アーカイブズから学ぶもの(1)2009-05-02

2009/05/02 當山日出夫

私は、アーカイブズ学会を、単に批判のために批判しているのではない。

JSAS 日本アーカイブズ学会
http://www.jsas.info/

これについて、これまで、3回、あえて苦言を呈してきた。
第1回
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/04/27/4269302
第2回
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/04/30/4277563
第3回
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/05/02/4282604

ここいらへんで、発想を変えて、DH(デジタル・ヒューマニティーズ)は、アーカイブズ学から、何を学び取るべきことがあるか、どうすれば、今後、新しいデジタルの世界で、共同することができるのか、について考えていきたい。

当たり前のことであるが、「のこす」ということの重要さである。実は、私の感じている限りであるが、CH(人文科学とコンピュータ)などの領域では、意外と、深く考えられていない。

データ保存の技術、デジタル文書管理の技術的なことについては、さまざまに、プロトタイプ的な発表に接してきている。ただ、それは、あくまでも、「技術」としてどうであるか、というレベルにとどまっていたように思える。いいかえれば、「のこす」ことの「思想」が無かった。

したがって、これまで、主に、CHやDHの分野で「アーカイブ」(デジタルアーカイブ)ということを言ってきてはいる。だが、それは、アーカイブズ学から見れば、現用文書、あるいは、せいぜい、中間的な保存状態、にとどまる。

「みらいにむけてのこす」という考え方を、さほど深化させてこなかった。これは、自らの反省の意味をこめて、書いておきたい。資料のデジタル化は、デジタル化されるが故の便利さを追求するためであり(たしかに、デジタルでなければ不可能な研究がすでに存在する)、また、資料の共有・流通を、主に考えていた。

これを、次の世代の、いや、もっと先の未来の研究者がどう利用するか、これこそ、いま、CH・DHの分野で考えるべきことである。デジタル化された資料を、自分たちの今の研究のためだけに使って、将来、ゴミにしてしまってはならない。

この「のこす」ための思想・倫理観こそ、まず、アーカイブズ学から学ぶべきことであると、私は、認識している。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記 このつづきは、2009/05/08
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/05/08/4292231

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