ドキュメント20min.「ニライカナイへの旅」 ― 2025-10-16
2025年10月16日 當山日出夫
ドキュメント20min. ニライカナイへの旅
大学で勉強したのが、慶應義塾大学文学部の国文科である。今から、半世紀ほど前のことになる。この時代だから、当然のように、折口信夫や柳田国男は読んできた。無論、ニライカナイ、ということばは、学生のときに憶えた。このことばは、折口信夫について考えるとき、きわめて重要なキーワードである。
海の向こうにある異界、といっていいだろう。
だから、今の時代にあっては、むしろ私のような人間の方が、ニライカナイということばについて、ある意味でかたよった考え方をしているのかもしれない。
この番組では、ニライカナイ、ということばで作ってあったが、一般的には、メメントモリ、というべきかもしれない。私が気に入っている訳語は、汝の死を想え、である。このことばを憶えたのは、学生のときに読んだ、藤原新也の著作においてである。
メメントモリの感覚が、日常生活の中にある……これが、今、もとめられていることなのだろう。その想うことの内実は、人それぞれ、あるいは、世代や地域の風習によって違っていてもいいのであるが。
2025年10月5日記
ドキュメント20min. ニライカナイへの旅
大学で勉強したのが、慶應義塾大学文学部の国文科である。今から、半世紀ほど前のことになる。この時代だから、当然のように、折口信夫や柳田国男は読んできた。無論、ニライカナイ、ということばは、学生のときに憶えた。このことばは、折口信夫について考えるとき、きわめて重要なキーワードである。
海の向こうにある異界、といっていいだろう。
だから、今の時代にあっては、むしろ私のような人間の方が、ニライカナイということばについて、ある意味でかたよった考え方をしているのかもしれない。
この番組では、ニライカナイ、ということばで作ってあったが、一般的には、メメントモリ、というべきかもしれない。私が気に入っている訳語は、汝の死を想え、である。このことばを憶えたのは、学生のときに読んだ、藤原新也の著作においてである。
メメントモリの感覚が、日常生活の中にある……これが、今、もとめられていることなのだろう。その想うことの内実は、人それぞれ、あるいは、世代や地域の風習によって違っていてもいいのであるが。
2025年10月5日記
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