阿修羅のごとく パートII「(3)じゃらん」2025-12-19

2025年12月19日 當山日出夫

阿修羅のごとく パートII「(3)じゃらん」

人間のエゴイズムというのは、日本の近代文学で大きなテーマである。その代表作として思いうかぶのは、夏目漱石の『こころ』などがある。芥川龍之介の作品もそうだろう。もちろん、これらの作品を他の視点から理解することも必要であるが。

向田邦子は、人間のエゴイズムを、特に女性の性……もっと端的にいえば性欲といっていいが……を、その深いところでとらえている。これは、今の時代だったら、特に進歩的な考え方からすると、非常に批判的に見るところになるかと思う。いわく、女性を「女」という目で見ている、と。だが、見ていると、人間とはこういうもんだよなあ、と共感するところがあるのは、確かなことである。少なくとも、私としては、そのように感じる。

見ていてうまいなあと思ったのは、すき焼きを作るシーン。テーブルの上に、ガスコンロを鍋を用意して、脂をひいて、お肉をいれて、野菜をいれて、それから、お酒の準備をして……という一連のことをしながら、同時に、役者さんたちが、科白をいって芝居になっている。今では、こういうドラマの作りかたが少なくなってしまったかと感じる。役者さんが、ある動作をしながら、手を動かしながら、科白を言って芝居になっているというのは、見ていてうまい演出と演技だと感じることになる。

8ミリ映画が出てきていたが、この時代だと、まだVHSなどの普及する前のことになる。

印象に残るのは、綱子(加藤治子)と巻子(八千草薫)。このまま結婚しないで、年をとっていくとさびしい。でも、結婚してもさびしさはかわらないかもしれない。こういうようなことを語るのだが、見ていて、人が生きていくというのは、そんなもんだよなあ、と感じるところがある。独身でいる綱子と、家族(夫と子ども)のある巻子では、違うところもあるが、しかし、人間が生活しているというのは、さびしさとともにあることなのだ、と感じるところである。そして、こういうことを、テレビドラマとして、エンタテイメントとして描いている。

綱子(加藤治子)は、お見合い……薪能……の席から、ふと心にうかんだ愛人との性的なかかわりを思い浮かべて、ふと逃げ去ってしまう。見ていて、とても大胆だなあとは感じるのだが、能を見ていて、そこで自分の性欲を感じるというのも、上手い脚本だと思う。体の奥底からこみあげてくる、肌で感じる性欲。こういうことを描けたのが、向田邦子という人であったと感じる。ただ、現代なら、この薪能のシーンは、最新の映像技術で、もっと魅力的に映像を作れるところかとも思う。

2025年12月18日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/12/19/9824836/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。