線を感じなくなる、らしい。これは、研究者が、女性ならではの観察というべきだろうか。ただ、日本の文化史としては、異なる性の姿をするという一種の伝統(と言っていいかどうか、気になるが)が、ある。宝塚がそうであるし、さかのぼれば、昔の白拍子なども、そうである。逆に、男性が女性の姿になるのは、歌舞伎の世界では、これが普通である。今の時代のことと、日本の文化のなかにある、異なる性の姿になること、これらの関係は、どう考えるべきこになるだろうか。

痛バ(痛バッグ)とか、痛ネ(痛ネイル)とか、この番組で知った。もうこのごろでは、街中に出ることがないこともあるのだが、私は、実際には見たことがない、と思う。

推し壇を、仏壇屋さんが作っているというのは面白い。映っているのを見ると、仏壇というよりも、神棚に近いイメージである。だが、販売するとなると、仏壇屋さんということになるのかもしれない。街中に仏壇屋さんはあるが、神棚屋さんは、まずないだろう。

タイBLに夢中になる女性がいるのは、そうういものかと思って見ることになるのだが、BLに対する評価も、ここ数年で大きく変わってきたという印象である。

NHKの朝ドラの『あまちゃん』のなかで、鉄道オタク、アイドルオタク、が登場してきていたが、このときは、男性限定で、しかも、世間からは蔑視されているという設定であった。これは、2013年のドラマだから、今から一〇年ちょっと前のことになる。この間に、オタクをとりまく状況は、おおきく変わったことになる。

池袋の街は、昔、東京に住んでいたとき(何十年も前のことだが)板橋区に住んだことがあるので、よく行った。主に、西武百貨店の書店と美術館に行くのが目的だったが。サンシャインシティにも、何度か行っている。この街も、近年になって大きく変わった東京の街のひとつである。

この「最深日本研究」もこれで終わりになるようだ。非常に面白い企画、内容のものが多かった。このシリーズは、最後のエンディングのとことろに、国際交流基金の名前があったのだが、外国での日本研究についてリサーチするとなると、ここの協力が必要ということになるのだろう。

2025年4月3日記

ドキュメント72時間「ソウル 日本居酒屋」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

ドキュメント72時間 ソウル 日本居酒屋

BSの番組表を見ていて見つけたので、録画しておいて見た。

ソウルで、こういう店があるということは、あまり日本のテレビ番組などで報じられることはないと思う。いや、始めて見たと言った方がいいかもしれない。番組で取材していたのは、居酒屋だったが、他に、パン屋さんがあったり、カレーうどんの店があったり、焼き鳥屋さんがあったり、お弁当を食べていたり、といろいろである。蟹ラーメンが出てきていたが、値段が気になる。

居酒屋であるが、ちょっと高級である。おいてあるウイスキーが、山崎、響、白州、と高級なものばかりである。オールドは見当たらなかった。これは安物という評価なのだだろうか。(まあ、日本でも昔は、角瓶が上等のウイスキーであった時代もあるのだが。)

日本風の居酒屋であるが、そこでの飲食のマナーなどは、韓国風になる。これは、当然のことだろう。

店のメニューに、朝鮮語(私は、言語の名称としては朝鮮語ということにしている)を書いたハングル(これは、文字の名称であって、言語の名称ではない)があって、そこに、日本語で書いてある。漢字で書いてあるのは、日本語としてであるのだろう。今の韓国では、漢字は日常的には使わない文字になっているはずであるから。

そのメニューの内容は、普通の日本の居酒屋、といっていいだろう。ちょっと高級という印象はあるが。焼き餃子などは、今では、ほぼ日本の食文化といっていいものかもしれない。もとは、中国になるけれど。

取材したのが冬であるせいか、食べていたのが、鍋物が多い。これは、韓国ならではのものかもしれない。画面に映っていなかったのが、お刺身。普通の日本の居酒屋だったら、とりあえず頼むものとして、お刺身の盛り合わせ、となるところかもしれない。(これは、もう、私の感覚が古いのかとも思うが。)

京都の国際高校の卒業生という人が出てきていた。どういう人が行く学校なのだろうかと思っていたが、いろんな事情で、いろんな人が、そこを選んでいるのだろう。現在、日本の普通の正規の学校である。

こういう店にどんな人が来ているのか、そこから見えてくる韓国社会ということもある。この店にくるぐらいだから、日本に対して好意を持っている人は多いだろう。(おそらく、反日を主張する人が、わざとやってきて、迷惑行為をするとは思えないが。ひょっとすると、昔は、そういうこともあったのかもしれないとは、想像してみることになるけれど。)

お客さんに女性が多い。そして、子どもがいない。居酒屋に女性が行くかどうか、男性と一緒に酒を飲むかどうか、家族で子どもを連れて行くかどうか、このあたりは、食文化や人間関係についての文化的なことに、かかわってくることになるだろう。

登場していた男性が、昔、日本語の歌を歌っていじめられたと語っていたが、これは、もうちょっと注釈をつけておいた方がよかったかもしれない。それ以前は、公式には、日本語の歌を歌うことが禁じられていた時代もあった。その昔から比べれば、歌えるだけ自由になったと、私などは思うことになる。

