『茂吉晩年』北杜夫2021-11-01

2021-11-01 當山日出夫(とうやまひでお)

茂吉晩年

北杜夫.『茂吉晩年-「白き山」「つきかげ」時代-』(岩波現代文庫).岩波書店.2001(岩波書店.1998)
https://www.iwanami.co.jp/book/b256003.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年10月28日
『茂吉彷徨』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/28/9435565

四部作を読み終えた。

四冊目は、茂吉の晩年、特に、死期を迎えてのあたりが描かれる。晩年のことだから、歌の引用は多くない。それよりも、茂吉についての周辺の人びとの書き残したものからの引用が多くをしめる。また、著者(北杜夫)自身の日記からの引用もある。

この巻で描かれるのは、茂吉というよりも、一人の老人の老いて死んでゆく姿といっていいかもしれない。それを、同じ医者で精神科医である北杜夫の目をとおして描くことになる。しかも、父親とはすこし違うが……短歌と小説という分野の違いはあるが……文学の道に携わるものとしての、目がそこにはある。

父と子の関係。同じ医者としての目。そして、文学者としての目。これらが渾然となっているが、そこにあるのは、微妙な親しみであり、また、逆に距離感でもある。この著者でなければ描けなかった茂吉の晩年の姿といってよいであろう。

そして、この本を読んでよくわかったことは、短歌を作ることは、膨大なエネルギーを費やすいとなみであるということ。作歌する父の姿を描く、北杜夫の目をとおして、歌に精神を集中する茂吉の姿が見える。晩年を描くところで歌の引用が少ないのは、いい歌が少なくなってきていることをしめすものだろう。老衰の茂吉には、歌はつくれなかった。そこのところを、冷徹に、しかし、親子の愛情を込めて記してある。

さて、ここまで、北杜夫の茂吉の評伝の四部作を読んできた。思えば、『静謐』が中公文庫版で出たのを読んだのをきっかけにして、『楡家の人びと』を読みなおしてみて、『白きたおやかな峰』を読んで、そして、四部作を読んだことになる。

この茂吉四部作は、斎藤茂吉という歌人を理解する上で貴重な仕事になっている。のみならず、それを書いている北杜夫を理解するためにも、きわめて面白い。「楡家」のこと「青春記」のことなど、随所に出てくる。なるほどこういうことがあって、「楡家」のあのシーンになっているのかと納得するところが多くある。

斎藤茂吉は、若いときに、少し読んだことがある。また、新潮文庫版の『赤光』も近年に読んでいる(これは、初版によっている)。中央公論社の「日本の詩歌」の斎藤茂吉の巻も探せばあるはずである。ここしばらく、茂吉のものを読んでみようかという気になっている。茂吉などの近代短歌と、近代における古典和歌理解とは、かなり関係がある。このあたり、自分なりに考えていくつか本を読んでみたい。

2021年10月10日記

『青天を衝け』あれこれ「論語と算盤」2021-11-02

2021-11-02 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第33回「論語と算盤」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/33/

前回は、
やまもも書斎記 2021年10月26日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、銀行を作る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/26/9435078

この回で描いていたのは、「民」ということであろう。そしてその「民」たるゆえんをささえるものとしての「論語」である。

第一国立銀行は、なんとか存続することができた。また、三井が栄一の事業をのみこもうとしているのも、なんとかのがれることができた。ここで栄一は、「官」ではなく「民」であることを、強く意識するようになる。たしかにこの後、渋沢栄一は民間の経済人として生きていくことになる。その第一歩が、民間の第一国立銀行ということになる。

「論語と算盤」……渋沢栄一について語られるときに、よくひきあいに出されることばである。経済道徳合一主義、といってもいいのかもしれない。栄一は、昔読んだ論語を取り出してきて読んでいた。経済をになっていくためには、論語の精神が必要であると、あらためて感じていたようだ。

