校正記号を教える必要性2008-01-13

2008/01/13 當山日出夫

なぜ、大学で普通に教えないのだろう……と、思うことのひとつに、「校正記号」がある。印刷用語でいえば、ゲラ刷りを見て、著者(あるいは編集者)が、間違った箇所(誤植など)について、訂正を加えるときの記号類である。

これには、きちんとした「きまり」がある。印刷・出版関係の仕事・業界では、常識である。本としては、日本エディタースクールから、専門の本も出ている。

日本エディタースクール編(2000).『実例校正必携』.日本エディタースクール出版部

この他にも、いくつかある。

ところで、以前に書いた『理科系の作文技術』(木下是雄)。この本には、簡単ではあるが、校正記号のつかいかたの説明がある。1981年の本であるから、活版印刷が、まだ生きていた時代(私の持っている、初版本は、活版である)。「論文を活字にする」という言葉が、文字通りの意味を持っていたころ。

今や、活字(鉛の活字)は、姿を消してしまった。コンピュータ製版によるオフセット印刷の時代になっている。では、校正記号の意味がなくなったか、というと、そうではない。むしろ、その必要性が増している。

しかし、私の見るところ、論文の書き方のマニュアル本で、この校正記号について、ふれているものは、数少ないと思われる。最近の本では、

小笠原喜康(2007).『論文の書き方-わかりやすい文章のために-』.ダイヤモンド社

が、簡単ではあるが解説のページをもうけてある。

たいていの論文の書き方のマニュアル本には、自分の書いた文章を他の人に読んでもらうことを推奨している。それは、そのとおりである。だが、読む側は、どうすればいいのか……つまり、人の論文やレポートを読まされる側にたった場合、どうすればいいのか……について解説した本は、ほとんど無いように、おもう。

内容にかかわることであれば、文章なり、口頭なりで、伝えることができる。だが、単純な、誤字(誤変換)やレイアウトのミスなど、気づけば、適切に指示しないといけない。

また、他人に見せないまでも、論文やレポートを書くときには、自分で、プリントアウトしたものを何回も読み直す。そのときに気づいたミスは、自分自身で、訂正(朱筆)を入れないといけない。

例えば、章や節の見出しが、本文(明朝)と同じであったとき、そこに、「12ポG」などと記入する(これは、12ポイントのゴシック体に、の意味である。印刷業者が相手のときは、「G」ではなく、「ゴシック」と明記した方がいいが)。「トルツメ」「トルアキ」では、意味が違う。改行すべき箇所は、それ専用の記号を使う。

このような、共通のルールを基盤にしていないと、後で訂正しようとしたとき、どうしていいか分からなくなってしまう。単に、チェックの印をつけただけでは、自分でも、何故ここに印をつけたか、忘れてしまう。ましてや、他人の文章についてであれば、ここはこう直すべきだ、と正確に伝えなければならない。

論文やレポートは、ワープロで書く時代。校正記号は、もはや、「本」を書く人のためのものではなくなっている。一般に、ワープロのプリントアウトについて、間違いがあれば、それを的確に訂正するために、みんなが必要とする時代になっている。

ワープロの使い方(現実には、Wordの操作法であるが)や、論文やレポートの書き方の本はたくさんある。そのなかで、校正記号の重要性を、はっきりと説明したものが少ない、というのは、どうしたことだろう。

ワープロで文書作成が普通になった今、校正記号も、文書作成の技能のうちの一部である、という認識が必要だと、考える。

アカデミック・ライティングの一部としても必須であると思うのだが、そこまで、教えている時間の余裕が無いのが、残念ながら現実である。

當山日出夫(とうやまひでお)