TVシンポジウム「第28回 菜の花忌シンポジウム 〜「空海の風景」を読む〜」2025-04-25

2025年4月25日 當山日出夫

TVシンポジウム 第28回 菜の花忌シンポジウム 〜「空海の風景」を読む〜

たまたま番組表で見つけたので録画しておいて後で見た。

『空海の風景』は、若い時に読んだ本であるが、そう感銘をうけることのなかった作品である。やはり、司馬遼太郎の作品としては、戦国時代か、幕末から明治をあつかったものが、面白いと思っている。

登場していたのは、澤田瞳子、釋徹宗、上原登、磯田道史。無難なメンバーかなという印象を受けた。(はっきりいって、現代の、普通の歴史学者や宗教学者なら、司馬遼太郎を論じようとは思わないだろう。)

私は、司馬遼太郎が好きというよりも、それが、多くの人に愛好される理由の方に興味がある。そして、司馬遼太郎の作品が書かれて読まれたのが、日本のある時代を象徴するものになっている、と感じる。それは、小説よりも、「街道をゆく」の方により強く感じるといってもいい。

宗教的神秘体験を小説にどう描くか、ということは、これはこれで興味のあるところである。これに関連して、シンポジウムのなかで言われていたこととして、最澄は空海に経典を借りて筆写して勉強しようとした、空海はそれを拒否はしなかったが、それで十分だとは思っていなかった。これは、宗教的体験、宗教的叡知、というべきものは、自分で体験するしかないものである……という、いわば当たり前のことを語っていたということになる。この場合は、密教であったのだが。

宗教的な覚醒、叡知、ということは特にそうなのだが、近代的な学問であったり、また、前近代からの芸能であったり、これらは、その教授法……だれからどのようにして学ぶのか……ということと一体である、このことが重要なのだろう。これが、現代では、AIなどの登場によって、危機にさらされている、というのは大げさかもしれないが、伝統的な知や芸や感性というものについて、改めて考える必要があるということはたしかなことである。このような意味において、司馬遼太郎が、どのような作品を残したか、また、読まれつづけているか、といういことは価値のあることだと、私は思う。

2025年4月21日記

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