『青天を衝け』あれこれ「論語と算盤」2021-11-02

2021-11-02 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第33回「論語と算盤」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/33/

前回は、
やまもも書斎記 2021年10月26日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、銀行を作る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/26/9435078

この回で描いていたのは、「民」ということであろう。そしてその「民」たるゆえんをささえるものとしての「論語」である。

第一国立銀行は、なんとか存続することができた。また、三井が栄一の事業をのみこもうとしているのも、なんとかのがれることができた。ここで栄一は、「官」ではなく「民」であることを、強く意識するようになる。たしかにこの後、渋沢栄一は民間の経済人として生きていくことになる。その第一歩が、民間の第一国立銀行ということになる。

「論語と算盤」……渋沢栄一について語られるときに、よくひきあいに出されることばである。経済道徳合一主義、といってもいいのかもしれない。栄一は、昔読んだ論語を取り出してきて読んでいた。経済をになっていくためには、論語の精神が必要であると、あらためて感じていたようだ。

ところで、蚕卵紙の焼却のシーンがあったのだが、これはどうなのだろう。かつての、尊皇攘夷の気持ちを思い返すことになっているのだが、明治になってからの渋沢栄一にとっては、若いときの尊皇攘夷とは訣別して、新しい経済を築いていくことになる。ちょっとこのシーンは、余計なことのように思えてならなかった。(おそらく史実にのっとって作ってはあるのだろうが。)

徳川慶喜も登場してきていた。明治になって新政府がどこまで安定した政権になるか、まだわからない情勢にあっては、慶喜として安閑としてすごしてはいられなかったのであろう。

時代はうつり西南戦争、そして大久保利通の暗殺というところまできた。本格的な文明開化の時代をむかえることになる。そのなかで民間の経済人として生きていく渋沢栄一の前にたちはだかるのが、三菱の岩崎弥太郎ということになるようだ。このあたりのことは、結果として渋沢財閥というようなものを作ることはなかった渋沢栄一の生き方ともかかわることになるのだろう。

さらに書いてみるならば、見落としてはならないのが、渋沢栄一の社会福祉事業への関心ということもある。

次回、三菱との確執を描くことになるようだ。このドラマも、あと二ヶ月を切っている。渋沢栄一の人生のどこまでを、どのように描くことになるのか。次回以降、楽しみに見ることにしよう。

2021年11月1日記

追記 2021年11月9日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一と伝説の商人」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/09/9438782

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