ところで、蚕卵紙の焼却のシーンがあったのだが、これはどうなのだろう。かつての、尊皇攘夷の気持ちを思い返すことになっているのだが、明治になってからの渋沢栄一にとっては、若いときの尊皇攘夷とは訣別して、新しい経済を築いていくことになる。ちょっとこのシーンは、余計なことのように思えてならなかった。(おそらく史実にのっとって作ってはあるのだろうが。)

徳川慶喜も登場してきていた。明治になって新政府がどこまで安定した政権になるか、まだわからない情勢にあっては、慶喜として安閑としてすごしてはいられなかったのであろう。

時代はうつり西南戦争、そして大久保利通の暗殺というところまできた。本格的な文明開化の時代をむかえることになる。そのなかで民間の経済人として生きていく渋沢栄一の前にたちはだかるのが、三菱の岩崎弥太郎ということになるようだ。このあたりのことは、結果として渋沢財閥というようなものを作ることはなかった渋沢栄一の生き方ともかかわることになるのだろう。

さらに書いてみるならば、見落としてはならないのが、渋沢栄一の社会福祉事業への関心ということもある。

次回、三菱との確執を描くことになるようだ。このドラマも、あと二ヶ月を切っている。渋沢栄一の人生のどこまでを、どのように描くことになるのか。次回以降、楽しみに見ることにしよう。

2021年11月1日記

追記 2021年11月9日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月9日
『青天を衝け』あれこれ「栄一と伝説の商人」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/09/9438782

千両2021-11-03

2021-11-03 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は、写真の日。今日は、千両である。

前回は、
やまもも書斎記 2021年10月27日
ニシキギ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/27/9435357

我が家にいくつかの千両の木がある。それが、そろそろ色づき始めた。

見ていると、早く色づくものもあれば、まだ綠のものもある。陽当たりのいいところのものの方が、はやく色が変わるように見える。また、これは鳥が食べるので、見ているともう食べられて無くなってしまっている木もある。

庭に出て、ちょうど色が変わり始めたころのものを選んで写真に撮ってみた。

十一月になって、秋を感じるころになってきた。千両、万両の実が色づくのを見ていると、季節の移り変わりを感じる。

山茶花の木を見ると、つぼみが見える。これが咲くのは、寒くなってからのことになるだろう。紅葉はまだである。庭のもみじの木、公孫樹の木は、まだ青い。これが紅葉するころになると、もう冬である。

千両

千両

千両

千両

千両

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2021年11月1日記

追記 2021年11月10日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月10日
杜鵑草
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/10/9439038

『口笛の上手な白雪姫』小川洋子2021-11-04

2021-11-04 當山日出夫(とうやまひでお)

口笛の上手な白雪姫

小川洋子.『口笛の上手な白雪姫』(幻冬舎文庫).幻冬舎.2020 (幻冬舎.2018)
https://www.gentosha.co.jp/book/b11422.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年10月30日
『不時着する流星たち』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/30/9436104

短篇集である。収録するのは、次の作品。

先回りローバ
亡き女王のための刺繍
かわいそうなこと
一つの歌を分け合う
乳歯
仮名の作家
盲腸線の秘密
口笛の上手な白雪姫

読みながら、ふと付箋をつけた箇所がある。

「小説の中には、私の一生を何度繰り返してもまだ余るほどの時間が流れている。」(p.150)

おそらく、この短篇集、いや、小川洋子の作品のすべてに、このことばは当てはまるといってよいだろう。余計な解説や解釈はなしに、ただその作品を読んでいる時間の充足感にこそ、文学というものの本質がある。

小川洋子の作品を、適当にみつくろいながら読んできて思うことだが、たしかに小説の書き手として、テクニシャンである。だが、ただ、面白い小説を書く技巧にとどまっていない。そのテクニックが文学というものの本質に根ざしている。

現代における類い希なる小説家のひとりといっていい。

2021年6月23日記

追記 2021年11月8日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月8日
『博士の愛した数式』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/08/9438515

