買い物カゴから世界が見える「モンゴル」 ― 2025-04-09
2025年4月9日 當山日出夫
買い物カゴから世界が見える モンゴル
たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいた。
NHKとして意図的に映したかどうか……モンゴルのスーパーでは、こしひかりが売られている。日本語の平仮名で「こしひかり」と書いてあって、買い物カゴに入っていた。日本のお米が海外に輸出されていることは、周知のこととしていいのか、あるいは、あんまりおおっぴらに言うべきことではないのか、どうなのだろうか。
「コンテナ全部開けちゃいました」の新潟港編では、輸出されるお米が出てきていた。また、他の番組でも、海外でお米が食べられている(それは、日本食として、寿司やおにぎりとしてであるが)ことが、出てくる。これは、どこのお米なのだろうか。
これらのお米は、輸出用として特別に栽培され厳格に管理されていることになるはずだが、令和の米騒動と言われる御時世にあって、輸出する米があるのか、と一部からは批難がありそうである。すでにあるにちがいないが。
私の興味としては、どうしても文字を見てしまう。(国語学の研究者として、文字のことを考えてきたことになるので。)モンゴルのウランバートルのスーパーでは、英語(アルファベット)と、キリル文字と、伝統的なモンゴル文字(といっていいのだろうか、モンゴルの文字については、ほとんど知識がないので、判読はできなかったのだが)、これらが混在している。キリル文字は、ロシア語がモンゴル語のなかにはいってきたものなのか、モンゴル語をキリル文字で書いたものなのか、ちょっと気になる。アルファベットは、言語としては英語である。
日常生活のなかには、モンゴル暦の旧正月が生きている。
プレゼントの贈りさきをスマホで表示していた男性がいたが、その表示は、キリル文字であった。
今の時代、世界のどこに行っても、「Coca Cola」や「THE NORTH FACE」がある。
家庭のなかでは、子どもが、ゲーム機のコントローラを手にしている。(これは、すぐにかくしたようだったが。)
靴下が何種類か映っていたが、それには、「Made In Mongol」と英語で表示があった。今では、英語で書くということが、かなり日常生活のなかに浸透してきているのだろう。
ミルクティーを作るとき、キビを入れていた。今の日本では、もうキビなどは、小鳥のエサぐらいでしかないかもしれない。あるいは、健康食として雑穀として食べられることもあるといっていいだろうか。
葉物野菜が、工場のような農場(?)で栽培されて、冬でも食卓に出るようになっているということは、文明のおかげ、近代化、ということでいいのかもしれない。
バナナを売っていたが、どういうルートで、ウランバートルまで運ばれてきているのだろうか。柑橘類もたくさんあったようだが、その産地と、輸送ルートが気になる。(以前、中国のトラックで、ラオスでとれたバナナをチベットまで運ぶということが映っていたので、こういうものかと思ったのだがが。「新・爆走風塵」)
モンゴルということなのだろうが、肉や乳製品は豊富に売っている。しかし、お魚は売っていないのか、出てきていなかった。少なくとも、一般市民の食卓に出るようなものではないのであろう。
2025年3月29日記
買い物カゴから世界が見える モンゴル
たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいた。
NHKとして意図的に映したかどうか……モンゴルのスーパーでは、こしひかりが売られている。日本語の平仮名で「こしひかり」と書いてあって、買い物カゴに入っていた。日本のお米が海外に輸出されていることは、周知のこととしていいのか、あるいは、あんまりおおっぴらに言うべきことではないのか、どうなのだろうか。
「コンテナ全部開けちゃいました」の新潟港編では、輸出されるお米が出てきていた。また、他の番組でも、海外でお米が食べられている(それは、日本食として、寿司やおにぎりとしてであるが)ことが、出てくる。これは、どこのお米なのだろうか。
これらのお米は、輸出用として特別に栽培され厳格に管理されていることになるはずだが、令和の米騒動と言われる御時世にあって、輸出する米があるのか、と一部からは批難がありそうである。すでにあるにちがいないが。
私の興味としては、どうしても文字を見てしまう。(国語学の研究者として、文字のことを考えてきたことになるので。)モンゴルのウランバートルのスーパーでは、英語(アルファベット)と、キリル文字と、伝統的なモンゴル文字(といっていいのだろうか、モンゴルの文字については、ほとんど知識がないので、判読はできなかったのだが)、これらが混在している。キリル文字は、ロシア語がモンゴル語のなかにはいってきたものなのか、モンゴル語をキリル文字で書いたものなのか、ちょっと気になる。アルファベットは、言語としては英語である。
日常生活のなかには、モンゴル暦の旧正月が生きている。
プレゼントの贈りさきをスマホで表示していた男性がいたが、その表示は、キリル文字であった。
今の時代、世界のどこに行っても、「Coca Cola」や「THE NORTH FACE」がある。
家庭のなかでは、子どもが、ゲーム機のコントローラを手にしている。(これは、すぐにかくしたようだったが。)
靴下が何種類か映っていたが、それには、「Made In Mongol」と英語で表示があった。今では、英語で書くということが、かなり日常生活のなかに浸透してきているのだろう。
ミルクティーを作るとき、キビを入れていた。今の日本では、もうキビなどは、小鳥のエサぐらいでしかないかもしれない。あるいは、健康食として雑穀として食べられることもあるといっていいだろうか。
葉物野菜が、工場のような農場(?)で栽培されて、冬でも食卓に出るようになっているということは、文明のおかげ、近代化、ということでいいのかもしれない。
バナナを売っていたが、どういうルートで、ウランバートルまで運ばれてきているのだろうか。柑橘類もたくさんあったようだが、その産地と、輸送ルートが気になる。(以前、中国のトラックで、ラオスでとれたバナナをチベットまで運ぶということが映っていたので、こういうものかと思ったのだがが。「新・爆走風塵」)
モンゴルということなのだろうが、肉や乳製品は豊富に売っている。しかし、お魚は売っていないのか、出てきていなかった。少なくとも、一般市民の食卓に出るようなものではないのであろう。
2025年3月29日記
ドキュメント72時間「川崎 大衆食堂のダイアリー」 ― 2025-04-08
2025年4月8日 當山日出夫
ドキュメント72時間 川崎 大衆食堂のダイアリー
女性が一人で、朝っぱらからお酒が飲める店というと、あまりないだろうなあ、と思う。しかも、見知らぬ人(男性など)と相席である。こういうところが、川崎の街なら、あってもいいのかなと感じる。ビル街であるが、近くには多くの工場があり、夜勤で働いている労働者も多い。
メニューを見ると、安い。一〇〇〇円を超える値段のものはないようだ。
いろんな仕事があり、いろんな人がいるものである。世の中にこういう店が、ところどころにあった方が、社会の風通しとしてはいいだろう。
同性愛の人が出てきていたが、今の日本で、こういう人たちがいても普通であると、私は思う。(まあ、なかには嫌う人もいるだろうが。)文化的に受け入れるということと、社会の制度として受け入れるということとは、ちょっと違うだろうと思うが、まずは社会の人びとの感覚として、普通のこととして受けとめることが必要になるだろう。
立地条件を考えると、この食堂は昔からあって、その土地にビルを建てて、一階で食堂をやっている、ということなのかなと思う。