それから、気になったこととして、焼き鳥屋さんが映ったとき、おまかせ、が楽しみとお客さんが言っていた。韓国には、焼き鳥屋さんなどでの、おまかせ、というシステムは珍しいらしい。日本では、当たり前のようにあると感じているが。

2025年3月27日記

最深日本研究 ~外国人博士の目~「“SNS×高齢者”を知りたい」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

最深日本研究 ~外国人博士の目~ “SNS×高齢者”を知りたい

これは面白かった。こういう内容が、どうして、他の普通の番組であつかわれないのだろうか。

高齢者でも、スマホを持っていて、SNSを使う、これが当たり前の時代になっている。これは、言うまでもないことだろう。見ていた範囲だと、SNSと言っているが、実際は、LINEである。LINEをどうつかうか。日本の場合の特徴としては、社会のとのつながりを求めて、ということがあるらしい。一方で、家族とは、LINEで連絡することはないという。まあ、そんなものかと思うが、これは、外国と比較すると、日本に顕著な特徴であるとのことである。

高齢者になっても、社会とのつながりをもっていたいという希望がある。そのためには、LINEが非常に有効なツールになっている。ここで、「生きがい」ということばが出てきていたが、これは、英語では表現することが難しいものだという。そうかなと思う。

私ぐらいの年代だと、神谷美恵子の『生きがいについて』という本は、学生のときに読んだ本であった。その後、みすず書房で刊行になった著作集は買って持っている。

ZOOMで女子会をする、というのは、そういうこともあるだろうと思う。面白かったのは、ChatGPTを使って、自伝を書いている男性。生成AIの機能を使うのではなく、音声認識の機能を利用して、口述筆記(?)をしている。この年代の男性の場合だと、キーボードからの入力に抵抗がある、その境界ぐらになるかもしれないが、どうなのだろうか。(私自身の感覚では、その認識精度が高いとはいっても、自分でキーボードから入力する方が楽である。使うのは、ATOKであるが。)

高齢者におけるSNS利用では、LINE以外の、X(旧Twitter)とか、Facebookとか、どうなのだろうか。Xに流れてくる、大量のフェイク情報(といっていいだろう)をどう思って見ているのか。信じているのか、無視しているのか。YouTubeも見るだろうが、いったいどんなものを見ているのだろうか。さらには、このようなメディアで、自身が発信するとしたら、どういうことについてなのだろうか。

スマホの使い方を習って、それをメモする。アイコンを紙に描いておく。これは、どういうものだろうと思う。(まあ、私の場合であれば、使いにくければ、そのアプリのユーザインターフェースの設計が下手だと思って、そういう杜撰な設計のものは使いたくないと思うだけであるが。)

私はスマホを持っていない。外に出歩くことが、ほとんどないので、その必要をまったく感じない。家にいるときは、かたわらに手を伸ばせばとどくところに、PC(今はVAIO)がおいてある。

世の中にパソコンが登場した時代から使ってきている。PC-9801で、BASICでプログラミングしたりした。その後、ワープロの時代になり、インターネットの時代になり、SNSの時代になった。Twitterは、二〇〇九年から使っている。ネチズンということばに、民主主義の未来を感じた時代があったことも記憶している。できれば、これから、この世の中がどうなるか、もうちょっと見てみたいという気でいる。

2025年4月2日記

よみがえる新日本紀行「蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~

オリジナルは昭和52年(1977年)である。私が大学生のころである。

蜜蜂に砂糖で作ったエサを与えて育てる、ということを始めて知った。昔もそうしていたようだったが、今では、そうしないと蜜蜂が飢え死にする。それだけ、花の蜜が取れなくなってきているということになる。

もう今では、菜の花畑という風景は珍しいものになってしまったのだろう。私の身の回りでも、春になって、田圃がレンゲの花で赤くなるという景色は少なくなったようである。それよりも、田圃だったところが開発されてお店になってしまうことが多い。

養蜂家という人たちが、花の蜜を追って全国を旅しているということは、知識としては知っていたことだが、その生活がどんなものだったかは、ほとんど知らなかった。春になると、鹿児島の頴娃町に多くの養蜂家が集まる。そこで、ソフトボールの試合をする。背番号は、全員が「8」である。もうこんなことができる時代ではなくなった。

養蜂家の数は減ったといっても、それでも、国産の蜂蜜を続ける人はいる。

興味深かったのは、オリジナルの放送のとき、日本での養蜂の仕事はもうだめだろうから、中国かアメリカ西海岸にでも渡る……こういっていた、養蜂家の子どもが、実際にアメリカに渡って仕事をしたということ。今ではもう引退したらしいが。

番組の最後で言っていたが、蜂は植物の受粉の仕事をする。農業にはなくてはならない存在である。これは、現代の機械化された農業であっても、基本は変わらない。ハウス栽培であっても、受粉用に蜂を使っていたかと思う。現代の、そして、未來の農業の視点から見たとき、養蜂という仕事は、価値を持ち続けることができるかと思う。(楽観的な見方かもしれないとは思うが。)

2025年3月29日記