映像の世紀プレミアム(13)「戦場の黙示録」2021-11-05

2021-11-05 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (13) 戦場の黙示録

再放送が続くのでずっと見ている。これも月曜の放送を録画しておいて、後日ゆっくり見た。

この放送は、見たかと覚えている。

描いていたのは二〇世紀の戦争。第一次世界大戦……ここで、ヒトラー、チャーチル、マッカーサーが登場する。第二次世界大戦としては、真珠湾、ミッドウェー、B29による無差別爆撃、マジノ線、ダンケルク、ノルマンディー。そして、朝鮮戦争。

見ていて思うのは、戦争には、神のいたずらかと思うようなところがある。その一方で、冷徹な政治の論理で動くところもある。ここに歴史の必然を見ることがどれほど妥当だろうか。

ちょっとしたことで、あるいはミッドウェーで日本の空母は沈まずに済んだかもしれない。だが、太平洋戦争において、アメリカに勝利することは、やはり不可能であったとは思う。ノルマンディー上陸作戦は、あるいは頓挫していた可能性もある。だが、ナチス・ドイツは、いずれ敗れることにはなったろう。(しかし、その時代の世界の情勢のなかで判断することは難しい。後世の目から見ればということではあるが。)

以前の放送のときに見て思ったことでもあるが、アメリカは、B29の開発に、原爆開発を上回るコストをかけた。そのB29をどう戦術的、戦略的につかうか、これがアメリカ軍に課せられた大きな課題の一つであったことは、改めていろいろと思うことがある。(これを指揮したルメイは、後にキューバ危機のとき、ソ連との主戦論を主張することになる。)

映画「ハワイ・マレー沖海戦」における原節子は美しい。

さて、読もうと思ってまだ読んでいないのが、新書本で『ヒトラー』それから『太平洋の巨鷲 山本五十六』。読んでしまいたいと思う。

2021年11月4日記

『斎藤茂吉歌集』岩波文庫2021-11-06

2021-11-06 當山日出夫(とうやまひでお)

斎藤茂吉歌集

斎藤茂吉.山口茂吉・柴生田稔・佐藤佐太郎(編).『斎藤茂吉歌集』(岩波文庫).岩波書店.1958(1978.改版)
https://www.iwanami.co.jp/book/b270753.html

北杜夫の茂吉四部作を読んだら、斎藤茂吉の短歌を読んでおきたくなった。

やまもも書斎記 2021年10月18日
『青年茂吉』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/18/9432975

やまもも書斎記 2021年10月23日
『壮年茂吉』北杜夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/23/9434273

やまもも書斎記 2021年10月28日
『茂吉彷徨』北杜夫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/10/28/9435565

やまもも書斎記 2021年11月1日
『茂吉晩年』北杜夫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/01/9436671

歌集というものを読む、それも近代短歌については、ひさしぶりである。以前に、『赤光』は新潮文庫版で読んでいる。

やまもも書斎記 2017年12月8日
『赤光』斎藤茂吉
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/08/8744535

北杜夫の評伝で、随所に歌の引用があるので、茂吉はこのような歌を詠んできたのか、ということの概略はわかる。だが、『赤光』から順番に、晩年の歌まで……ただ、文庫本なので選集という性質はあるのだが……読んでみると、北杜夫の本で知ったことの後をなぞるように、各歌に接することになる。

読み終えて残るは、やはり静かな文学的感銘といっていいだろう。初期の『赤光』から晩年の『つきかげ』まで読み進めていくと、その歌とともに、茂吉の歌人としての、あるいは、精神科医としての人生をなぞることになる。そして、若かった茂吉も、最後には年老いていく。その老いのありさまを、茂吉は非常にすなおに歌にしていると感じる。

日本の近代文学において、人間の老いというものを描いた文学がどれほどあるか、不案内なのだが、少なくとも、茂吉の短歌は確かに人間の老いというものを、確実に描いている。あるいは、歌集を読んでこのように感じるというのも、私自身が年老いてきたということもあるのかとも思うのだが。