いいちこの一升瓶をボトルキープできるということだが、壁のメニューを見ると、八海山などもおいてあるらしい。ホッピーは、自分で混ぜて飲むことのようである。普通は、店の方で混ぜて持ってきてくれるかなと思うが、どうだろうか。
2025年4月5日記
ドキュメント72時間 川崎 大衆食堂のダイアリー
女性が一人で、朝っぱらからお酒が飲める店というと、あまりないだろうなあ、と思う。しかも、見知らぬ人(男性など)と相席である。こういうところが、川崎の街なら、あってもいいのかなと感じる。ビル街であるが、近くには多くの工場があり、夜勤で働いている労働者も多い。
メニューを見ると、安い。一〇〇〇円を超える値段のものはないようだ。
いろんな仕事があり、いろんな人がいるものである。世の中にこういう店が、ところどころにあった方が、社会の風通しとしてはいいだろう。
同性愛の人が出てきていたが、今の日本で、こういう人たちがいても普通であると、私は思う。(まあ、なかには嫌う人もいるだろうが。)文化的に受け入れるということと、社会の制度として受け入れるということとは、ちょっと違うだろうと思うが、まずは社会の人びとの感覚として、普通のこととして受けとめることが必要になるだろう。
立地条件を考えると、この食堂は昔からあって、その土地にビルを建てて、一階で食堂をやっている、ということなのかなと思う。
いいちこの一升瓶をボトルキープできるということだが、壁のメニューを見ると、八海山などもおいてあるらしい。ホッピーは、自分で混ぜて飲むことのようである。普通は、店の方で混ぜて持ってきてくれるかなと思うが、どうだろうか。
2025年4月5日記
英雄たちの選択「シリーズ 昭和のあけぼの (1)政党政治に懸ける 最後の元老 西園寺公望」 ― 2025-04-08
2025年4月8日 當山日出夫
英雄たちの選択 シリーズ 昭和のあけぼの (1)政党政治に懸ける 最後の元老 西園寺公望
西園寺公望についてかたりながら、同時にかたっていたのが昭和における天皇制をめぐる問題。実は、こちら(近代の天皇制)のことの方が、本当はかたりたかったことかもしれない。それを、番組の編成としては、西園寺公望についての番組であると、あざむいている……ちょっと深読みしすぎだろうか。
この番組の方針としては、近代の天皇制を基本的に肯定している。(左翼的な観点から、近代の諸悪の根源としての天皇制というような視点ではない。)
君民共治、君主機関説、ということが出てきたが、これは、大日本帝国憲法も十分に近代的(あるいは、さらにいえば民主的)な憲法であった、とも理解できる。この憲法のもとでは、天皇は政治の責任を負うことはない。そのかわりに、大臣の輔弼がある。政治の責任をとるべきは、大臣であることになる。その大臣を、選挙で選ばれた政党の政治家がつとめれば、これは、民主的な政治制度ということになる。(番組のなかでは言っていなかったが、明治憲法においても、政党政治は民主主義につながる。制限選挙の時代ではあった。しかし、男子普通選挙も実施されるようになったことはたしかである。ひょっとすると、女性の参政権も、あるいは確立した可能性もあるかもしれない。)
昭和にはいっての、張作霖爆殺事件。これが関東軍の作為であったことは、今では常識的な知識であるが、その時代のなかにあって、この事件にどう対処するかということが、その後の政治の運命の分岐点になったことになる。
天皇が自らの意志をしめして、田中義一総理を問責するか、あるいは、田中の上奏のとおりに軍は関与していなかったこととするのか……この場合、どちらの選択肢を選んでも、歴史に禍根を残したことになるかもしれない。結果的には、天皇は田中義一の責任を問うことはなかったが、辞職にいたり、それが、その後のさまざまなテロ事件につながることになった。君側の奸を排除するという理由である。(昭和天皇が自らの意志をはっきりしめしたのは、二・二六事件のときと、終戦のとき、というがの通説であると認識している。)
これも、もとをただせば、関東軍の暴走であり、それをゆるすことになった、日本の国のおかれた状況……国内的にも、国際的にも……が問題であるということにはなるかもしれない。この時代の国際情勢(帝国主義の時代といっておくが)にあって、朝鮮半島から満州へと国家の権益をもとめる流れがあったことになるが、それをさらにさかのぼれば、「坂の上の雲」の時代の話しになる。現実的にブレーキをかけられる、政治と軍事にかんするリアリズムが、いつの時代からか日本で失われていったということになるだろうか。
この回は、西園寺公望と政党政治ということがテーマであるのだが、なぜ、西園寺公望が政党政治を支持することになったのか、その気持ちを晩年まで持ち続けることになったのか、というあたりのことについては、今一つ説明が不足していたという印象をうける。明治の藩閥政治に対する批判ではあったろうが、すぐに政党政治が実現するということではない。それまでのプロセスを、西園寺は具体的にどう考えていたのだろうか。(それが、新しい教育勅語の案ということになるのかと思うが。)
平等にいたるまでの不平等……大村益次郎の言ったこととして紹介されていたが、まあ、たしかに現実的な判断としては、こういうこともある。(だが、ここで重要になってくるのは、手段と目的、この関係をリアルに把握しつづけることである。)
政党政治としては、立憲政友会、立憲民政党、ということになる。これらの政党が、どのような主張をかかげ、実際にどのような政治家が何をしたのか、支持基盤はどうだったのか、ということも重要だと思うが、ここのところについては、ふれることがなかった。また、歴史の見方によっては、極端にいえばであるが、戦前に政党政治がつぶれたのは、政党同士の争いで自滅していった、ということもいえるかもしれない。
萱野稔人が言っていたこととしては、民衆が暴力を肯定した場合の恐ろしさ、ということがある。冷静に考えれば、歴史とは、このようなものである。かつて、大東亜戦争の時代、多くの国民の意識としては、戦争を肯定していた。(これについては、国家と軍が民衆をあざむいていたのであり、国民はだまされていたのである、という立場から、歴史を語ることもできるが。)厭戦気分がまったくなかったわけではなかったし、反戦論者も存在していたことは確かであるが、少なくとも、普通の国民にとっては、自国が勝っている戦争を否定することは、むずかしい。五・一五事件のときには、国民の多くはテロをおこした軍人たちに同情的であった。
この民衆がときとしては暴力を肯定するものであるということは、西園寺公望が、フランス留学のときの経験として、普仏戦争後のパリ・コミューンを経験していることは、重要なことになる。
国民、市民、民衆……こういう人たちは、平和主義者であって、戦争を好むのは、軍人と右翼である、というステレオタイプの発想をまだ信じている人もいるかと思うが、それは幻想にすぎないことは歴史が教えてくれることである。
現代の価値観からすれば、元老として、昭和史の悪の元凶とも見られかねない西園寺公望であるが、その生きた時代に即して見るならば、かなり進歩的な考え方のもちぬしであった。幕末から明治になる時代を、実際に体験してきていることの意味は重要だろう。その後継者が何故そだってこなかったのか、という問題は、これは、近代の歴史の大きな課題ということになるにちがいない。
この回の内容では、山県有朋は、薩長閥専制政治、軍閥政治の元凶として、悪者あつかいだったが、しかし、山県有朋の視点にたって近代を見ると、また別の側面も見えてくるだろうと思う。
2025年4月4日記
英雄たちの選択 シリーズ 昭和のあけぼの (1)政党政治に懸ける 最後の元老 西園寺公望
