『細雪』谷崎潤一郎(その二) ― 2017-02-02
2017-02-02 當山日出夫
つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499
『細雪』を、角川文庫版で読んでいる。
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000005/
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000007/
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000006/
昭和31年(1956)初版。平成28年(2016)改版。文庫本としては、一番新しく出た版ということになる。
谷崎潤一郎は、没後50年がすぎた(2015)。つまり、著作権としては、その保護期間が満了している。角川文庫で新版を刊行ということになったのは、このあたりのこともあるのかもしれないと思ったりしている。
買おうか、どうしようか、迷って、結局、買わずにいるのが、谷崎潤一郎全集(中央公論新社)である。
http://www.chuko.co.jp/special/tanizaki_memorial/zenshu.html
中央公論社創業130周年記念とある。
谷崎潤一郎は、読んでおくべき作家の一人だという認識はもっているのだが、今ひとつ、好みではない、という気がしている。文庫本などで、主な著作は読めるので、それでいいかと思ったりする。
今回、新しく谷崎全集を刊行したということは、その組版データがあるはずだから、中公文庫で、その代表的な作品ぐらい、改版して、新しい本文で刊行してくれないか、と思ったりする。はたして、今の中央公論新社にその気があるかどうか。
ところで、『細雪』である。今、読み返しているのをふくめて、これまで二~三回ほどは読んでいると思う。読み返すたびに、印象深く思い出すのは、京都の花見のシーンである。これが、高校の国語の教科書に載っていたことは、すでに書いた。
花見の場面の他にも印象的な箇所はいくつかあるのだが、それは後でふれるとして、何よりも、憶えているのは、その冒頭と、末尾である。
ある文学作品、小説の、冒頭と末尾をきちんと憶えているというとそう多くはない。まあ、漱石の作品の主なものは憶えている。『猫』、『坊っちゃん』、『草枕』、『三四郎』、『それから』などは、その始まりの場面と、ラストの場面を、憶えている。これらは、あまりにも有名といえば有名である。
そして、『細雪』である。この作品も、その始まりのシーンと、ラストのシーンを憶えている。「こいさん」ではじまって、「下痢」でおわる。
そういえば、誰かが、この小説は、病気と薬ばかりが出てくるという意味のことを書いていたのを読んだことがある。たしかに、読んでいくと、病気と薬の話題がきわめて多い。
ところで、角川文庫版の解説を、内田樹が書いている。それについては、あらためて。
追記 2017-02-03
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853
つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499
『細雪』を、角川文庫版で読んでいる。
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000005/
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000007/
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000006/
昭和31年(1956)初版。平成28年(2016)改版。文庫本としては、一番新しく出た版ということになる。
谷崎潤一郎は、没後50年がすぎた(2015)。つまり、著作権としては、その保護期間が満了している。角川文庫で新版を刊行ということになったのは、このあたりのこともあるのかもしれないと思ったりしている。
買おうか、どうしようか、迷って、結局、買わずにいるのが、谷崎潤一郎全集(中央公論新社)である。
http://www.chuko.co.jp/special/tanizaki_memorial/zenshu.html
中央公論社創業130周年記念とある。
谷崎潤一郎は、読んでおくべき作家の一人だという認識はもっているのだが、今ひとつ、好みではない、という気がしている。文庫本などで、主な著作は読めるので、それでいいかと思ったりする。
今回、新しく谷崎全集を刊行したということは、その組版データがあるはずだから、中公文庫で、その代表的な作品ぐらい、改版して、新しい本文で刊行してくれないか、と思ったりする。はたして、今の中央公論新社にその気があるかどうか。
ところで、『細雪』である。今、読み返しているのをふくめて、これまで二~三回ほどは読んでいると思う。読み返すたびに、印象深く思い出すのは、京都の花見のシーンである。これが、高校の国語の教科書に載っていたことは、すでに書いた。
花見の場面の他にも印象的な箇所はいくつかあるのだが、それは後でふれるとして、何よりも、憶えているのは、その冒頭と、末尾である。
ある文学作品、小説の、冒頭と末尾をきちんと憶えているというとそう多くはない。まあ、漱石の作品の主なものは憶えている。『猫』、『坊っちゃん』、『草枕』、『三四郎』、『それから』などは、その始まりの場面と、ラストの場面を、憶えている。これらは、あまりにも有名といえば有名である。
そして、『細雪』である。この作品も、その始まりのシーンと、ラストのシーンを憶えている。「こいさん」ではじまって、「下痢」でおわる。
そういえば、誰かが、この小説は、病気と薬ばかりが出てくるという意味のことを書いていたのを読んだことがある。たしかに、読んでいくと、病気と薬の話題がきわめて多い。
ところで、角川文庫版の解説を、内田樹が書いている。それについては、あらためて。
追記 2017-02-03
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853
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