『豊臣兄弟!』「決死の築城作戦」2026-02-23

2026年2月23日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「決死の築城作戦」

正直に言って、このドラマはあまり面白いとは思わない。

現代版の「太閤記」とはこういうものかと割りきってみれば、それなりに楽しめるドラマだとは思う。しかし、時代劇として見るとしても、人間の心情の機微がこまやかに描かれているという印象はしない。いや、見る人によっては、そういうことを感じるのかとも思うが、私には、あまり説得力のある人物造形とも思えない。

時代考証として、こんなふうに作ったということが分かる部分は、たしかにある。だが、その一方で、あまりに現代的な科白であったり、しぐさであったり、というところが、うまく調和していると感じられない。なんか、ちぐはぐな印象をいだいてしまう。

戦国時代の武将……地侍から、大名クラスまでいろいろだろうが……が、何を考えてこの時代を生きていたのか、これもはっきりしない。戦乱の世を生きのびるために戦っている、という単純なことにはしていないようなのだが、だからといって、この時代の武士のエートス(と言っていいだろうか)が、感じられるというわけでもない。

銭金で動くのが人というものでありながら、武力にものをいわせるときもある。また、(現代的な言い方だが)義理人情で動く部分もある。武士としての忠義のこころもある。家族の情愛もある。いろんな感情がうずまいているドラマになっているのだが、これらがミックスして何かプラスアルファのことが表現出来ているかというと、そうでもないようである。

強いていえば、戦国時代をスラップスティックで描いてみせようということなのかとも思うけれども、その面白みもあまり感じない。

主人公は、小一郎(豊臣秀長)であるとして、兄の秀吉につきしたがう以外、特に何もないようである。秀吉の天下取りの裏で策謀した知恵者という感じでもないし、汚れ仕事を買って出ているというわけでもない。まあ、このあたりは、これからの展開で、どう変わっていくかわからないが。

この回についていえば、川並衆という武士たち……地侍というのだろうか……が、何を思って、この時代を生き抜いてきたのか、地元の人びと(いわゆる百姓であるが、農民とは限らない)と、どういう関係であったのか。川の水運を使う技術を持っていたということなら、その技術は、どういうことで会得したということなのか、背景の説明がない。歴史考証をもっと頑張れというべきか、脚本がもっと想像力を持てというべきか。

山の木材を伐採して加工する技術と、川をつかって運搬する技術と、城を作る技術と、この時代の産業と武士ということで、もっと面白く描ける部分があるだろうと思うのだが。

墨俣一夜城……をもし歴史的、特に軍事史的に考えるとすると、ロジスティックスのこと、工兵のことなど、総合的に見ることになるはずである。こういう視点を抜きにして、ただ川並衆との個人的な紐帯ということにしてしまっていいのかという気がする。

(この意味では、司馬遼太郎の描いた戦国時代、また、『坂の上の雲』から、そう変わっていない。『坂の上の雲』で決定的に欠如していることは、インテリジェンスとロジスティックスの観点である。)

2026年2月22日記

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