西園寺公望についてかたりながら、同時にかたっていたのが昭和における天皇制をめぐる問題。実は、こちら(近代の天皇制)のことの方が、本当はかたりたかったことかもしれない。それを、番組の編成としては、西園寺公望についての番組であると、あざむいている……ちょっと深読みしすぎだろうか。
この番組の方針としては、近代の天皇制を基本的に肯定している。(左翼的な観点から、近代の諸悪の根源としての天皇制というような視点ではない。)
君民共治、君主機関説、ということが出てきたが、これは、大日本帝国憲法も十分に近代的(あるいは、さらにいえば民主的)な憲法であった、とも理解できる。この憲法のもとでは、天皇は政治の責任を負うことはない。そのかわりに、大臣の輔弼がある。政治の責任をとるべきは、大臣であることになる。その大臣を、選挙で選ばれた政党の政治家がつとめれば、これは、民主的な政治制度ということになる。(番組のなかでは言っていなかったが、明治憲法においても、政党政治は民主主義につながる。制限選挙の時代ではあった。しかし、男子普通選挙も実施されるようになったことはたしかである。ひょっとすると、女性の参政権も、あるいは確立した可能性もあるかもしれない。)
昭和にはいっての、張作霖爆殺事件。これが関東軍の作為であったことは、今では常識的な知識であるが、その時代のなかにあって、この事件にどう対処するかということが、その後の政治の運命の分岐点になったことになる。
天皇が自らの意志をしめして、田中義一総理を問責するか、あるいは、田中の上奏のとおりに軍は関与していなかったこととするのか……この場合、どちらの選択肢を選んでも、歴史に禍根を残したことになるかもしれない。結果的には、天皇は田中義一の責任を問うことはなかったが、辞職にいたり、それが、その後のさまざまなテロ事件につながることになった。君側の奸を排除するという理由である。(昭和天皇が自らの意志をはっきりしめしたのは、二・二六事件のときと、終戦のとき、というがの通説であると認識している。)
これも、もとをただせば、関東軍の暴走であり、それをゆるすことになった、日本の国のおかれた状況……国内的にも、国際的にも……が問題であるということにはなるかもしれない。この時代の国際情勢(帝国主義の時代といっておくが)にあって、朝鮮半島から満州へと国家の権益をもとめる流れがあったことになるが、それをさらにさかのぼれば、「坂の上の雲」の時代の話しになる。現実的にブレーキをかけられる、政治と軍事にかんするリアリズムが、いつの時代からか日本で失われていったということになるだろうか。
この回は、西園寺公望と政党政治ということがテーマであるのだが、なぜ、西園寺公望が政党政治を支持することになったのか、その気持ちを晩年まで持ち続けることになったのか、というあたりのことについては、今一つ説明が不足していたという印象をうける。明治の藩閥政治に対する批判ではあったろうが、すぐに政党政治が実現するということではない。それまでのプロセスを、西園寺は具体的にどう考えていたのだろうか。(それが、新しい教育勅語の案ということになるのかと思うが。)
平等にいたるまでの不平等……大村益次郎の言ったこととして紹介されていたが、まあ、たしかに現実的な判断としては、こういうこともある。(だが、ここで重要になってくるのは、手段と目的、この関係をリアルに把握しつづけることである。)
政党政治としては、立憲政友会、立憲民政党、ということになる。これらの政党が、どのような主張をかかげ、実際にどのような政治家が何をしたのか、支持基盤はどうだったのか、ということも重要だと思うが、ここのところについては、ふれることがなかった。また、歴史の見方によっては、極端にいえばであるが、戦前に政党政治がつぶれたのは、政党同士の争いで自滅していった、ということもいえるかもしれない。
萱野稔人が言っていたこととしては、民衆が暴力を肯定した場合の恐ろしさ、ということがある。冷静に考えれば、歴史とは、このようなものである。かつて、大東亜戦争の時代、多くの国民の意識としては、戦争を肯定していた。(これについては、国家と軍が民衆をあざむいていたのであり、国民はだまされていたのである、という立場から、歴史を語ることもできるが。)厭戦気分がまったくなかったわけではなかったし、反戦論者も存在していたことは確かであるが、少なくとも、普通の国民にとっては、自国が勝っている戦争を否定することは、むずかしい。五・一五事件のときには、国民の多くはテロをおこした軍人たちに同情的であった。
この民衆がときとしては暴力を肯定するものであるということは、西園寺公望が、フランス留学のときの経験として、普仏戦争後のパリ・コミューンを経験していることは、重要なことになる。
国民、市民、民衆……こういう人たちは、平和主義者であって、戦争を好むのは、軍人と右翼である、というステレオタイプの発想をまだ信じている人もいるかと思うが、それは幻想にすぎないことは歴史が教えてくれることである。
現代の価値観からすれば、元老として、昭和史の悪の元凶とも見られかねない西園寺公望であるが、その生きた時代に即して見るならば、かなり進歩的な考え方のもちぬしであった。幕末から明治になる時代を、実際に体験してきていることの意味は重要だろう。その後継者が何故そだってこなかったのか、という問題は、これは、近代の歴史の大きな課題ということになるにちがいない。
この回の内容では、山県有朋は、薩長閥専制政治、軍閥政治の元凶として、悪者あつかいだったが、しかし、山県有朋の視点にたって近代を見ると、また別の側面も見えてくるだろうと思う。
2025年4月4日記
NHKスペシャル「トランプ流“ディール” 日本企業・激震の舞台裏」 ― 2025-04-08
2025年4月8日 當山日出夫
NHKスペシャル トランプ流“ディール” 日本企業・激震の舞台裏
録画しておいて、翌日に見た。
国際政治とか、経済とか、まったくの門外漢なので、特に何か書いてみようとは思わないのだが、見ていて気になったことがある。
番組に出てきたトランプ政権のブレインという人はこう言っていた……アメリカの大学を出ていない労働者の生活は、1970年代から、変わっていない。アメリカンドリームは消えた。
一方で、日本の側として、藪中三十路はこういうことを言っていた……トランプはアメリカの富がうばわれたといっているが、アメリカの一人あたりのGDPは世界で最も高い。アメリカは、もっとも豊かな国である。
これはあきらかに認識、論点のずれがある。NHKはわかっていて、こういう発言が並ぶように番組を作ったのだろうか。
トランプ大統領を支持している人たちは、いわゆるラストベルトの忘れられた人びとである。この人たちの多くはは、ひょっとするとトランプが好きということではないのかもしれない。ありていにいえば、トランプは嫌いだが、民主党のバイデンやハリスは、もっともっと嫌いである、というぐらいの感覚ではないかと、私は思うのだが、どうなのだろうか。
要するに、アメリカのGDPが高いのは、一部のお金持ちがごっそりと稼いでいるだけのことであり、大多数の労働者はおいてけぼりにされている。これを、どうしてくれるんだ、ということになる。(そのかぎりにおいて、トランプ政権の政策は妥当であると言っていいのだろう。)
この状況で、日本から総理がアメリカに行って会談したとしても、どうこうなる問題でないことはあきらかである。万が一、アメリカと交渉の結果、日本だけが関税を下げることができたとして、世界的な原材料のサプライチェーンのなかで、それですぐに、日本の国益になるということはないだろう。この先の展望を描ける人は、はたしているだろうか。
ここは冷静に我慢する、国際的な多国間連携でなんとか打開の道をさぐる、というぐらいのことしかないはずだが、冷静に我慢する、ということほど、国のリーダーにとって難しいことはないかもしれない(無論、経済対策、安全保障に万全を期してであるが)。えてして、マスコミや世論というのは、そして最近ではソーシャルメディアも、対外強硬姿勢(それが対米であれ、対中であれ)で、反政府の気勢を上げるものである、というのが世の習いである。
