2008-02-17のGCOEシンポジウム(2)2008-02-20

2008/02/20 當山日出夫

2月17日の立命館GCOEシンポジウムの感想の続き。午後は、近代文学の方に出席。考古学GISの話しは、他の機会に、いろいろと、接する場面も今後あるであろうし、私自身、大学は文学部国文科というところの出身であるから、たまには、「文学」の研究会にも顔を出してみようと思った。

こういう感想を書くのは失礼かもしれないが……発表者がパワーポイントをまったく使用しないという研究会は、ひさしぶり(?)、である。デジタル・ヒューマニティーズだからパワポを使うべきだというつもりもないし、また、パワポを使ったからといって、それで、デジタル・ヒューマニティーズになるわけでもない。

ところで、配布された資料(レジュメ)を見ると、日本語で書いてあるのだが、使用のフォントが、通常の日本語フォントではない、とすぐに分かるものがまじっている。おそらく、韓国語版WindowsのWORDで書いたとおぼしい。

プリントアウトしたものを見ても、このようなことは、すぐに分かる。文学(ぶんがく)の研究会に出ながら、文字(もじ)の方に、興味関心を持ってしまうのは、いたしかたない。

韓国語版のWindowsで見ても、日本語版のWindowsで見ても、さらに、日本語でも、0208で見ても、0213で見ても、まったく問題が無い……ということなのであろうか。文学(ぶんがく)は、文字(もじ)の影響をうけることがない、それほど、抽象度の高いものなのであろうか。

そうは言いながらも、一方で、かつて日本の支配下にあった朝鮮半島で、どのような「活字」が使用されていたのか、このことは考えなくてもいいのか、という気がする。これを一次資料にあたって研究するとなると、大変である。

ところで、現代の韓国における、日本文学の受容(翻訳・出版)について、参加者の多くが話題にしていた。その背景にある、いわゆる「サブカルチャー」の流入と、狭義の「文学」(例えば、村上春樹など)とは、切り離せない。いや、むしろ、現代の日本の若い読者と、韓国の若い読者は、より多くの共通するものを持っている。

そうだろうなあ……と、思う。「吉本……」と言われて、私の頭では、「吉本隆明」しか思い浮かばない。『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』、学生のころ、必読書であった。その著作のどの本であったか、娘と一緒に写っている写真が掲載されていたのを覚えている。そして、今の、若い人たちにとっては、その娘さんの書いたものの方が、身近な読み物になっている。

つまり、私は、時代遅れ、なのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『旅人かへらず』2008-02-20

2008/02/20 當山日出夫

講談社文芸文庫で復刊の広告が出ていた。さっそく買いに行く、ではなく、子供が、京都に行くというので、大学の生協の書店なら売っているであろうと思って、買ってきてもらった。

「ことば」というものを機械的にあつかう仕事、たとえば、索引の作成であったり、本文校訂であったり、をしていると、文学が読みたくなる。それも、詩を読みたくなる。そのようなとき、よく手にとった本である。今も、書庫のどこかには、『詩と詩論』(6巻)がある。

なんといえばいいのだろうか、理性的な情緒、とでもいうべきものを感じる。

『旅人かへらず』(講談社文芸文庫).西脇順三郎.講談社.2008(第2刷)

なお、講談社文芸文庫、基本は「新字新仮名」主義であるのだが、この本は、そうなっていない。ありがたい。

當山日出夫(とうやまひでお)