ブラタモリ「伊勢神宮への旅・第三夜▼徳川御三家の巨大港!超絶技巧の土産!」2025-04-25

2025年4月25日 當山日出夫

ブラタモリ 伊勢神宮への旅・第三夜▼徳川御三家の巨大港!超絶技巧の土産!

伊勢路の三回目である。

伊勢路にお餅の名品が多い、ということはそうなのだろうが、だからといって鈴鹿サーキットに行って、池の存在を確認することは、まあ、番組の構成上のこと、ということなのだろう。

お米がたくさんとれる、ということと、お餅が名物になるということとは、あまり直接的な結びつきはないように思えるのだが、どうなのだろうか。たしかに、お米は、食べる(ご飯にするか、お酒にするか)ぐらいしか消費の方法がないものである。何度も書いていることなのだが、お米を作って、それが、どこでどう消費されたのか、ということの全体像が描けないと、ただ米所といっても、よく分からないところがある。

白子の港が、海運の重要拠点だったということは、そうなのだろうと思う。位置的には、尾張藩と紀州藩をつなぐことになるかとも思うのだが、さて、これらの藩どうしの関係(特に経済的)は、どんなものだったのだろうか。

江戸から東海道を通って伊勢に行く道と、京から伊勢に行く道が、合流することは、面白いのだが、では、京からどのようなルートで、ここまでやってきたのだろうか。江戸時代、伊勢を目指した旅人たちは、それぞれの地方から、どのようなルートをたどっていたのだろうか。

伊勢型紙は、知ってはいたことだが、その見本帳に、アルファベットが使われていたことは、とても興味深い。幕末のころのものだったが、蘭学などで、アルファベットは日本にもたらされていたと思うが、一般の人びとには、どの程度、認識されていたのだろか。

2025年4月21日記

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