2025年4月7日記
NHKスペシャル トランプ流“ディール” 日本企業・激震の舞台裏
録画しておいて、翌日に見た。
国際政治とか、経済とか、まったくの門外漢なので、特に何か書いてみようとは思わないのだが、見ていて気になったことがある。
番組に出てきたトランプ政権のブレインという人はこう言っていた……アメリカの大学を出ていない労働者の生活は、1970年代から、変わっていない。アメリカンドリームは消えた。
一方で、日本の側として、藪中三十路はこういうことを言っていた……トランプはアメリカの富がうばわれたといっているが、アメリカの一人あたりのGDPは世界で最も高い。アメリカは、もっとも豊かな国である。
これはあきらかに認識、論点のずれがある。NHKはわかっていて、こういう発言が並ぶように番組を作ったのだろうか。
トランプ大統領を支持している人たちは、いわゆるラストベルトの忘れられた人びとである。この人たちの多くはは、ひょっとするとトランプが好きということではないのかもしれない。ありていにいえば、トランプは嫌いだが、民主党のバイデンやハリスは、もっともっと嫌いである、というぐらいの感覚ではないかと、私は思うのだが、どうなのだろうか。
要するに、アメリカのGDPが高いのは、一部のお金持ちがごっそりと稼いでいるだけのことであり、大多数の労働者はおいてけぼりにされている。これを、どうしてくれるんだ、ということになる。(そのかぎりにおいて、トランプ政権の政策は妥当であると言っていいのだろう。)
この状況で、日本から総理がアメリカに行って会談したとしても、どうこうなる問題でないことはあきらかである。万が一、アメリカと交渉の結果、日本だけが関税を下げることができたとして、世界的な原材料のサプライチェーンのなかで、それですぐに、日本の国益になるということはないだろう。この先の展望を描ける人は、はたしているだろうか。
ここは冷静に我慢する、国際的な多国間連携でなんとか打開の道をさぐる、というぐらいのことしかないはずだが、冷静に我慢する、ということほど、国のリーダーにとって難しいことはないかもしれない(無論、経済対策、安全保障に万全を期してであるが)。えてして、マスコミや世論というのは、そして最近ではソーシャルメディアも、対外強硬姿勢(それが対米であれ、対中であれ)で、反政府の気勢を上げるものである、というのが世の習いである。
2025年4月7日記
放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」 ― 2025-04-07
2025年4月7日 當山日出夫
放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」
たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいたものである。これも、放送100年の番組のなかの一つということだろう。
普通の人たちが、普通にどんな生活(衣食住)であったのか、ということは、とても大切なことだと思っている。民俗学的にいえば、常民の生活誌とでもいうことができるかもしれない。
弁当箱の100年ということで、かけあしでたどる番組だったが、いくつか面白いところがあった。
乃木希典が日の丸弁当を好んだというのは、まあ、いいとしても、(番組では言っていなかったが)問題は、明治の陸軍における脚気問題であったはずである。大量の白米のご飯と梅干しだけでは、栄養にかたよりがある。これは、脚気の原因になる、というのは今日の知識では常識的なことだろうと思うが、明治のころの軍においては大きな問題だった。この論争のなかに、森鷗外もいたことになる。
日の丸弁当が普及して、梅干しの需要がたかまり、品不足になった、というのは、始めて知った。これも、梅干しの歴史、近代史、という視点から見ると、面白いことがあるかもしれない。
アルマイトのお弁当箱といえば、当然ながら、『二十四の瞳』である。最近のNHKのドラマも見ているし、昔の(子どものころに放送された)ドラマも見た記憶がある。木下恵介監督の映画も、若い時に映画館で見た。
若大将(加山雄三)が、ドカベンであったことは、始めて知った。なんとなくハイカラなイメージがある歌手・俳優ではあるが、この時代としては、たくさんご飯を食べることが、かっこよかった時代であった。
冷凍食品の登場が、お弁当を変えたことは、たしかだろう。それ以上に、日本の一般の食生活を変えたことになる。今では、家庭の冷凍庫と、冷凍食品なしには、日々の暮らしがなりたたなくなっている。
保温の出来る弁当箱の開発も、重要である。ただ、私は、これは使った経験がない。
あさま山荘事件のときをきっかけに、カップヌードルが普及したのは、そのとおりだろう。個人的には、始めてカップヌードルを食べたのがいつごろのことだったかは、さだかに記憶していない。
日本の人びとが、どんなものを食べているのか、食べてきたのか……その映像資料を見ていくだけで、いろんなことが分かってくるにちがいない。ただ、それも、今では、コンビニのお弁当が日常生活のなかに入りこんできているし、それをつくるのに、食材の生産、流通、加工、販売に、外国人労働者の手をかりなければならない時代になっていることも、たしかなことであろう。
2025年4月6日記
放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」
たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいたものである。これも、放送100年の番組のなかの一つということだろう。
普通の人たちが、普通にどんな生活(衣食住)であったのか、ということは、とても大切なことだと思っている。民俗学的にいえば、常民の生活誌とでもいうことができるかもしれない。
弁当箱の100年ということで、かけあしでたどる番組だったが、いくつか面白いところがあった。
乃木希典が日の丸弁当を好んだというのは、まあ、いいとしても、(番組では言っていなかったが)問題は、明治の陸軍における脚気問題であったはずである。大量の白米のご飯と梅干しだけでは、栄養にかたよりがある。これは、脚気の原因になる、というのは今日の知識では常識的なことだろうと思うが、明治のころの軍においては大きな問題だった。この論争のなかに、森鷗外もいたことになる。
日の丸弁当が普及して、梅干しの需要がたかまり、品不足になった、というのは、始めて知った。これも、梅干しの歴史、近代史、という視点から見ると、面白いことがあるかもしれない。
アルマイトのお弁当箱といえば、当然ながら、『二十四の瞳』である。最近のNHKのドラマも見ているし、昔の(子どものころに放送された)ドラマも見た記憶がある。木下恵介監督の映画も、若い時に映画館で見た。
若大将(加山雄三)が、ドカベンであったことは、始めて知った。なんとなくハイカラなイメージがある歌手・俳優ではあるが、この時代としては、たくさんご飯を食べることが、かっこよかった時代であった。
冷凍食品の登場が、お弁当を変えたことは、たしかだろう。それ以上に、日本の一般の食生活を変えたことになる。今では、家庭の冷凍庫と、冷凍食品なしには、日々の暮らしがなりたたなくなっている。
保温の出来る弁当箱の開発も、重要である。ただ、私は、これは使った経験がない。
あさま山荘事件のときをきっかけに、カップヌードルが普及したのは、そのとおりだろう。個人的には、始めてカップヌードルを食べたのがいつごろのことだったかは、さだかに記憶していない。