ちょっと興味があって、斎藤茂吉全集を検索してみたのだが、今では非常に安価に買える。といって、今から茂吉の全集を手にして、その歌を読んでみようとまでは思わない。せいぜい、昔買った中央公論社の「日本の詩歌」の茂吉の巻でも、読んでみようかと思う。

2021年10月20日記

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第1週」2021-11-07

2021-11-07 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第1週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_01.html

新しい朝ドラは、各週にタイトルがつかないようだ。しかたがないので、第1週としておくことにする。番組HPを見ても確認できない。

このドラマは、ラジオの英語講座と、昭和以降の一世紀ほどの歴史をたどる家族の物語ということらしい。そのせいもあるのだろうが、時間の流れが速い。この週は、昭和の初めにヒロインの安子が生まれてから、一四歳になるまでのこと。

ラジオの英語講座というと、中学生のころに聞いた。基礎英語、続基礎英語、英会話、などである。今となっては忘れてしまっていることがほとんどであるが、私の聞いたときの基礎英語は、最初の一ヶ月ほどが、発音記号の説明だったのを覚えている。これは今になってみれば、非常に勉強になったと思う。

今の初級の英語辞書など見てみると、発音記号をつかうのではなく、仮名で発音が書いてある。これは、今の時代に合わせた工夫なのであろうが、私ぐらいの世代からすると、ちょっと物足りない気分になる。

ところで、ドラマであるが……昭和の初めの岡山の町の人びとの日常生活が、実に細やかに描かれていたと感じる。BKが、かなりちからをいれて作っている。ちょっとしたシーンでも、セットや演出がきちんとしている。安子の「たちばな」の店や家のなかはもちろんのこと、お祭りのシーンとか、駅のシーンとか。

ドラマのなかでは何も言及がなかったことだが、雉真稔の通っている学校は、大阪にある大阪商科大学だろうか。これは、今の大阪市立大学。設立には五代友厚がかかわっている。会社の次の経営者としては、商いの本場である大阪の商科大学を選んだということだと思う。岡山には、第六高等学校があったはずであるが、ここの卒業生ということでいいのだろうか。あるいは、大阪の大学の予科かもしれない。

稔が買ったおはぎ。二〇個で一円六〇銭だった。ということは、一個八銭ということになる。これが高いのか安いのか、よくわからない。が、二〇個で箱が四つ。一つの箱に五個入っていることになる。これは、ちょっと箱の方が大きいように思える。

それから、ドラマのなかで使われている英語が、実にきれいである。発音も明瞭で、日本語のなかにまじって非常に聞き取りやすい。

また、音楽に渡辺貞夫の演奏がはいっていた。これが本当にいい。(私が若いころ、ラジオのFM放送でよく聞いたものである。)

次週は、一九四一年まで話しがすすむらしい。日米開戦の前夜を描くことになるのだろうと思う。これも楽しみに見ることにしよう。

2021年11月6日記

追記 2021年11月14日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月14日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第2週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/14/9440120

『博士の愛した数式』小川洋子2021-11-08

2021-11-08 當山日出夫(とうやまひでお)

博士の愛した数式

小川洋子.『博士の愛した数式』(新潮文庫).新潮社.2005 (新潮社.2003)
https://www.shinchosha.co.jp/book/121523/

続きである。
やまもも書斎記 2021年11月4日
『口笛の上手な白雪姫』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/04/9437430

ふと思いたって小川洋子を読んでおきたいと思った。適当に読み始めたのだが、今の時点(二〇二一)で普通に手に入る文庫本で読んでいった。そして、これが、文庫本の小説としては終わりということになる。他にエッセイなどがあるが、それはまた別に考えることにしたい。

たぶん、小川洋子で一番有名な小説だろう。

確かに、傑作であるという気はするのだが、他の小川洋子作品を読んできた目からすると、なるほど、これも小川洋子の世界だなと感じるところが多い。八〇分しか記憶が持たない数学の博士、そこに通って仕事をすることになる家政婦、その子供のルート、主にこの三人で物語は進行する。

