『べっぴんさん』テニスラケットは自由の象徴か2017-01-19

2017-01-19 當山日出夫

NHKの朝ドラ、「べっぴんさん」は、一応毎日見ている。主にBSで朝早い放送を見る。「ごちそうそうん」の再放送につづけて、見ている。

べっぴんさん
http://www.nhk.or.jp/beppinsan/

最近、気になったことのひとつ。ドラマのなかでは、時間がすすみ、子供たちが大きくなって、その子供たちの成長をめぐって、今後の話しは展開するようである。その子供たちのなかのひとり、龍一(良子の子供)が、登場するときに、手にもっているテニスのラケットである。これは、いったい何なんだろうと思って見ている。

考えられることは、おそらく、自由の象徴である。

時代設定は、昭和30年代になっている。皇太子(現在の今上天皇)と皇太子妃(美智子さま)の子供(今の皇太子)の服を、会社(キアリス)であつかうことになったとあった。皇太子の結婚で思い出すのは、軽井沢でのテニス。そこでの出会いである。もちろん、これは、演出されたものであろう。だが、その当時の認識としては、テニスコートでの恋愛、ということで話題になったはずのことがらである。

あまりこの用語はつかいたくないが、強いて使えば、テニスのラケットは、自由、恋愛、を表象する「記号」であったのである。つまり、龍一がテニスラケットをもっているのは、当時の感覚としては、自由な恋愛を表象するものとして、ということになる。

この解釈であっているだろうか。しかし、こうとでも解釈しないと、何故、龍一がテニスラケットを持っているのか、理解できない。ドラマの中では、特にテニスに熱中するスポーツ少年ということでもなさそうである。いや、逆に、ジャズ喫茶(ヨーソロー)に出入りするようは、不良っぽい人物造形になっている。

このドラマ、あまり、その当時の世相とか、時代背景とかを描かない。ナレーションで語ることもない。もし、当時の、皇太子ご成婚、テニスコートでの出会いについて、言及することでもあれば、そうだろうと納得できるのであるけれど。

あまり自信はないが、ともかく一人の視聴者の解釈として書いておきたい。