日本の人びとが、どんなものを食べているのか、食べてきたのか……その映像資料を見ていくだけで、いろんなことが分かってくるにちがいない。ただ、それも、今では、コンビニのお弁当が日常生活のなかに入りこんできているし、それをつくるのに、食材の生産、流通、加工、販売に、外国人労働者の手をかりなければならない時代になっていることも、たしかなことであろう。
2025年4月6日記
『べらぼう』「蔦重瀬川夫婦道中」 ― 2025-04-07
2025年4月7日 當山日出夫
『べらぼう』「蔦重瀬川夫婦道中」
NHKの作っているドラマだから、「四民の外」とまでは言うけれども、それ以上のことは言わない。これは、しかたないだろう。今のことばいえば、被差別民、昔のことばでいえば、穢多非人、ということになるはずである。(この文章を書くのにATOKを使っているが、これは賢く作ってあるので、穢多、ということばを変換してくれなかった。)
ただ、被差別民が、実際に社会のなかでどのような存在であったかは、時代や地域によって、細かく検討していかなければならないことであるとは思っている。前近代の身分意識がどのような内実であったかは、実はよくわかっていないことなのだろうと思う。私は差別は決して肯定しないが、しかし、だからといって、差別だといえばことがすむとも思っていない。例えば『遠野物語』に描かれたような人びとの心のありようを、もっと深く、そして、実証的に考えることが必要だと思っている。
吉原は、悪所、であったにちがいないが、一方で、このドラマで描いているように、江戸の文化の一部を構成するものであったことは確かである。このあたりのバランスを、ドラマのなかでどう描いていくかは、難しいところだろうとは思う。
検校というような存在も、ある意味では、通常の身分秩序において、きわめて特殊な位置を与えられていたと考えるべきだろう。この延長には、日本の文化の歴史における、芸能にたずさわる人びとのことがある。
吉原では、かつて、役者(芸能にかかわる人たち)を差別していたことがある。差別というのは、単純な上下関係の積み重ねというわけではなく、錯綜したさまざまな人びとの社会的関係性のなかに、複雑にからまりあって存在することになる。
瀬川は、堅気というか、素人の奥様、という雰囲気である。ここは、素人にもどっても、もとの女郎の雰囲気をどこか残している、というぐらいがいいかなと思うのだが、このドラマの筋書きからすると、完全に吉原とは縁を切ったということにしたかったのかと思う。
瀬川の書いた手紙が、少し映っていたが、言文一致体、である。この時代に、こんな言文一致体の文章で手紙を書くはずはないと思うが、ここは、ドラマの進行として、そうなるところであろう。
源内の作ったエレキテルは、そもそもがインチキであるのかもしれない。少なくとも医療器具とするのは、うさんくさい。鍼灸の方がよっぽど効果があるだろう。
女郎に身売りすることになったからといって、それが憎悪の連鎖になってはならない、これはそのとおりなのだが、当時の社会においては、実際にどうだったろうかという気はする。
検校の処分後の債権については、幕府のものとなっていたが、なかには取り立てが無理な不良債権もああっただろうと思うけれども、実際には、どれぐらいのお金が幕府のもうけになったのだろうか。
冒頭の部分で、百人一首の歌になぞらえて、お互いに、言いたいことを言うシーンがあったが、この時代であれば、百人一首は、上層町人階層にとっては、愛好されていたかと思う。百人一首についての研究は、近年になって急速に進展した領域であるので、しかるべく考証してのことだろうとは思うが。
2025年4月6日記
『べらぼう』「蔦重瀬川夫婦道中」
NHKの作っているドラマだから、「四民の外」とまでは言うけれども、それ以上のことは言わない。これは、しかたないだろう。今のことばいえば、被差別民、昔のことばでいえば、穢多非人、ということになるはずである。(この文章を書くのにATOKを使っているが、これは賢く作ってあるので、穢多、ということばを変換してくれなかった。)
ただ、被差別民が、実際に社会のなかでどのような存在であったかは、時代や地域によって、細かく検討していかなければならないことであるとは思っている。前近代の身分意識がどのような内実であったかは、実はよくわかっていないことなのだろうと思う。私は差別は決して肯定しないが、しかし、だからといって、差別だといえばことがすむとも思っていない。例えば『遠野物語』に描かれたような人びとの心のありようを、もっと深く、そして、実証的に考えることが必要だと思っている。
吉原は、悪所、であったにちがいないが、一方で、このドラマで描いているように、江戸の文化の一部を構成するものであったことは確かである。このあたりのバランスを、ドラマのなかでどう描いていくかは、難しいところだろうとは思う。
検校というような存在も、ある意味では、通常の身分秩序において、きわめて特殊な位置を与えられていたと考えるべきだろう。この延長には、日本の文化の歴史における、芸能にたずさわる人びとのことがある。
吉原では、かつて、役者(芸能にかかわる人たち)を差別していたことがある。差別というのは、単純な上下関係の積み重ねというわけではなく、錯綜したさまざまな人びとの社会的関係性のなかに、複雑にからまりあって存在することになる。
瀬川は、堅気というか、素人の奥様、という雰囲気である。ここは、素人にもどっても、もとの女郎の雰囲気をどこか残している、というぐらいがいいかなと思うのだが、このドラマの筋書きからすると、完全に吉原とは縁を切ったということにしたかったのかと思う。
瀬川の書いた手紙が、少し映っていたが、言文一致体、である。この時代に、こんな言文一致体の文章で手紙を書くはずはないと思うが、ここは、ドラマの進行として、そうなるところであろう。
源内の作ったエレキテルは、そもそもがインチキであるのかもしれない。少なくとも医療器具とするのは、うさんくさい。鍼灸の方がよっぽど効果があるだろう。
女郎に身売りすることになったからといって、それが憎悪の連鎖になってはならない、これはそのとおりなのだが、当時の社会においては、実際にどうだったろうかという気はする。
検校の処分後の債権については、幕府のものとなっていたが、なかには取り立てが無理な不良債権もああっただろうと思うけれども、実際には、どれぐらいのお金が幕府のもうけになったのだろうか。
冒頭の部分で、百人一首の歌になぞらえて、お互いに、言いたいことを言うシーンがあったが、この時代であれば、百人一首は、上層町人階層にとっては、愛好されていたかと思う。百人一首についての研究は、近年になって急速に進展した領域であるので、しかるべく考証してのことだろうとは思うが。
2025年4月6日記
ETV特集「シリーズ 日本人と東大 第1回 エリートの条件 “花の28年組”はなぜ敗北したのか」 ― 2025-04-07
2025年4月7日 當山日出夫
ETV特集 シリーズ 日本人と東大 第1回 エリートの条件 “花の28年組”はなぜ敗北したのか
録画しておいたのをようやく見た。はっきりいえば、あまり面白くないというか、新たな知見や考え方が示されたということはなかった。
明治二八年卒業、東京大学法学部……厳密には、東京帝国大学法科大学だと思うが……のその後の人生をたどった、ということになっているが、実際には、浜口雄幸のことがメインだった。同期であった、幣原喜重郎のことは、ちょっと出てきただけだった。
帝国大学が、国家須要の人材の育成のために作られたものであることは、まあ、あたりまえのことである。また、明治のはじめのころであれば、いわゆるおやとい外国人という形で、外国人の教師がいたこともたしかである。このことについて、明治のはじめは、国際色豊かな教育が出来ていたが、その後、日本人の教師に変わってしまった、それがなくなった。そして、その延長で登場させていたのが、上杉慎吉というのは、いかにもできすぎたストーリーである。上杉慎吉を出すなら、美濃部達吉も登場させるべきだろう。
