『ARG』361号の感想:学生は本を読むか2009-02-09

2009/02/09 當山日出夫

『ARG』の361号は、まず、巻頭の

「視点:図書館文化と新世紀世代の価値との断絶」
Disconnects Between Library Culture and Millennial Generation Values

であろう。

ところで、以下、個人的な感想と経験から、すこし。

毎年度末、学生にには、簡単なレポートを書かせる。新書本の1冊ぐらいを読んで、それを「要約」しなさい。その本としては、数冊用意しておいて、このうちから選びなさい、とする。新書本ぐらい、自分で買え、というのが原則、この意味もあって、締め切りの1ヶ月以前には、課題を渡す。

ある学生の質問。先生は、この課題の本を読んでいるんですか? (正直いって、この質問には、内心激怒である。教師をなんだと思っている。読んで中身をある程度わかっているからこそ、課題に選んでいるにきまっているだろうが。)

学習するということと、読書とが、乖離してしまっている、この状況のなかでの図書館の未来はどうなるのだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:WS文字(2)国語研2009-02-09

2009/02/09 當山日出夫

第2回のワークショップ:文字-文字の規範-(2009年2月7日、国立国語研究所)は、無事に、いや、非常な盛況でもって終了した。会場の大きさもちょうど。閑古鳥状態にもならず、かといって、席が足りなくなるということもなく、適度であった。

前回と同じく、個別の発表についての質疑応答はなしにして、最後に、全体討論の時間をつくった。(司会は、前回とおなじように、日仏会館の家辺先生にお願いした。ありがとうございました。)

パソコンとプロジェクタの接続ミスも、ほとんど(?)なく、無事にいった。

やはり、というべきであるが、いわゆる、日本語学の研究分野における、文字の研究者の参加が少ない、と感じた。むしろ多かったのは、印刷・出版・コンピュータ関係のひとびと。今回のワークショップは、表面的には、新常用漢字表をメインに出したものではない。しかし、前回から、新常用漢字表のことは、通底している。

まさに、新常用漢字表は、何を決めるものなのか。その「規範性」とは何であるのか。まさに、そこにかかわる当事者である人たちがあつまったというべきであろう。

個別の発表については、各発表者の方々のうち何名かは、それぞれのブログで公表しておいでである。今、私が把握している範囲では、

師茂樹さん
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090208/p1

小形克宏さん
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090208/p1

いずれ、これらをふくめて、『論集』の第2号を、考えている。そして、次の第3回、あるいは、番外編をふくめて、いろいろ企画をどうしようかというところ。

當山日出夫(とうやまひでお)

『妙心寺』展の図録:妙心寺の古文書のアーカイブズ2009-02-09

2009/02/09 當山日出夫

東京国立博物館に、福澤諭吉展を見に行くと、ついでに、妙心寺展もやっていたので、見てきた。などと書くとおこられそうであるが、まずは、立場として、慶應義塾の塾員(125期卒)であることを、優先。

妙心寺の展覧会の方であるが、私が、もっぱら興味を持ってみたのは、その照明。昨年の、「じんもんこん2008」で、木下史青さんの講演を聴いたばかり。この照明の光源は、いったいどこから来ているのか、天井ばかり見ていた。

ともあれ、展覧会そのものとは別に、図録が、きちんとしている。このごろは、どこの展覧会でも、単なる、展示品の写真集というよりも、解説が詳しく載っている。

今回の妙心寺の図録を見て、気づいた点がひとつ。

概論として、竹貫元勝先生の文章は、当然だろう。おどろいたのは、その次の各論の最初が、

「妙心寺の古文書」.羽田聡(京都国立博物館)

が掲載になっていること。内容は、妙心寺のアーカイブズについてである。ちなみにいえば、これ(妙心寺古文書)は、メインの展示品ではない。

通常なら、禅と日本美術、というようなタイトルの論文が来るところだろう。そこをあえて、このような論文の編集にしたのは、敬服する。(誰に対してかと言われても困るが、妙心寺、および、東京国立博物館に対して、ということになる。)

どのような宗教教団(この場合、妙心寺)であっても、その歴史にともなって、種々の記録・文書が必須である。そして、それを、どう保全してきたか、つまり、アーカイブズの問題が、ここにもある。これを使って、詳しく調べれば、妙心寺教団が、現在、これほどの規模を維持できている背景には、単なる狭義の信仰以外に、経済的・政治的なさまざまな要因がある、それについて、研究できるだろう。

この図録は、展示品の解説としてもよくできている。そして、その「妙心寺アーカイブズ」について言及した論文を、最初に持ってきた編集の方針も、(めだたないことかもしれないが)、きわめて高く評価したいと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:文字の規範についての意識の変化2009-02-09

2009/02/09 當山日出夫

先日のワークショップの備忘録として書いておく。

まず考えなければならないのは、「表記の規範」のレベル。ある語を、「かな」で書くか「カタカナ」で書くか、「漢字」で書くか。「漢字」の場合、どの字を使用するか。

しかし、この根本的レベルの問題は、いまはおいておく。

漢字の規範といったとき、二つの方向がある。

第一に、理念としての規範。正しい文字というものがあるという意識。そして、それがどのようであるかは、時代・歴史・文化的背景によって異なる。

第二に、お手本としての規範。このとおりに書けばよい、ということ。

以上に分けて考えてみると、第一の意味での規範に言及したのが、小形さんの大日本印刷の拡張新字体の問題。時代的背景としては、当用漢字というきわめて厳しい漢字制限があって、その「表外字」(当用漢字が、漢字制限とはいっても、それで、すべての日本語が書けるわけではない、また、人名・地名の固有名詞を排除していることもある)は、必要。では、その「表外字」を、どう書くか。活字としては、どうデザインするか。

当用漢字の理念としては、字体の簡略化がある。これを、一つの理想とするのであるならば、拡張新字体は、生まれるべくして生まれる。また、この方が、使用する文字の字体の整合性がある。

また、この規範の意識が、時代によって変わる。当用漢字の字体簡略化ではなく、いわゆる「正字体」(旧字体? 康煕字典体?)に、方向がむかう。

第二の「お手本」としての規範。当用漢字であれ、常用漢字であれ、新常用漢字(仮称)であれ、表外漢字(印刷標準字体)であれ、さらには、康煕字典であれ、そこに掲載されているのと同じ「かたち」でなければならない、という規範の意識。

これは、拡張新字体などは、許さない。この意味での規範に言及したのが、狩野さん(イワタ)の発表。

なお、新常用漢字表(仮称)の、全体像が、すでにインターネットで見られる(文化庁のHPの議事録)。

http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji.html

これが、平成明朝で示してある、とすると、新常用漢字準拠の、実際のフォントデザインは、どのような影響をうけるか。

當山日出夫(とうやまひでお)