『光る君へ』「おかしきことこそ」2024-02-19

2024年2月19日 當山日出夫

『光る君へ』第7回「おかしきことこそ」

この回でも猫が登場していた。というよりも、大活躍であった。これは、猫好きで『源氏物語』好きの人間にはたまらない展開である。打毬の見物シーンでは、畳をカリカリしていた。

たぶん制作側の意図としては、打毬の場面にコストを注ぎ込んで作ったのだと思う。たしかにこの競技のシーンは見応えがあった。しかし、私が、個人的な興味で面白いと思ったのは、むしろ投壺の場面である。離れたところに置いた壺に矢を投げ入れるゲームである。平安時代の貴族は、はたして投壺を日常的な遊びとしていたのだろうか。少なくとも『源氏物語』には出てきていなかったはずである。

それから、打毬を見物する場面なのだが、貴族のお姫様たちが、外から丸見えの状態で顔を出して見物していた。これは、どうかと思う。平安時代の高貴な女性は、そう軽々と自分の顔を見せなかった……というのが、常識的なところかと思う。

かといって、ここで簾などで隔ててしまうと、いったい誰が見物に来ているのかはっきりしない。演出の意図としては、ここは、どのような女性たち……そのなかには、まひろもききょうもふくまれる……が、競技を見物していたのか、はっきり分かるように描く必要があったことになる。

この回で、まひろは、散楽の台本を手がけることになる。後年、物語作者として名を残す紫式部ということである。

まひろが道長と一緒に走るシーン。朝ドラの『花子とアン』で、吉高由里子が仲間由紀恵と一緒に学園祭から抜け出して電車に飛び乗るシーンを思い出してしまった。

平安時代の婚姻関係と政治のあり方は、女性にとっては過酷なものだったかもしれない。たぶん、まひろ……受領層の娘ということになる……ならば、場合によっては、召人ということにもなりかねない。歴史上は、あるいは、紫式部は道長の召人だったかもしれないが、このあたりの歴史学の知識は、持ち合わせてはいない。

余計なことかとも思うが……前回、漢詩の会があった。これを見ていて、どうしても違和感があったのは、「漢詩」という言い方である。この時代であるならば、ただ「詩」あるいは「からうた」でいいはずである。わざわざ「漢詩」と呼ぶようになったのは新しい。まあ、このあたりは、一般の視聴者に分かりやすい用語を使ったということにはなるのであろうが。

打毬の会への招待の文書が漢文であったのは、どうだろうか。この時代の女性は漢字は読み書きしない、というのが一般的かとも思うが。

このドラマでは、安倍晴明が重要な役割をになうようになるようだ。呪詛、のろいが、人びとに現実的にうけとめられていた時代である。安倍晴明にとって、貴族の政権争いはどのように見えていたか、これも興味あるところである。

藤原実資の妻が、日記に書きなさいよ、と言っていたのには、笑ってしまう。

2024年2月18日記

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