近代日本の教育制度、国家のエリートの教育がどうであったかを検証するなら、それで、また別の作り方があったと思うが、ただ浜口雄幸の個人のことで終わってしまている印象がある。
しかし、浜口雄幸のことを語ったというわりには、その人物像が明確につたわってこない。なぜ、議論を重視して、神のごとく正しくはないかもしれないが、凡庸であっても多数の常識にしたがうべきだ、と考えるにいたったのか、その思想の形成過程がまったく見えない。(これは、議会制民主主義の根本にかかわる議論になる。)
昭和にはいって、軍部の意見が強くなり、統帥権干犯問題になる。このとき、むしろ問題だったのは、政党間の争いでもあったのだが、これを、歴史的にどう考えるかは、難しい問題かもしれない。一般的には、統帥権をふりかざした軍部を悪者にすることが多い。その典型が、司馬遼太郎である。しかし、実際には、政党間の論争につかわれたという側面もある。これを使って攻撃したのは、犬養毅だった。昭和の軍部に視点をおくか、日本の政党政治史の視点で見るか、とらえかたは変わってくるだろう。政党政治史という観点では、井沢多喜男のことが重要になるはずである。
その後、浜口雄幸も、犬養毅も、非業の死をとげることになるのだが。
興味深かったのは、東京大学の文書館にあった、浜口雄幸と同期の学生の一覧。出自が書いてあったが、士族とあるものが多かったようである。この時代の高等教育を考えるならば、その学生の出自を考慮しなければならないだろう。社会的階層、出身地、いわゆる薩長の側か、それとも幕臣につらなるのか……こういうところの調査が必要になるはずである。
この番組、NHKと東京大学が共同で作ったようなのだが、あつかうべきテーマがばらけて、ことの本質が見えていないし、歴史観もあまりにステレオタイプにすぎる。
2025年4月4日記
ETV特集 シリーズ 日本人と東大 第1回 エリートの条件 “花の28年組”はなぜ敗北したのか
録画しておいたのをようやく見た。はっきりいえば、あまり面白くないというか、新たな知見や考え方が示されたということはなかった。
明治二八年卒業、東京大学法学部……厳密には、東京帝国大学法科大学だと思うが……のその後の人生をたどった、ということになっているが、実際には、浜口雄幸のことがメインだった。同期であった、幣原喜重郎のことは、ちょっと出てきただけだった。
帝国大学が、国家須要の人材の育成のために作られたものであることは、まあ、あたりまえのことである。また、明治のはじめのころであれば、いわゆるおやとい外国人という形で、外国人の教師がいたこともたしかである。このことについて、明治のはじめは、国際色豊かな教育が出来ていたが、その後、日本人の教師に変わってしまった、それがなくなった。そして、その延長で登場させていたのが、上杉慎吉というのは、いかにもできすぎたストーリーである。上杉慎吉を出すなら、美濃部達吉も登場させるべきだろう。
近代日本の教育制度、国家のエリートの教育がどうであったかを検証するなら、それで、また別の作り方があったと思うが、ただ浜口雄幸の個人のことで終わってしまている印象がある。
しかし、浜口雄幸のことを語ったというわりには、その人物像が明確につたわってこない。なぜ、議論を重視して、神のごとく正しくはないかもしれないが、凡庸であっても多数の常識にしたがうべきだ、と考えるにいたったのか、その思想の形成過程がまったく見えない。(これは、議会制民主主義の根本にかかわる議論になる。)
昭和にはいって、軍部の意見が強くなり、統帥権干犯問題になる。このとき、むしろ問題だったのは、政党間の争いでもあったのだが、これを、歴史的にどう考えるかは、難しい問題かもしれない。一般的には、統帥権をふりかざした軍部を悪者にすることが多い。その典型が、司馬遼太郎である。しかし、実際には、政党間の論争につかわれたという側面もある。これを使って攻撃したのは、犬養毅だった。昭和の軍部に視点をおくか、日本の政党政治史の視点で見るか、とらえかたは変わってくるだろう。政党政治史という観点では、井沢多喜男のことが重要になるはずである。
その後、浜口雄幸も、犬養毅も、非業の死をとげることになるのだが。
興味深かったのは、東京大学の文書館にあった、浜口雄幸と同期の学生の一覧。出自が書いてあったが、士族とあるものが多かったようである。この時代の高等教育を考えるならば、その学生の出自を考慮しなければならないだろう。社会的階層、出身地、いわゆる薩長の側か、それとも幕臣につらなるのか……こういうところの調査が必要になるはずである。
この番組、NHKと東京大学が共同で作ったようなのだが、あつかうべきテーマがばらけて、ことの本質が見えていないし、歴史観もあまりにステレオタイプにすぎる。
2025年4月4日記
『八重の桜』「ならぬことはならぬ」 ― 2025-04-07
2025年4月7日 當山日出夫
『八重の桜』「ならぬことはならぬ」
再放送がはじまったので見ることにした。最初の放送は、2013年である。今から12年前のことになる。あまり視聴率はよくなかったようなのだが、私は、かなり面白いと思って見ていた。幕末の動乱を、会津藩の視点から描くということが斬新なこころみだったと思うし、また、明治なってからの日本の社会についても、ふれるところがあった。
会津の地に対する愛郷心(パトリオティズム)、武士としての主君への忠誠心、幕府、そして、朝廷(孝明天皇)への忠義、これは定番の時代劇のテーマだが、それが、明治になって近代市民社会、国民国家の成立、ということになる、このあたりまで描けたかどうかは、難しかったかもしれないと思うところである。
特に、松平容保と孝明天皇とのことは、ドラマで描いたこととはいえ、非常に印象深いものであった。また、会津城の攻防戦の描写は、なかなか迫力があった。この会津戦争のときの映像は、今でも、ときどき、NHKの歴史番組で再利用(?)されていることがある。
日本の話しでありながら、アメリカの南北戦争のことからはじまる。意外な感じではあるが、しかし、南北戦争後にいらなくなってあまった武器が、多く日本に輸出されたことは、歴史の知識として、普通に知られていることだと思う。
第一回を見て思うことは、会津の日新館の映像がとてもいい。それから、江戸の佐久間象山の屋敷のセットが、なるほど、という感じである。とにかく、ものが多い。西洋の新しい文明の技術を貪欲にとりいれようとしている佐久間象山にふさわしい。単純な考え方であるが、画面に映っているもの(小道具)の数が多いドラマは、それだけ手間暇がかかっているので、見ていて面白い。
ならぬものはならぬ……これでは、対話ということにならないので、現代の価値観としては、どうかなと思うところがないではない。しかし、このような教育でそだったからこそ、後の八重の姿があることになる。
日曜日にお昼の放送を見ると、『八重の桜』につづいて『べらぼう』になる。八重がお稲荷さんになる。これは、ちょっと奇妙な感覚である。
2025年4月6日記
『八重の桜』「ならぬことはならぬ」
再放送がはじまったので見ることにした。最初の放送は、2013年である。今から12年前のことになる。あまり視聴率はよくなかったようなのだが、私は、かなり面白いと思って見ていた。幕末の動乱を、会津藩の視点から描くということが斬新なこころみだったと思うし、また、明治なってからの日本の社会についても、ふれるところがあった。
会津の地に対する愛郷心(パトリオティズム)、武士としての主君への忠誠心、幕府、そして、朝廷(孝明天皇)への忠義、これは定番の時代劇のテーマだが、それが、明治になって近代市民社会、国民国家の成立、ということになる、このあたりまで描けたかどうかは、難しかったかもしれないと思うところである。
