『コンビニ人間』村田沙耶香2018-10-02

2018-10-02 當山日出夫(とうやまひでお)

コンビニ人間

村田沙耶香.『コンビニ人間』(文春文庫).文藝春秋.2018 (文藝春秋.2016)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167911300

2016年、第155回の芥川賞作品である。文庫本で出たので買って読んでみた。

このごろでは、芥川賞だからといって買って読むということがなくなってきているのだが、しかし、最近、やはり読んでおくべきかなという気がしてきている。その時代において、何を文学と考えて享受しているか、何が文学として書かれているか、そのことを確認するためである。

で、この作品であるが……読んで面白い、まず、これにつきる。

描いている人物は、コンビニでアルバイトを続けてきて、もはやコンビニで働くことにしか自己の存在意義を見いだせなくなった……と言っていいだろう……ある一人の女性の物語である。

この本を読んで感じたことは、まさに「現代」という時代と人間を描いている、ということ。

思い返せば……私の生活の中にコンビニというものが登場してきたのは、学生の頃だったろうか。セブンイレブンが、住まいしている近所にできたのを記憶している。この当時、その名前のとおり、朝7時から、夜11時までの営業であった。それでも、こんな時間に営業している店舗があるのかと、ある種のおどろきをもって受けとめたものである。

その後、日本の社会は、コンビニなしでは成立しない社会になってしまっている。学生にレポートを書かせても、「コンビニに行ってきていいですか」と言って教室を出て行く学生がいる。パソコン教室で、目の前にパソコンがあり、プリンタもあるのに、コンビニに行ってプリントするのである。(たぶん、書いているのは、スマホで書いているとおぼしい。)

この小説は、コンビニで働く立場に視点をおいて書いてある。これは、たしかに、小説としてはそうなるのだろうと思うのだが、一方で、コンビニの利用者、消費者の立場もあるだろう。今の時代、コンビニを利用できない人間は、社会性不適格と言っても過言ではない。私は、読みながら、利用者としての自分の立場のことを思いながら読んだ。

このようなことは、すでに他の人が多く書いていることであろうと思うのだが、読んでいて、ふとカフカの小説を読んでいるような感じがした。どうしようもない不条理が目の前にあるのだが、その前で自分は何者なのか問いかけることになる。コンビニは、現代の「城」なのかもしれない。

文学というものが、時代とともにあり時代を描くものであるとするならば、まさに、この『コンビニ人間』は、今という時代と社会を描いている。そして、この作品は、おそらく現代という時代を超越したところにまで、その射程がおよんでいると感じさせる。