『光る君へ』「いけにえの姫」2024-07-01

2024年7月1日 當山日出夫

『光る君へ』「いけにえの姫」

まひろが宣孝と不仲になって、下女(といっていいのかな)のいとが、夫に逃げ道を作ってあげなければならなりません、理詰めで正しさだけを主張してはならないのです、夫婦とはそういうものなのです、いとおしいとはそういうことなのです……という意味のことを言っていた。このときのまひろの表情は、『源氏物語』における紫上を彷彿とさせるものだった。その後、まひろが石山寺に参詣するというストーリーのはこびは、まさに『源氏物語』の作者である紫式部の誕生ということにつながるのだろう。無論、この場合、光源氏のモデルになるのは、藤原道長である。

宣孝に火鉢の灰をなげつける場面、これは、『源氏物語』で髭黒大将の北の方のエピソードである。(面倒なので、『源氏物語』のどの巻か確認することはしないでいるのだが。玉鬘系統の話しの中に出てくる。)

大河ドラマで「多淫」ということばが出てきたのは初めてかもしれない。

陰陽師の安倍晴明が、実は道長の摂関政治の黒幕であった……というのは、面白い。このドラマ、安倍晴明が出てくると面白くなる。

一条天皇が中宮定子にほれこんで政をおろそかにする、これは、『源氏物語』の「桐壺」における桐壺の更衣とのことを踏まえているのだろうし、もとをたどれば、白楽天の「長恨歌」における玄宗皇帝と楊貴妃の話になる。唐では、安史の乱がおこることになるが、日本ではそうはならない。地震、洪水、ということであった。

このドラマの最初の方から出てきている藤原公任たち男性貴族仲間があつまる場面でも、みんな出世したせいか、この回は料理が豪勢になっていた。

清少納言は「唐(から)の国」と言っていた。「宋」ではなかった。まひろは「宋」と言っていた。その当時の中国の王朝と、歴史的文化的な中国を区別していることになる。このような場合、以前では「支那」ということばがあったのだが、最近は使わなくなった(あるいは、使えなくなった)。今の共産党政権の中国と、歴史的にみた中国とは区別したいときがある。

冒頭のところで、まひろが宣孝から贈られた鏡に自分の顔を映して見るシーンがあった。考えてみれば、おそらく近代になって生活のなかにガラス製の鏡が普及するまで、人間は、自分の顔がどんなであるか自分の目で見ることなくすごしてきたことになる。鏡と顔の社会史、というような研究があるのかとも思うが、もう隠居した身としては、もうこれ以上のことを調べてみようという気にならないでいる。

彰子は裳着の儀式をすませ、入内することになった。これで、紫式部の誕生の素地ができたことになる。まひろは、物語の着想をどのようにして得ることになるのだろうか。そこに石山寺のシーンの意味があるのだろう。

次週は、東京都知事選のためお休みである。買っておいたままになっている、紫式部関係の本を整理して、読んでみようか。

2024年6月30日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/07/01/9697513/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。