特に、松平容保と孝明天皇とのことは、ドラマで描いたこととはいえ、非常に印象深いものであった。また、会津城の攻防戦の描写は、なかなか迫力があった。この会津戦争のときの映像は、今でも、ときどき、NHKの歴史番組で再利用(?)されていることがある。
日本の話しでありながら、アメリカの南北戦争のことからはじまる。意外な感じではあるが、しかし、南北戦争後にいらなくなってあまった武器が、多く日本に輸出されたことは、歴史の知識として、普通に知られていることだと思う。
第一回を見て思うことは、会津の日新館の映像がとてもいい。それから、江戸の佐久間象山の屋敷のセットが、なるほど、という感じである。とにかく、ものが多い。西洋の新しい文明の技術を貪欲にとりいれようとしている佐久間象山にふさわしい。単純な考え方であるが、画面に映っているもの(小道具)の数が多いドラマは、それだけ手間暇がかかっているので、見ていて面白い。
ならぬものはならぬ……これでは、対話ということにならないので、現代の価値観としては、どうかなと思うところがないではない。しかし、このような教育でそだったからこそ、後の八重の姿があることになる。
日曜日にお昼の放送を見ると、『八重の桜』につづいて『べらぼう』になる。八重がお稲荷さんになる。これは、ちょっと奇妙な感覚である。
2025年4月6日記
『あんぱん』「人間なんてさみしいね」 ― 2025-04-06
2025年4月6日 當山日出夫
『あんぱん』「人間なんてさみしいね」
始まりはアンパンマンからだった。やなせたかしは、アンパンマンを何種類か描いているが、その最初のものだった。アンパンマンの正義は、おなかをすかせて困っている人に、パン(自分の顔)をあげる、ただそれだけの素朴なものである。だからこそ、より多くの人たち、また、子どもたちがこれに共感する。
『あんぱん』の場合、特筆すべきは、はじまって最初の方で、このドラマの着地点を明確に示していることだろう。やなせたかし自身が多くのことばを残している。正義は逆転する。正義はかっこうのいいものではない。正義はみずからも傷つくものである。
このやなせたかしの正義についての考え方は、AKが前に作った『虎に翼』と、正反対の性質のものである。『虎に翼』では、正義とはひたすら主張するものであり、絶対の正義(女性の権利ということ)はゆらぐことのないものであった。特に、ドラマの後半、戦後になってからは、史実はどうであるか、法曹の世界の仕事はどうであるか、法律にもとづいて考えるとはどういうことか、というようなことを放り出して、その主人公(寅子)の言いたいことを主張することがメインであった。それに異なる意見が、どうして存在するのか考慮されることはなかった。せいぜい、それは、古風な封建的遺制であると排斥されるだけであった。
ある意味では明確な目標ではあったのだが、残念ながら、その目標である女性の権利が、どのような歴史的背景があって、そのように考えられるようになったのか、という思想の歴史については、完全に無視したことになっていた。近代になってからの、女性運動、廃娼運動、戦時中の婦人会、戦後になってから、ウーマンリブ、など、時代のなかにあっての思想の歴史についてまったくふれることがなかった。私は、ここのところが、『虎に翼』の最大の問題点だと思っている。歴史を描いてこそ、その思想がドラマのなかで説得力をもって語れる、ということが分かっていなかった。これは、その思想への賛否とは、また別の次元でのことである。また、もう一つの問題点は、三権分立を無視したことである。
『あんぱん』は、最初の週は、非常に密度の高い展開になっていた。高知の田舎町の住む少女、東京からの転校生、そのお母さんのこと、のぶのお父さんの死、パンをやくおじさんのこと、いろんなことが、五回の放送のなかにつめこまれていて、それが、破綻することなく、きれいに描かれていた。また、個々のシーンの映像がとてもいい。
崇の母親が、子供たちを残して去って行くシーンなど、非常に印象的であった。また、のぶと崇と千尋がシーソーで遊ぶ場面などは、その後の、これらの登場人物の関係性がどうなるのか、予感させるものとなっていた。
室内の描写でも、明暗の対比をつかって奥行きのある映像の表現となっている。
また、舞台となっている、御免与の街の通りのセットがいい。店のたたずまいとか、通りの歩く人の姿とか、いかにもそれらしい印象を与えるように、丁寧に作ってある。いいドラマは、画面の中に映っているものの数が多い……というのは、一般的にいえるかもしれない。のぶの朝田の家のなかの小道具類、崇の家の中の様子、病院の診察室、非常によく作ってあると感じる。
この最初の週から、やむおじさんが登場している。アンパンマンのジャムおじさんの役割になるのだろう。アンパンマンが、困っている人に自分の顔を食べさせてあげることが出来るのは、新しい顔のパンを焼いてくれるジャムおじさんがいてからこそである。アンパンマンにとっても、もっとも重要な登場人物である。
のぶが学校で喧嘩して同級生の男の子に傷をおわせたときのことであるが、男の子の家にあやまりいった帰り、お母さんが、恨みをいだかせるようなことをしてはいけない、恨みは恨みしか生まない……という意味のことを、のぶに語っていた。これは、まさにアンパンマンの世界の正義のあり方である。アンパンマンには、憎悪の連鎖、ということが出てこない。(残念ながら、この部分は土曜日のまとめではカットされていたが。)
ただ一つ気になったこととしては、やむおじさんが、駅で切符を買うところ。駅員に、広島までと言っていたのだが、この時代(昭和2年)、土讃線は全面開通していないはずである。宇高連絡線を使うとしても、切符が買えたのだろうか、という気がするのだが、どうなのだろうか。崇とお母さんが土佐に来たとき、神戸に一泊してと言っていたのだが、これもこの当時だったら、大阪に一泊して船で高知まで、ということだったかもしれない。(宮尾登美子の小説など読んだ印象だと、そうかなと思うのだが。)鉄道の歴史に詳しい人に教えてもらいたい。
さりげないことだが、この時代では、朝鮮は日本の統治下にあった。のぶのお父さんは、京城に行って帰りの船の中で死んだことになっていた。京城は、現在のソウルになる。土佐の田舎町から、ビジネスの拡大を考えるならば、朝鮮や大陸(満州)に目が向くのは、当然の時代、ということだったのだろう。こういう時代であったということが、おりこんであるのは、たくみな作り方であると思う。その後、史実にしたがうならば、崇は兵隊として中国戦線に行くことになるはずである。
2025年4月4日記
『あんぱん』「人間なんてさみしいね」
始まりはアンパンマンからだった。やなせたかしは、アンパンマンを何種類か描いているが、その最初のものだった。アンパンマンの正義は、おなかをすかせて困っている人に、パン(自分の顔)をあげる、ただそれだけの素朴なものである。だからこそ、より多くの人たち、また、子どもたちがこれに共感する。
『あんぱん』の場合、特筆すべきは、はじまって最初の方で、このドラマの着地点を明確に示していることだろう。やなせたかし自身が多くのことばを残している。正義は逆転する。正義はかっこうのいいものではない。正義はみずからも傷つくものである。
このやなせたかしの正義についての考え方は、AKが前に作った『虎に翼』と、正反対の性質のものである。『虎に翼』では、正義とはひたすら主張するものであり、絶対の正義(女性の権利ということ)はゆらぐことのないものであった。特に、ドラマの後半、戦後になってからは、史実はどうであるか、法曹の世界の仕事はどうであるか、法律にもとづいて考えるとはどういうことか、というようなことを放り出して、その主人公(寅子)の言いたいことを主張することがメインであった。それに異なる意見が、どうして存在するのか考慮されることはなかった。せいぜい、それは、古風な封建的遺制であると排斥されるだけであった。
