『訴訟』カフカ2018-10-27

2018-10-27 當山日出夫(とうやまひでお)

訴訟

『審判』については、すでに書いた。これは、岩波文庫版である。

やまもも書斎記 2018年10月15日
『審判』カフカ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/15/8973283

カフカ.丘沢静也(訳).『訴訟』(光文社古典新訳文庫).光文社.2009
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334751944

光文社古典新訳文庫版は、タイトルが『訴訟』となっている。このタイトルの方が、原文の意味に近いらしい。また、翻訳の底本としたテキストもちがう。この訳では、新しい、史的批判版をつかっている。とにかく、カフカの残した草稿に忠実にということで編集したもののようである。

この作品は未完である。だが、これを、岩波文庫版の翻訳で読んでしまうと、最後に、主人公のKが殺されるところで終わってしまう。これが最後かと思ってしまうのだが、実はそうではないようだ。

草稿では、主人公Kのさらなる物語が続いている。この裁判は、永遠につづくかのごとくである。これはこれとして、一つの小説のあり方かもしれないと思ったりする。

ともあれ、原著、原稿、草稿に忠実に……これは、今日における文学理解の一つの方向であろう。この意味において、この新しい翻訳は、その価値がある。(とはいえ、「草稿」全体の配列は、旧来の翻訳に近いものになっている。ここは、意図的にそのように編集したものである。)

読んでみての印象は……平明な文章である。特に難解な箇所というのはない。ほとんど一息に全部を読んでしまった。だが、読んで、はたして、この小説は何を書いた作品なのか、と言われると困ってしまう。

普通のサラリーマンが、突然逮捕されて裁判にかけられる。理不尽な話しである。だが、この小説(翻訳)を読んだ印象としては、そこにさほどの理不尽さを感じない。いや、逮捕されて裁判が進行している状況の方が、日常のことなのではないか、そのように感じる。この観点からは、日常生活がひっくりかえったところにある不条理、これを感じるといえばいいだろうか。

特に、大波乱の事件が起こるという小説でもないのだが、読み始めると、その作品のなかにひきずりこまれていく。カフカの描く小説の世界のなかにはいっていくことになる。岩波文庫版とは違った読後感が、この新しい翻訳にはある。

岩波文庫版を読んだ感じでは、破滅的な印象があったのだが、この新しい翻訳を読むと、そのような感じはあまりしない。ああ、これが日常というものの本質なのか……そのような思いが去来する。それは、不合理であり、理不尽であり、不条理であり、一見すると安定しているかに見える日常をひっくりかえしてみると見えてくる、裏の世界のようなものを感じる。

カフカの世界を見るまなざしを感じる作品である、このように言うことができようか。そして、二一世紀のカフカがある。