この作品を読んで感じるところは、これは数学の話しなのだが……小川洋子という作家は、おそらく学問的営為の本質をつかんでいる。あるいは、知ること、研究することの楽しさ、喜びの本当の意味はどこにあるのか、教えてくれる作品であるともいえるだろうか。

が、そのようなこととは別に、まさに小川洋子の小説世界になっている。透明感のある文章で、不思議な関係にある登場人物の姿を、さりげなく、だが、芯のある描き方で描いている。

この小説が、一般に広く読まれるのは、なるほどと思うところがある。とにかく、理屈抜きに面白いのである。八〇分しか記憶が持たないという数学の博士……これも、小川洋子の小説によく登場する、ちょっと変わった人物の一人ということになるのだろうが……と、家政婦の女生と男の子、この三人のおりなす物語が、なかに挿入される数学の知識と一緒になって、独特の世界を構築している。決して難解ではない。分かりやすい。そして、爽快な読後感の残る作品である。

2021年6月28日記

追記 2021年11月11日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月11日
『小箱』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/11/9439278

『青天を衝け』あれこれ「栄一と伝説の商人」2021-11-09

2021-11-09 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第34回「栄一と伝説の商人」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/34/

前回は、
やまもも書斎記 2021年11月2日
『青天を衝け』あれこれ「論語と算盤」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/02/9436902

この回で描いていたのは、三菱との確執。

歴史の結果としては、渋沢栄一のかかわった企業も、また三菱も、生き残ることにはなる。しかし、その企業理念は、大いにことなっている。

あくまでも合本主義として、「民」のちからを結集したい渋沢栄一。それに対して、強い経営者が強くなればいいのだとする、岩崎弥太郎。この両者の主張は、交わることなく、明治において対立することになる。(ただ、岩崎弥太郎自身は、早くに亡くなることにはなるのだが。)

この経営理念の対立は、あるいは、二一世紀の今日までつづく発想の違いとして残っているようにも思える。新自由主義経済の時代になって、渋沢栄一の語ったことばは、改めて意味のあることとして、思い出されることになるのかもしれない。

ところで、この回の終わりの方で、兼子が登場してきていた。となると、千代は、もうそろそろ消えることになるのだろうか。くにも出てきているし、これで渋沢栄一をめぐる、(主な)女性は登場したことになる。(ただ、その他の女性は描くことはないのかもしれないが。)

次週、アメリカからの賓客をもてなすことになるようだ。近代にあって、民間外交に尽力することになる渋沢栄一を、どのように描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2021年11月8日記

追記 2021年11月16日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月16日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、もてなす」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/16/9440632

杜鵑草2021-11-10

2021-11-10 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は写真の日。今日は杜鵑草である。

前回は、
やまもも書斎記 2021年11月3日
千両
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/03/9437178

我が家の庭にあって、秋になると咲く花である。

厳密には、在来種のホトトギスではなく、園芸種のタイワンホトトギスであろうと思って見ている。

これは、かなり花の時期が長い。一〇月になって咲きはじめて、一一月になってもまだ花を見ることができる。この花は、咲いた花よりも、咲き始めのつぼみのときの方が、写真に撮るときれいである。斑点の模様が、なんとなくごちゃごちゃとしているので、花の形を鮮明にとらえるように写すのは、ちょっと難しい。あるいは、群れて咲いているところを、ちょっと距離をおいて撮ってみることもできる。

外に出ると、もみじの紅葉には少し早い。部分的に色づいている葉もあるが、まだ全体としては青い。公孫樹の葉もまだ青い。駐車場に出てみると、ヤツデの白い花が見える。ヤツデの花を見ると、冬を感じる。そろそろ秋から冬にかけて、季節が移り変わっていくことを感じる。

杜鵑草

杜鵑草

杜鵑草

杜鵑草

杜鵑草

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2021年11月8日記

追記 2021年11月17日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年11月17日
山茱萸
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/11/17/9440865