ある意味では明確な目標ではあったのだが、残念ながら、その目標である女性の権利が、どのような歴史的背景があって、そのように考えられるようになったのか、という思想の歴史については、完全に無視したことになっていた。近代になってからの、女性運動、廃娼運動、戦時中の婦人会、戦後になってから、ウーマンリブ、など、時代のなかにあっての思想の歴史についてまったくふれることがなかった。私は、ここのところが、『虎に翼』の最大の問題点だと思っている。歴史を描いてこそ、その思想がドラマのなかで説得力をもって語れる、ということが分かっていなかった。これは、その思想への賛否とは、また別の次元でのことである。また、もう一つの問題点は、三権分立を無視したことである。
『あんぱん』は、最初の週は、非常に密度の高い展開になっていた。高知の田舎町の住む少女、東京からの転校生、そのお母さんのこと、のぶのお父さんの死、パンをやくおじさんのこと、いろんなことが、五回の放送のなかにつめこまれていて、それが、破綻することなく、きれいに描かれていた。また、個々のシーンの映像がとてもいい。
崇の母親が、子供たちを残して去って行くシーンなど、非常に印象的であった。また、のぶと崇と千尋がシーソーで遊ぶ場面などは、その後の、これらの登場人物の関係性がどうなるのか、予感させるものとなっていた。
室内の描写でも、明暗の対比をつかって奥行きのある映像の表現となっている。
また、舞台となっている、御免与の街の通りのセットがいい。店のたたずまいとか、通りの歩く人の姿とか、いかにもそれらしい印象を与えるように、丁寧に作ってある。いいドラマは、画面の中に映っているものの数が多い……というのは、一般的にいえるかもしれない。のぶの朝田の家のなかの小道具類、崇の家の中の様子、病院の診察室、非常によく作ってあると感じる。
この最初の週から、やむおじさんが登場している。アンパンマンのジャムおじさんの役割になるのだろう。アンパンマンが、困っている人に自分の顔を食べさせてあげることが出来るのは、新しい顔のパンを焼いてくれるジャムおじさんがいてからこそである。アンパンマンにとっても、もっとも重要な登場人物である。
のぶが学校で喧嘩して同級生の男の子に傷をおわせたときのことであるが、男の子の家にあやまりいった帰り、お母さんが、恨みをいだかせるようなことをしてはいけない、恨みは恨みしか生まない……という意味のことを、のぶに語っていた。これは、まさにアンパンマンの世界の正義のあり方である。アンパンマンには、憎悪の連鎖、ということが出てこない。(残念ながら、この部分は土曜日のまとめではカットされていたが。)
ただ一つ気になったこととしては、やむおじさんが、駅で切符を買うところ。駅員に、広島までと言っていたのだが、この時代(昭和2年)、土讃線は全面開通していないはずである。宇高連絡線を使うとしても、切符が買えたのだろうか、という気がするのだが、どうなのだろうか。崇とお母さんが土佐に来たとき、神戸に一泊してと言っていたのだが、これもこの当時だったら、大阪に一泊して船で高知まで、ということだったかもしれない。(宮尾登美子の小説など読んだ印象だと、そうかなと思うのだが。)鉄道の歴史に詳しい人に教えてもらいたい。
さりげないことだが、この時代では、朝鮮は日本の統治下にあった。のぶのお父さんは、京城に行って帰りの船の中で死んだことになっていた。京城は、現在のソウルになる。土佐の田舎町から、ビジネスの拡大を考えるならば、朝鮮や大陸(満州)に目が向くのは、当然の時代、ということだったのだろう。こういう時代であったということが、おりこんであるのは、たくみな作り方であると思う。その後、史実にしたがうならば、崇は兵隊として中国戦線に行くことになるはずである。
2025年4月4日記
『チョッちゃん』(2025年3月31日の週) ― 2025-04-06
2025年4月6日 當山日出夫
『チョッちゃん』の再放送、2025年3月31日からの週について。
蝶子は、東京の音楽学校にすすみたいと思っている。声楽を学びたい。だが、具体的にどの学校に進学したいということまで、考えているわけではない。漠然と、上野の音楽学校と言っていたが(おじさんに言われて)、これが現在の東京藝術大学だとすると、当時でもっともレベルの高いところになる(今でもそうだが)。
女学校の先生の神谷容先生が、町をたずねてくる。国木田独歩のあるいた跡をたどっている。神谷先生は、その当時としては、かなり先進的な教育観のもちぬしである。女学校を卒業した後の、女性の社会での活躍に期待している。この時代、このような新しい思想の先生は、少なからずいたのかもしれない。
一方で、蝶子のお父さんは、蝶子が女学校を卒業してから、東京に行き、音楽を勉強することに、反対している。ドラマのなかでの描き方としては、典型的に古風な良妻賢母主義とでもいうべきだろうか。しかし、一方的に蝶子を押さえつけるだけの存在ではない。そもそも、この時代の地方(北海道の小さな町)で、女性が高等女学校まで行くということ自体が、かなり進歩的である。蝶子を女学校に行かせたのは、そのお父さんの意向であった。その言い方は、たしかに古風なところはあるが、しかし同時に、娘の蝶子に対する愛情を感じられるものでもある。
おさななじみの頼介は、町を出ようとしない。その北海道で開拓した土地で、生きていこうとしている。
そんなに大きな波乱があったという週ではなかったが、北海道の雪に埋もれた小さな町で暮らす人びとの、いろんな生活感情を静かに描いていたと感じる。昔の朝ドラは、こんな感じだったのである。悪く言えば、時計代わり。たまに見逃した回があっても、気にならないで見られる。そういう脚本になっている。
2025年4月5日記
『チョッちゃん』の再放送、2025年3月31日からの週について。
蝶子は、東京の音楽学校にすすみたいと思っている。声楽を学びたい。だが、具体的にどの学校に進学したいということまで、考えているわけではない。漠然と、上野の音楽学校と言っていたが(おじさんに言われて)、これが現在の東京藝術大学だとすると、当時でもっともレベルの高いところになる(今でもそうだが)。
女学校の先生の神谷容先生が、町をたずねてくる。国木田独歩のあるいた跡をたどっている。神谷先生は、その当時としては、かなり先進的な教育観のもちぬしである。女学校を卒業した後の、女性の社会での活躍に期待している。この時代、このような新しい思想の先生は、少なからずいたのかもしれない。
一方で、蝶子のお父さんは、蝶子が女学校を卒業してから、東京に行き、音楽を勉強することに、反対している。ドラマのなかでの描き方としては、典型的に古風な良妻賢母主義とでもいうべきだろうか。しかし、一方的に蝶子を押さえつけるだけの存在ではない。そもそも、この時代の地方(北海道の小さな町)で、女性が高等女学校まで行くということ自体が、かなり進歩的である。蝶子を女学校に行かせたのは、そのお父さんの意向であった。その言い方は、たしかに古風なところはあるが、しかし同時に、娘の蝶子に対する愛情を感じられるものでもある。
おさななじみの頼介は、町を出ようとしない。その北海道で開拓した土地で、生きていこうとしている。
そんなに大きな波乱があったという週ではなかったが、北海道の雪に埋もれた小さな町で暮らす人びとの、いろんな生活感情を静かに描いていたと感じる。昔の朝ドラは、こんな感じだったのである。悪く言えば、時計代わり。たまに見逃した回があっても、気にならないで見られる。そういう脚本になっている。
2025年4月5日記
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